武装蜂起したワグネルのプリゴジン氏だが、プーチン大統領にとっての「中立化」が達成されていれば、どうやら殺されることはないようだ 武装蜂起したワグネルのプリゴジン氏だが、プーチン大統領にとっての「中立化」が達成されていれば、どうやら殺されることはないようだ
ウクライナ戦争勃発から世界の構図は激変し、真新しい『シン世界地図』が日々、作り変えられている。本連載「#佐藤優のシン世界地図探索」ではその世界地図を、作家で元外務省主任分析官、同志社大学客員教授の佐藤優氏が、オシント(OSINT Open Source INTelligence:オープンソースインテリジェンス、公開されている情報)を駆使して探索していく!

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――去る6月23日にワグネルのブリゴジン氏が武装蜂起しました。これは、プーチン大統領とプリゴジン氏が密かに組んで、ロシア軍の中の反プーチン勢力を駆逐するための罠だったのではないか、という予測もできるのではないでしょうか?

佐藤 全然、違いますね。ブリゴジン氏はそんなに頭が良い人じゃないですよ。

――では、ブリゴジン氏は今後、殺されてしまうのでしょうか?

佐藤 彼を殺して何かプーチン大統領に利益がありますか?

――やはり暗殺はプーチン大統領の得意技の一つじゃないですか。放射能核物質・ポロニウムを寿司にふりかけたり、政敵の帰宅した家のドアノブに劇薬・ノビチョクを塗って殺してしまうとか...。

佐藤 プーチンの目的はプリゴジン氏の「中立化」です。歯向かう気のないブリゴジン氏には関心がないですし、殺す価値もありません。殺せば西側諸国が騒ぎ立てるので、ロシアにとってマイナスになるだけです。だから、プーチンはそういった非合理なことはしません。

――では、いまプーチン大統領がロシア国内でやっている事は何なのでしょう?

佐藤 それは、ロシアの経済システムとして資本主義を維持しつつ、機構を「スターリン主義」に回帰させていくことです。

――なるほど。西側メディアは「プーチン体制は揺らいでいる」と大騒ぎしているようですが...。

佐藤 ロシアの論理を理解していないから騒ぐのです。対して、日本政府は全く揺れていませんよね?

――岸田首相は悠々と、深海を泳いでいるようにもみえます。

佐藤 ワグネルの乱はウクライナ問題と関係のない「内政問題」なので、プリゴジン氏を煮て食おうが焼いて食おうがロシアの勝手です、というのが日本政府の立場です。

だからこれは、欧米メディアと米国政府やドイツ政府がぶれているだけの話で、プーチンの権力基盤に全く関係のない話です。

軍とプーチンの間の亀裂も全くありません。だから、日本を含む西側メディアが勝手にから騒ぎしているだけなのです。

――『から騒ぎ』はシェイクスピアの喜劇にありますよね。

佐藤 プリゴジン氏をめぐる「から騒ぎ」はかなりレベルが低い話と思います。

――話を戻すと、ワグネル叛乱後にロシアの民間軍事会社、要するに傭兵部隊を全て、ロシア連邦軍参謀本部情報総局・GRUの傘下に組み込むと、プーチン体制がさらに強化される事になりますか?

佐藤 それが進行していると思います。ただ順番が逆で、GRUの傘下に傭兵部隊を一元化しようとしてプリゴジン氏が傷付けられたことで、ワグネルの叛乱が生まれただけの話です。そんな難しい話ではありません。

――では、プーチン体制がより強固なものになったら、プーチン個人が判断を誤り、暴走するという危険性はないですか?

佐藤 ありません。なぜなら、ロシアは個人による独裁国家ではありません。いま進めているのは「システムの強化」です。たとえば、暴走を抑える装置としては、正規軍、国内軍、それから、国内連邦保安庁の軍があります。

武装叛乱の時、ワグネルによって国内軍のヘリが撃たれましたが、それでそばにいた国内軍が反撃しないのは、軍人の常識から考えられますか?

――確かにおかしいですね。

佐藤 それはおかしいのではなく、「絶対に反撃するな」というプーチンの命令があるのです。つまり、それにきちんと従っているのであり、すなわちシステムが機能しているのです。

プーチン個人の暴走はあり得ません。そもそもプーチンはシステムの中の人間ですから、システムの中にいるトップが暴走する事はありません。それがシステムなのですから。

――佐藤さんは、プーチンが政権内のエリートを飛ばして、直接テクノクラートと結びついていると指摘されていますが...。

佐藤 その傾向は強まっています。特に経済エリートです。その経済閣僚たちの影響力がプーチンを支えているのですが。そして、もう一つの力の象徴はKGBと軍隊です。

いまプーチンは、その後段に権力がシフトしていて、政治に関しては前段の人たちをあまり信頼せず、経済人や技術者に関しては、直接現場と結びつく傾向が強まっているのです。

なのでいま、プーチンの周辺にいるリベラルな人たちを排除していくのが基本的な流れだと思います。そして、政治に口出しする軍人たちを整理していく。この二つの流れが急速に進んでいます。

――ワグネルの叛乱発生の後に、軍の高官が続々逮捕されていなくなってます。彼らがすなわち「言う事を聞かない連中」なんですか?

佐藤 そうなりますね。ただこれは、軍の政治的判断ではありません。ロシア革命後にレーニンの命令を受けたジェルジンスキーが、KGBの前身機関・チェーカーに在籍したときからの流れです。

言われた事だけをやるのが「赤軍」の軍人の伝統です。そもそも赤軍は党の軍隊ですから。
でもいまは、民間軍事会社の傭兵や軍が金を持つようになってきました。すると、様々な場所に軍政に口を出す軍人が現れてきます。そんな彼らがブリゴジン氏とくっついたというわけです。こういう軍人は全員整理されてしまうでしょう。

いまロシア軍は、赤軍の伝統に回帰しています。政治が優位なのです。赤軍の場合、各部隊に党から送られる政治将校(コッミサール)がいましたよね?

――いましたね。恐ろしい方々です。共産党の言う事を聞かない兵士たちを震え上がらせる存在でした。

佐藤 いま政治将校は存在しませんが、軍は政治に絶対に従属する。これを徹底しようとしているんですね。

――今のロシア軍は"鋼鉄の軍隊"・ソ連軍に回帰しているのですね。

佐藤 そういうことです。だから、軍が政治的な動きをすることは絶対に許さないのです。

――では、逮捕されてしまった軍人の方々は、全員シベリアで整理されてしまうのですか?

佐藤 それは違います。年金生活に入るだけですよ。

先ほども言ったように、プーチンの目的は「中立化」です。逮捕でも、国外追放でも、年金生活でも、プーチンに歯向かってこなければ、中立化は達成された事になります。であれば、あとは構わないのです。

――つまり、殺されることはないと。その証の一つが、ワグネルのブリゴジン。そこがスターリンとプーチンの違うところですね。

佐藤 そうです。

次回へ続く。次回の配信は8月4日(金)予定です。

撮影/飯田安国 撮影/飯田安国

●佐藤優(さとう・まさる)
作家、元外務省主任分析官
1960年、東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了。
『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞。