東京電力福島第一原発の敷地内に並ぶ処理水のタンク 東京電力福島第一原発の敷地内に並ぶ処理水のタンク

福島第一原発で貯蔵中の原発処理水の太平洋への放出が今月末に予定されている。これに今も抗議している中国では、水産物以外の日本製品にも偏見が広がっているようで......。その内実をジャーナリストの高口康太氏が取材。

8月10日には中国政府が中国人の日本への団体旅行を解禁したが、日本製品は汚染されていると思っていても来るの?とイヤミのひとつも言いたくなるね!

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■とにかく攻撃的な中国

「売り上げは2割ぐらい減少したでしょうか。気にするお客さんもいるので、刺し身はオススメしないようにスタッフに指示しています」

中国南部・広東省で日本料理店を経営するAさんは淡々と話した。

福島第一原発の処理水の海洋放出が目前に迫っている。日本政府は2021年に海洋放出の方針を決定し、その後は科学的な評価や国際社会での説明を続けてきた。

今年7月には国際原子力機関(IAEA)が人や環境への影響は無視できるレベルに小さく、国際的な安全基準に合致しているとの結論の調査報告書を発表し、日本の原子力規制委員会も放出設備の検査を完了した。これで手続きはすべて完了し、後はいつからやるかという段階となった。

2年間じっくり説明した効果なのか、日本に対して厳しい要求を突きつけがちな韓国、食品安全にはとかく敏感な台湾など、周辺国・地域の政府は理解を示している。

が、そうした中で断固反対の姿勢を崩さないのが中国だ。中国外務省からは「処理水が安全というなら、日本に有効活用を提案したい。海洋放出せず、飲み水やプール水として利用してみたらどうか?」と、これぞ「戦狼外交」(近年の中国における他国に対する威嚇や恫喝[どうかつ]なども含む攻撃的な外交スタイルのこと)とでもいうべき強烈な言葉が飛んできた。

さらにまだ海洋放出が始まっていないうちから、日本料理店の経営が悪化するなど影響が出ているという。いったい中国現地では何が起きているのか。複数の日本料理店を取材したが、どこからも「売り上げは下がっています」と同じ答えが返ってきた。

「昨年12月にゼロコロナ政策(※1)が終わった後、2月末ぐらいまでは感染者がいっぱいで仕事にならなかったり、旧正月休みで客がいなかったりだったのですが、3月からようやくお客さんが戻ってきました。

ようやくコロナが終わったという解放感もあってか、一気に盛り上がって、よしここから伸びていくぞ!と意気込んでいたら、その3月がピークでまた下がり始めてしまったんです」

(※1)都市封鎖(ロックダウン)など強権的な行動制限によって感染を徹底的に封じ込めようとする中国のコロナ対策のこと。2020年から2022年末まで中国各地で断続的に実行された。

北京市で複数の日本料理店の運営管理をサポートしているBさんはそう嘆く。

客が減っただけではない。中国政府は日本からの輸入水産物に対する検査を強化した。中国に運び込まれてから検査終了まで1ヵ月程度はかかるようで、新鮮な魚を輸出しても、検査が終わる頃には完全に腐ってしまう。

中国・北京の海鮮市場で魚を検査する業者 中国・北京の海鮮市場で魚を検査する業者

■ネットで日本製品を買いにくくする操作が?

こうした制限がどのような影響をもたらすのか。

今、中国は「世界一、日本料理が好きな国」となっている。この10年ほど、ずっと日本料理ブームが続いているのだ。

日本料理店の数は15年時点で2万3000店とすでに世界トップだったが、近年はそこからさらに爆増。中国の外食産業研究会社・紅餐品牌研究院によると、20年末時点で少なくとも8万店に達しているという。現在はもう10万の大台に乗ったとの話もある。

「問題は水産物だけじゃないんですよ」

株式会社Nint経営戦略担当の堀井良威さんは言う。同社は日本企業の中国進出支援、中国EC(電子商取引)のデータ分析を手がけているが、〝ある異変〟が起きているという。

「中国では6月に『618』(※2)と呼ばれるネットセールがあります。その予約期間中に処理水の問題が中国で大きく報じられたのですが、その後、日本商品のキャンセルが一気に増えたんです。それだけじゃなくて、ネットモールの検索から日本企業のネットショップに流入する人数まで減ってしまいました。

