中国国家安全部はアニメ調の広報物で、反スパイ法のイメージアップに努めている中国国家安全部はアニメ調の広報物で、反スパイ法のイメージアップに努めている
7月1日、中国で「改正反スパイ法」が施行された。スパイ行為の定義が拡大され、摘発対象となる行為や基準はますます不明確となったことで、同法を根拠に中国人や外国人が中国当局に恣意的に拘束されるリスクが一層高まったと指摘する声もある。

産経新聞が主要企業118社を対象に実施して8月にまとめたアンケート結果でも、5割を超える企業が、同法について「多いに懸念している」あるいは「やや懸念している」と答えており、警戒感も滲んでいる。

■「邦人スパイ容疑者」の背後に公安調査官の陰!?

一方で、中国での「邦人の安全」について、危機感を更新すべきなのが日本政府である。これまで中国でスパイ行為に関わったとして、中国当局に拘束された日本人は17人に上り、うち10人が実刑判決を受けている。しかし筆者は、現状のままでは今後もスパイ容疑での邦人拘束事例が相次ぐと感じている。

日本政府は、中国で日本人がスパイ容疑での拘束されるたび、「スパイ行為は行なっていない」と一蹴してきた。スパイ行為というほどの活動を、拘束を受けた日本人が行なっていなかったことは、おそらくその通りだろう。秘密主義の中国で、いち民間人がアクセスできる情報の中に、国家のインテリジェンスに利用できるものなど、そうそうないからだ。

しかし中国から「スパイ呼ばわり」されることについて、日本政府は心当たりがあるはずだ。私が知る限りにおいて、情報機関である公安調査庁は民間人に対し「情報提供依頼」を恒常的に行なっている。そしてその対象は中国関連の情報も含まれている。

実は私も、今から6年ほど前に、公安調査官から情報依頼を受けたことがある。当時私は中国に住んでいて、中国のいわゆる『B級ニュース』を細々と日本のネットニュースなどに寄稿して生計を立てていた。

そして日本に一時帰国した際、中国で交流のあった日系企業の元駐在員のA氏に酒席に誘われた。その際に、彼が「中国関連の仕事をしている友達」として連れてきた男性が、よくよく聞けば公安調査官だった。

公安調査官の情報活動に協力した結果、日本人が中国で拘束されてしまう危険性がある公安調査官の情報活動に協力した結果、日本人が中国で拘束されてしまう危険性がある
酒席の場では、彼は自身の仕事内容などについて多くを語らなかった。しかしそれから2ヶ月ほどしたころ、すでに中国に戻っていた私の元にその調査官からメールで連絡があった。

「中国の軍人の生活や生活水準についてわかることがあれば次回帰国時に教えてほしい」そんな内容だったと記憶している。私はそのメールを直ちに削除し、メールを受信したスマートフォンも後日処分した。そしてA氏を通し、その調査官にメールで連絡をよこさないよう伝言してもらった。

そこまでの行動を取った私の脳裏には、ネットニュースとして読んだある記事があった。その記事は、2015年9月にスパイ容疑で拘束されたことが明らかになった日本人2人に関するもので、彼らが公安調査庁に中国や北朝鮮の動静について情報提供を依頼されていた可能性を報じるものだった。 

また、2016年に中国拘束され、その後6年の実刑判決を受けて服役した鈴木英司氏も、その後に出版した著書「中国拘束2279日」の中で公安調査官と交流があったことを認めている。

当時はその後も中国に住み続けるつもりだった私は、こうした公安調査官とのやりとりが、不都合を起こす可能性を直観的に感じたのだ。

■雑談レベルの情報に謝礼まで用意のワケ

ただ、A氏はそんな私を「考えすぎ」と一笑するとこう言った。

「会うだけで飯を奢ってくれるし、謝礼として毎回1万円の商品券ももらえるのに」

A氏によると、この公安調査官とは日本に帰国して以来、数ヶ月に1回のペースで会食し、その度に中国で見聞きしたことを雑談として話していたという。

しかし彼らはなぜそんな雑談レベルの情報を、食事や謝礼まで用意して聞きたがるのだろうか。それについてA氏はこう話していた。

「彼らには『中国関係者から聞き取りをした』という事実が大切。おそらくノルマのようなものがあるのだろう。情報の中身はあまり関係ないんだよ」

筆者はA氏に、中国に渡航しないよう釘を刺した。A氏と公安調査官の定期的な接触を中国当局が把握していた場合、中国で拘束される可能性があるからだ。前出の鈴木氏は、同著のなかで公安調査庁に中国のスパイがいる可能性も指摘しているのだ。

さらに次のような事態も想定される。

中国入国時に、中国の入管によるランダムチェックに引っかかり、スマートフォンの中身を調べられる。すると、メールアドレスのなかから中国当局が把握している、公安調査庁情報官の名前やメールアドレスが出てくる。そして文面に情報や写真の提供依頼が見つかったとすれば‥‥「疑わしきは黒」である中国ではアウトだろう。

ちなみに中国入国時に、入管職員にスマートフォンの中身を調べられるというのは、頻繁ではないが、たまに聞く話である。どんなレベルの情報を公安調査官に提供していたかは、中国側にとってもおそらくあまり関係ない。「公安調査庁と国内情報をやりとりしている日本人を検挙した」という事実さえあれば、検挙に関わった当局者にとってはお手柄なのだ。

中国の小学生が書いた反スパイ法のポスター。密告の重要性について学ぶ授業も行なわれている中国の小学生が書いた反スパイ法のポスター。密告の重要性について学ぶ授業も行なわれている
しかしA氏は筆者の忠告を一蹴してこう言った。

「彼には中国在住の日本人を4、5人は紹介したけど、誰も捕まってないよ」

A氏は不幸にも数年前に病死した。中国での駐在生活を終えて帰任して以降、彼は、中国に渡航することはなかったようだが、死の直前までは、この調査官との面会を続けていたようだ。

おそらくA氏が彼に紹介した、筆者以外の中国在住の日本人の中には、今もこの調査官とやりとりを続けている人もいると思われる。その場合、これまでは無事だったとしても、「改正反スパイ法」の施行によって検挙のリスクは以前に増して高まっているとも考えられる。 

現在、中国在住や中国と行き来をしている日本人で、公安調査官付き合いがある人は、直ちにその関係を断ったほうがいい。過去に彼らとやりとりをしたメールやメッセージアプリの履歴も、破棄した方がいいだろう。そして公安調査庁は、日本人を危険に晒すようなうかつな情報提供依頼はやめるべきである。 

インテリジェンスの重要性が以前にも増して高まっていることは紛れもない事実だが、いち民間人が、日中の役人のノルマや名声のために、人生を棒にふるようなことはあってはならない。

●吉井透 
中国在住フリーライターとして約10年間活動するも、パンデミック下のゼロコロナ政策に嫌気がさし、自由を求めて米オレゴン州ポートランドに移住。テキストメディア以外にも、テレビやユーチューブチャンネルなど、映像分野のコーディネーターとしても活動中