「日本は、単独で自国の安全保障を確保するのは難しい。『自衛隊の予算を何兆円増やします』という議論をして勇ましい気持ちになっているとすれば、それはまったくの錯覚でしかありません」と話す亀山氏 「日本は、単独で自国の安全保障を確保するのは難しい。『自衛隊の予算を何兆円増やします』という議論をして勇ましい気持ちになっているとすれば、それはまったくの錯覚でしかありません」と話す亀山氏

ウクライナ侵攻が始まってから約1年4ヵ月。世界有数の軍事力を持ち、国連の常任理事国でもあるロシアによる一方的な軍事侵攻は世界に衝撃を与え、長年、軍事的中立を保っていたフィンランドとスウェーデンが北大西洋条約機構(NATO)への加盟に踏み切るなど、国際的な安全保障環境を一変させた。

日本人や欧米諸国の人々の目には〝異様〟としか映らないロシアのウクライナ侵攻はなぜ起きたのか? そしてそのロシアは極東の隣国、日本をどのように見ているのか? 『ロシアの眼から見た日本』の著者で、元ロシア駐在外交官の亀山陽司氏に、ロシアの世界観から見た日本の姿と、難しい安全保障環境に置かれた日本の国防のあり方について聞いた!

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――私たちの目には、非道な侵略国家に変貌してしまったように見えるプーチンのロシアですが、亀山さんは本書の冒頭で「ロシアは変わってなどいない」と述べられていますね。

亀山 プーチンが大統領に就任したのは2000年ですが、当初は欧米諸国との関係を大事にしていましたし、経済や内政にも力を入れていたので、ロシアが"普通の国"への道を歩み始めていたというのは、ある意味、事実だと思います。

では、そのロシアがこの10年余りで大きく変貌したのかというと、私は思想的に大きな変化があったとは思いません。あるいは、第2次世界大戦当時のような思考に逆戻りしたということでもありません。ロシアは、自国を取り巻く国際社会の現状を「国家存続の危機」だととらえているのだと思います。

――ウクライナのNATO加盟が議論されていたとはいえ、ほかの国から攻撃されてもいないのに国家存続の危機ですか?

亀山 それを理解するには、ロシアの「大国主義」について理解する必要があります。

プーチンが大統領になってからのロシアというのは、ソ連が崩壊してから約10年がたった頃で、かつてのロシアやソ連が持っていた「大国としての尊厳」を再び取り戻していこうというのが、プーチンの目指したロシアの形でした。

その意味では、民主化の流れや経済的発展を目指して積極的に欧米からの投資を呼び込んだプーチン政権当初のロシアも、そうした「大国としてのロシア」を目指す道のりの一部だったと考えてもいいでしょう。

ところが、国際政治の大きな軸は「米ロ」から「米中」へとシフトし、かつてはロシアの勢力下にあった東欧の国々も、次々と欧米やNATOの側に引き寄せられていきました。

そうしたロシアの危機感に決定的な影響を与えたのが、14年の「ユーロ・マイダン革命」です。歴史的なつながりも深い隣国のウクライナで反ロシア的な政権が生まれ、これがロシアの大国意識を大きく傷つけることになったのです。

――単に大国としてのプライドが傷ついたというだけでは?

亀山 これはロシアにとって「単なるプライドの問題」ではありません。なぜならロシアの大国主義とは「国際社会の平和や安定は、いくつかの強大な力を持った大国のバランスによって成り立っている」という、極めて現実的な考え方に基づいているからです。

ロシアはそうした大国のひとつとして、ヨーロッパ、中央アジア、極東に対して影響力を持つことで自国の安全は守られ、国際社会における地位も保障されると考えています。

ところがNATOは、東西ドイツ統一時の「東方に拡大しない」という暗黙の了解を無視して東へと加盟国を拡大し、ついには隣国のウクライナにまで手を出そうとしました。

本来、世界秩序の重要なアクターであるべきロシアの存在や利益が、アメリカやEUから無視されるような状態をこのまま放置すれば、いずれロシアは大国ではなく、取るに足らない国へとおとしめられてしまう――。

それは大国主義を抱くロシアにとって、文字どおり、国家存続の危機なのです。今回のウクライナ侵攻も、こうしたロシアという国がもともと持っている自国の安全に対する考え方と、それが脅かされていることへの危機感に対する過剰な反応だと理解すれば、彼らにとっては「正当な自衛権の行使」という認識になるのです。

――ロシアによるウクライナ侵攻によって、日本でも安全保障に関する危機感が高まり、今まさに防衛力の大幅な強化が議論されています。そうした大国主義のロシアから見て、極東の隣国である日本は、どのように見えているのでしょう?