中国の消費者が報道を見て不安になり、クリックしなくなったというのが一般的な解釈ですが、もうひとつ考えられるのはアルゴリズムの調整です。ネットモール側が検索順位を調整し、日本のショップが上位に表示されなくなったという可能性もあります。

まだ処理水の放出が始まっていないのにこうですから、今後はどうなるのか。水産物に限らず、中国とビジネスをしている企業はどこもピリピリしています」

(※2)11月の「独身の日」に次ぐ、中国最大級のECセールのこと。

中国ECの巨大セール「618」の広告 中国ECの巨大セール「618」の広告

中国ネット企業は特定のコンテンツの表示を増減させる機能をこっそり実装しているという。今年1月には米誌フォーブスが、動画アプリ『TikTok』にヒーティングと呼ばれる、特定の動画の再生回数を増やす機能があることをスクープしている。

この機能を悪用すれば、世論を特定の方向に動かすことだってできるのではないかと不安視されたが、ネットモールで使われると今までどおりの商売をしていても、いきなり売り上げガタ落ちということもありうるわけだ。

同じく日本企業の中国進出を支援している、アライドアーキテクツ株式会社クロスボーダーカンパニープレジデントの番匠達也さんも処理水問題を警戒している。

「海洋放出の前から問題になっている上に、どうなったら手打ちになるのかもさっぱりわからない。中国の報道や温度感を見て対応するしかないですね」

と困り顔だ。

■日本製品への〝クソリプ〟が止まらない

問題は、政府の強硬姿勢やそれを忖度(そんたく)した企業だけではない。処理水が健康被害につながるとの恐れは、一般の中国人の間にも広がりつつある。

「7月に日本旅行に行くんだけど、〝核排水〟ってもう海に流してるんだっけ? 日本の水産物安全なの? 教えて!」

「東京に行くんだけどさ、レストランで出てくる魚がどこで取れたものか、どうやったらわかるの? 核汚染地区のものかどうか、どうやって見分けたらいいのか気になってて。SNSでは日本旅行なんて行くのはバカだとか罵(ののし)られそうで怖くて聞けない(泣)」

「日本の汚染水反対のネット署名を集めようぜ! 拡散よろしく」

「群馬県のこんにゃくゼリーは食べられるの? 輸入販売してるんだけど、在庫抱えまくってるから気になって」

これは日本在住の中国人旅行系インフルエンサーのCさんに送られてきたダイレクトメッセージだ。ググればすぐに解決するような質問まで送られてくるのは、インフルエンサーも楽じゃないと同情してしまうが、それはともかく、政府やメディアが強硬姿勢をとっているだけではなく、一般の中国人にまで不安は広がっているわけだ。

「ダイレクトメッセージだけじゃないですよ。時々、ライブコマース(動画配信とネットショッピングを融合させた販売形態)で日本製品を中国人に販売するんですけど、化粧水とか液体を販売すると『それって汚染水だろ』とか、クソリプつけてくる人がいて嫌な気持ちになります。

水産物に限らず食べ物全般でひどいコメントがつくし、ほかにも真珠を紹介したときにも同じように書き込まれましたね」(Cさん)

■処理水問題よりも深刻なのは......

こう見てみると、日本料理店など中国の日本ビジネスは破滅的なダメージを負うのではないかと心配になってくる......のだが、筆者が取材した現地の日本人は意外にもひょうひょうとしていた。

広東省で間もなく日本料理店をオープンする予定のDさんは「処理水よりも景気が悪いほうが響いているような気がします。うちは大衆料理だから大丈夫だと思っているんですが」と話す。

冒頭で売り上げが下がったとコメントしたAさんも同意見で、「売り上げ低迷は処理水が原因とは断言できません。景気の影響のほうが大きいかも。

うちは一般の中国人が来る普通のお店なんですけど、この層なら報道に踊らされて日本食やめようってなる人もいるでしょうが、逆に客単価4万円とかの高級店だとお客は減らないでしょうね。

お金を持っている人はリテラシーが高く、政府が騒いでも外交カードにしようと騒いでいるんだと見透かしますから(笑)」

今、中国は厳しい不況にさらされている。コロナ禍で業績が悪化した企業が人員削減を進めたこと、コロナ対策で地方政府がすっからかんになったこと、インフレに伴う世界経済の後退で輸出不振に陥ったことなどの要因が重なったためだが、中でも深刻なのが不動産不況だ。

