プーチンの古い〝お友達〟が私兵を動員し、あろうことか首都モスクワへ向け進軍した「プリゴジンの乱」。世界中が固唾をのんで見守った約24時間の〝内乱〟の背景と今後への影響を専門家が緊急分析する!
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■プーチンの〝汚れ仕事〟でのし上がった政商
ロシアの民間軍事会社(PMC)ワグネル・グループの創設者エフゲニー・プリゴジンによる〝反乱〟。結果的にワグネルとロシア正規軍や治安部隊との正面衝突は回避され、約24時間でカタがついた形だが、重武装の傭兵部隊が首都モスクワから約200㎞の地点までいとも簡単に進軍したことも含め、内外に与えた衝撃は大きかった。
米政府や情報機関の事情に詳しい明海大学教授・日本国際問題研究所主任研究員の小谷哲男氏が解説する。
「ワグネルはウクライナ侵攻当初からキーウ周辺の攻撃作戦に参加し、ブチャでの住民虐殺にも関わりました。また、昨年後半から今年春にかけては多大な損失を出しながら東部の重要都市バフムトを一時制圧することに成功したものの、その後撤退しています。
米当局は事件の2週間ほど前からワグネル部隊の動きを察知し、露正規軍に攻撃を仕掛ける可能性をつかんでいました。また、プーチン大統領が事前に蜂起の可能性を把握していたことも間違いないと米当局は分析しています」
プリゴジンはバフムトで激戦が続いていた今年春頃から、「国防省が弾薬をよこさない」「仲間がロシア軍に後ろから攻撃された」などとして、ショイグ国防大臣やゲラシモフ参謀総長を名指しで口汚く批判するSNS動画をたびたびアップしていた。
そして蜂起の決定打になったとみられるのが、ショイグ国防大臣が6月10日に発表した、「(民間の傭兵など)すべての志願兵は国防省と契約しなければならない」との命令だ。これは事実上、ワグネルの数万の兵力を〝私兵〟として束ねるプリゴジンの権益と政治力の源泉を潰そうとする動きだった。
しかし、なぜ一介のPMC経営者が、政権中枢の政治家と権力争いをするほど肥大化したのか? 『プーチンの正体』(宝島社新書)などの著書があり、ロシアの権力構造に詳しい軍事ジャーナリストの黒井文太郎氏はこう語る。
「プリゴジンはプーチンのお膝元・サンクトペテルブルクのチンピラ出身の企業家です。プーチンと知り合ってコネで財を成し、彼の利益からプーチンの親族に相当額のカネが流れるなど、いわば企業舎弟的な存在といえます。
プーチンが国家指導者となってからは、国際的なネット世論誘導工作、傭兵部隊投入など政府が表立って関与できない裏工作を行なう際に、プリゴジンを名目上のトップとする民間企業を経由して予算を支出するスキームを組んできました。要するに〝汚れ仕事〟を肩代わりし、政商としてのし上がっていったわけです。
ワグネルもそうした企業のひとつで、当初はGRU(露連邦軍参謀本部情報総局)の指揮下にありました。ところが、目立ちたがりのプリゴジンは傭兵ビジネスに口を出すようになり、プーチンとの関係を利用してワグネルを私物化していきました。
それでもワグネルは対ウクライナ戦で捨て駒・鉄砲玉として利用価値があったため、プーチンが予算を回し続けてきたという経緯があります」
ややこしいのは、その過程で一般のロシア国民の間でプリゴジンの人気が高まってきたことだった。本来は表舞台に立てない〝影の存在〟のはずのプリゴジンだが、
「ショイグ! ゲラシモフ! 弾薬はどこだ! おまえたちのために仲間が死んでいる」(5月5日)
「ワグネルは国防省といかなる契約も締結しない。ワグネルは優れた指揮系統を持っているが、ショイグはロシア軍を正しく統制できていない」(6月11日)
といった軍上層部への猛烈な批判に加え、「ディープステート(影の政府)」「くそったれな金持ちども」といったワードをちりばめながらトランプ前米大統領をほうふつとさせる反エリート発言を主にSNSで繰り返し、庶民の心をつかんだ。
ロシアの独立系世論調査機関レバダ・センターによれば、今年5月には国民人気が急上昇し、「最も信頼できる政治家」の5位にランクインしたほどだ。
■秘密保持のためにいずれ密殺される?