亀山 戦後、アメリカの強い影響下にあり、自分の好きなように行動できない日本は、どんなに経済力があってもロシアから見れば大国ではなく、「主権国家として半人前の国」というのが彼らの本音でしょう。

それは別の言い方をすればロシアは常に日本の後ろにいるアメリカという大国しか見ていないということでもあり、国内に多くの米軍基地を抱える日本がロシアにとって潜在的な脅威であるのも事実です。

ただ、隣国ウクライナをアメリカやNATOが"基地化"することを恐れてウクライナ侵攻に踏み切った一方で、ロシアはほかのNATO加盟国には手を出せないのと同様に、日米安保によってすでに「アメリカの基地」がある日本に簡単には手を出せないという点では、同じロシアの隣国でも日本とウクライナとでは状況が違います。

では、日本は未来永劫安全なのかというと、それも違って、トランプ政権の4年間を見てもわかるように、アメリカが将来も極東での軍事的プレゼンスを維持し続ける保証はないし、米中ロという3つの大国の利益がぶつかる極東で、日本は政治的にも地理的にも重要な存在ですから、長い目で見れば何が起きてもおかしくはない。

――それに対して日本はどのように備えればいいのでしょう。

亀山 例えば、米中の対立が「台湾有事」のような形に発展した場合、そこに日本が巻き込まれる可能性が指摘されていますが、その際にロシアが中国だけに日本を抑えさせるとは思えない。そこにロシアが絡んでくる可能性がある。従って、中国を恐れるのであれば、中国・ロシアの二正面作戦となることも想定する必要があります。

それに対して、まずは抑止力を高めるというのは非常に重要だし、私もまっとうな考え方だと思いますが、では、どれだけの防衛力を備えれば抑止力たりうるのかと考えると、仮に中国一国が相手でも自衛隊単独では難しいでしょうし、ロシア・中国二正面になればなおさらですから、突き詰めると「結局、核武装しかない」みたいな話になりかねない。

現実的に日本は、単独で自国の安全保障を確保するのは難しいですから、「自衛隊の予算を何兆円増やします」という議論をして勇ましい気持ちになっているとすれば、それはまったくの錯覚でしかありません。

何よりも「戦わずに済む」ことが重要だというのが、ウクライナ侵攻の最大の教訓です。そして、それを可能にするのは大国の力の均衡や秩序だとすれば、安定が失われた極東地域で大国同士の新たなパワーバランスを実現することが戦争を避ける現実的な手段です。

ですから、日本は今後もアメリカとの密接な関係を維持しつつ、一方で、独自の外交的なアプローチも駆使しながら米中ロという3つの大国の間で不安定化している極東地域に、新たな均衡と安定を実現するための「バランサー」としての役割を担っていく必要があるのではないかと思います。

●亀山陽司(かめやま・ようじ)
1980年生まれ。2004年、東京大学教養学部卒業。2006年、東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻修了。外務省入省後、ロシア課に勤務し、ユジノサハリンスク総領事館、在ロシア日本大使館、ロシア課、中・東欧課などで、10年以上にわたりロシア外交に携わる。2020年に退職し、現在は林業のかたわら執筆活動に従事する。日本哲学会、日本現象学会会員。気象予報士。北海道在住。著書に『地政学と歴史で読み解くロシアの行動原理』(PHP新書)がある

■『ロシアの眼から見た日本 国防の条件を問いなおす』
NHK出版新書 1078円(税込)

日本は核保有すべき? 日本はもはや安全ではない? 反撃能力は必要か? ロシアのウクライナ侵攻は、日本人に大きな問題意識を喚起した。今まさに、防衛費の増額が議論されている中、われわれは今後の日本の国防のあり方をどう考えればいいのか? 元ロシア駐在外交官の著者が、ウクライナ侵攻に至った"異様"とも思えるロシアの行動原理を解説し、ロシアの世界観から見た日本の姿について考え、日本が進むべき道を探る

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