今までは市況が悪化すると、すぐに「底値買いだ!」と買いが入って盛り返してきたが、今回は2年以上もネガティブなまま。中国で不動産取引が始まった90年代後半から初となる、本格的な後退という異例の事態を迎えている。

前出の北京市のBさんも景気のほうが気になるという。

「少なくとも足元だと処理水より不景気が怖いです。コンビニに総菜を卸している友人がいるんですけど、この半年で売り上げが2倍になったと聞きました。コロナが終わったのに、節約志向が強くなるにつれ、レストランから足が遠のきそうです。

でも、高級店だと処理水を恐れる客なんていないですよ。とはいえ、新鮮な日本の水産物が入らなくなるので、看板メニューが消えるのは痛いですね。大衆店だと、もともと日本産を大して使ってないので仕入れへの影響はないでしょうが」

前出のインフルエンサーのCさんも「変なコメントはつくけど、売り上げは下がってないんですよね。どうせクソリプつけてくるようなヒマ人って、なんでもいいから八つ当たりしてすっきりしたいような人ばかり。最初から買う気ゼロなんです。だからガン無視しています」と動じていない。

そして、「(処理水の)放出が始まったら炎上するかもしれませんが、燃えているときは息を潜めて目立たないようにしておいて、ほとぼりが冷めたらこっそり活動再開っていうのは何度もやってきたこと。中国はネット社会ですから、毎日のように大騒ぎが起きてすぐに忘れられていくもんですし」と続けた。

中国では日本絡みの炎上は日常茶飯事だ。首相の靖国参拝や尖閣諸島問題といった特大級の騒ぎから、「日本風の夏祭りを禁止にしよう」「なんちゃって日本ブランドを気取る中国企業は反省せよ」といった日本ではあまり報じられていないようなプチ炎上までいくらでもある。

炎上事件に慣れすぎてまひしているか、あるいは、異例の不景気に気を取られすぎているのか。

ただ、実際に海洋放出が始まった際の中国の反応は未知数だ。振り返ると12年の尖閣諸島問題をきっかけに起きた反日デモではお店の打ち壊しや日本車の破壊といった騒ぎに拡大した。

16年の韓国THAAD(高高度防衛ミサイル)の配備では韓流コンテンツの排除から、消防検査乱発で韓国系スーパーが営業できなくなる、スマホ出荷台数世界一のサムスンが壊滅的に売れなくなるといった打撃を受けた。果たしてこのレベルにまで拡大するのだろうか。

「売国奴と叩かれたくないから、日本料理を食べに行こうと誘えない。そうなったらうちは倒産ですね。お客はほぼ中国人なので」(Aさん)

中国に生産拠点を持つ松井味噌の松井健一社長は言う。

「これから売り上げへの影響が出ると覚悟しています。調味料を扱っているので、日本料理店が落ち込めばうちにも跳ね返ってきます。尖閣諸島問題のときは中国の日本料理店向けの売り上げが半分以下にまで落ち込みました。

当時はビジネスどころか身の危険を感じるような状況でした。今回はそこまで行くかはわかりませんが、まだ始まったばかりなので、どこまで影響が拡大するのかは気になっています。

長期的な影響も気になるところです。日本人はいつまでたっても毒餃子事件の記憶を引きずっていて、中国産は危険で低品質だと思い込んでいますが、それはもう16年前の話です。中国経済の急成長はよく知られていますが、食品安全の進化もすさまじい。

今や日本品質を超えたといってもいい。日本食品だから高くても買うというプレミアは失われつつあります。今回はそれが加速するきっかけになるかもしれません。

中国には日本料理店がたくさんありますが、9割は中国人が経営しています。彼らは日本産から切り替えることに躊躇(ちゅうちょ)はしないでしょう」

処理水問題が長引けば、「日本産の材料は使わないけど、世界一日本料理店が多い国・中国」が爆誕してしまうのかもしれない。

●高口康太(たかぐち・こうた) 
1976年生まれ。ジャーナリスト、千葉大学客員准教授。経済やビジネスを中心に政治、社会、文化まで幅広く取材。『幸福な監視国家・中国』(梶谷懐との共著、NHK出版新書)、『中国「コロナ封じ」の虚実』(中公新書ラクレ)など。『プロトタイプシティ』(高須正和との共著、KADOKAWA)で大平正芳記念賞特別賞を受賞。