国防省に追い詰められたプリゴジンは、自らの権益を死守すべく、「プーチンとの関係」と「国民人気」を頼りに蜂起を実行した。しかし、そのシナリオは希望的観測でしかなかったと前出の黒井氏は言う。
「プリゴジンが狙ったのは、彼の主張に露正規軍の多くの兵が賛同して行動に参加すること。そして、それを見てプーチンが考えを変え、プリゴジンにこのままワグネルを任せてショイグとゲラシモフを更迭すると決断することでした。しかし、これは最初からありえないシナリオだったと私は考えています。
結果を見れば、プリゴジンは指揮権を剥奪され、ワグネル兵は国防省の指揮下に置かれます。彼らはもともと囚人中心の捨て駒部隊で、今後も同じように利用されるでしょう。
そして、今からショイグやゲラシモフを更迭するとプリゴジンの主張を認めることになりますから、当面は続投すると思われます。まとめるなら、これで得をした人は誰もおらず、プリゴジンが自爆したという事件でした」
では、ワグネルがモスクワ近くまで簡単に進軍できたのはなぜか?
「プーチン本人ではありませんが、クレムリン(大統領府)はプリゴジンの説得を試みていました。例えば『話を聞く』とだまして呼び出して拘束するなど、いざとなったら実力行使で排除しようという話も内部では当然出たと思いますが、プリゴジンの動きが早く、対応が間に合わなかったということでしょう。
また、露軍の主力はウクライナに入っているため、ワグネルの進軍ルートに配置する戦力の用意も間に合わず、モスクワを死守することを優先したのだと思われます。
もしプリゴジンが最後まで暴走し、ワグネルが大暴れしていれば、ウクライナ領内から多くの露軍部隊が転進せざるをえず、ウクライナに利益があったかもしれませんが、実際にはモスクワ防衛に呼び戻された部隊はほんの一部でした」
ロシア国外では「これがプーチン体制の崩壊につながる」「ウクライナに有利に働く」といった期待交じりの分析も多いが、少なくとも短期的には、この事件が大きな影響を及ぼすことは考えづらい。前出の小谷氏はこう語る。
「最大の注目点は、これがプーチン個人の権力の終わりにつながるかどうかですが、今のところロシアの指導層・エリート層の中でプリゴジンに追従する動きや、この事件をプーチン体制打倒のために使うような動きは見られません。
ただ、裏切り者には断固たる措置を取ると言っておきながら、表向きはほぼ無罪放免のような形でプリゴジンと取引をしたことについては、プーチンの弱さを国内外に示したともいえます。今後はクレムリンにおける権力構造に変化が生じるかどうか注目していく必要があります」
そして気になるのが、反乱の過程でウクライナ侵略の大義まで否定する発言をしたプリゴジン本人の今後だ。どうやらベラルーシへの亡命は実現したようだが......。
「一部ではすでに暗殺命令が出されたとの報道もありましたが、仮にあったとしても外部に漏れるはずはないので、基本的にはガセネタでしょう。ただし、プリゴジンはプーチンの悪行についての秘密情報を相当握っています。
当面はワグネル残党の暴発回避のために懐柔するとしても、いずれ口封じで密殺されるのでは。過去の例を見ても、自己防衛のためのリスク回避を最優先するプーチンとFSB(露連邦保安局、旧KGB)が、口の軽そうなプリゴジンをこのまま放置するとは考えにくい」(前出・黒井氏)
古今東西、多くのマフィア映画で、ボスの秘密を知りながら裏切った舎弟の悲惨な末路が描かれてきた。プリゴジンがすがった希望的観測の代償は、やはり高くついてしまうのか?