富岡さんいわく、銃(通常はAK-74)や防弾ベスト、医療用キットなど最低限の支給品以外は自費購入。ウクライナではアーミーグッズの店が急増しているという 富岡さんいわく、銃(通常はAK-74)や防弾ベスト、医療用キットなど最低限の支給品以外は自費購入。ウクライナではアーミーグッズの店が急増しているという

外国人の立場でありながら、ロシアとの国土防衛戦争を手助けすべくウクライナ入りした「義勇兵」たちの中には日本人もいる。彼らは何を思い、どんな日々を送っているのか? それぞれ経歴も事情も違う4人に、現地で話を聞いた。【戦地ウクライナの日本人③】

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昨年2月24日にロシア軍の侵攻が始まると、ウクライナ政府は諸外国へ「義勇兵」の参加を呼びかけ、日本でも約70人が志願した。日本政府から退避勧告が出ていたこともあり、在日ウクライナ大使館はすぐに募集を取り消したものの、実はその後、実際に現地入りした日本人義勇兵は多数いる。

現在ウクライナにいるのは、筆者が把握しているだけで約10人。伝聞情報やSNSなどでの発信を見ると、少なくともあと数人はいるようだ。それぞれ経歴も違えば、「培ってきた能力を試したい」「ただただ義憤に駆られた」など動機もさまざまだが、共通するのは自分の心身を懸けてでも助けになりたいという思いだろう。

ウクライナ軍傘下の部隊に入るにあたり、基本的には軍歴や訓練を受けた経験と、ウクライナ語・ロシア語・英語いずれかの語学力が求められる。例えば同じ部隊内に日本人がいるなど、状況によっては必須というわけでもないようだが、やはりなんらかの壁があり、日本人志願者が断念して帰国したケースもある。

今回は今年7月時点でウクライナにいた4人に、個人的な質問も含め話を聞いた。

【義勇兵≠ボランティア】 
無償で戦う狭義の「義勇兵」のことを英語で「Volunteer Soldier」というが、本特集に登場する富岡さんを含め、現在ウクライナで戦っている外国人兵士のほとんどは報酬を得ている「Soldier」だ。日本の法的問題の面でも、個人で他国の戦闘に参加した場合は「私戦予備・陰謀罪」に該当する可能性があるとの指摘がある一方、ウクライナ軍傘下の部隊に入り「兵士」となって正規軍同士の戦闘に参加する形なら、この罪には問われないという専門家の見解がある(フランス外人部隊などへの参加者と同じ論理)。

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■<CASE1>富岡さん(仮名)

20代半ば、関東地方出身。自衛隊を含む軍歴なし。昨年5月ウクライナ入り。

筆者は昨年9月、ウクライナ北東部ハルキウ州の前線にいる富岡さんの部隊を取材させてもらったことがある。当時は激しい砲撃が続き、負傷者が続出していた時期。行く前に何度も「それでも大丈夫ですか?」と確認され、同行者と遺影を撮影し合った上で覚悟して取材に向かった。

ところが、部隊と合流した翌日からウクライナ軍の大進撃が始まり、部隊のいる村は一日にして最後尾の位置に。3日間ほどの取材期間、ただのキャンプのような生活を送ったことも今では笑い話だ。

富岡さんは当時まだ入隊してから2ヵ月ほどだったが、その後も同部隊に5ヵ月所属し、激しい戦闘を経験した。

「東部の都市・バフムトの北側の前線は本当にヤバかった。とにかく戦車や迫撃砲などの砲撃をずっと受け続け、その最中に銃弾も飛んできます。一番危なかったのはハルキウのベースキャンプで、4、5人で避難していた3畳程度の塹壕(ざんごう)に砲撃が直撃し、隣にいた兵士が足を負傷して病院送りになったときですね」

富岡さん所有の、世界最高峰といわれる米カメンガ社の軍用コンパス。広大なウクライナでは正確なコンパスは必須 富岡さん所有の、世界最高峰といわれる米カメンガ社の軍用コンパス。広大なウクライナでは正確なコンパスは必須

部隊から支給されている止血帯や包帯、消毒用シートなどの医療用キット 部隊から支給されている止血帯や包帯、消毒用シートなどの医療用キット

そんなときに人は何を思うのか?

「ただ『危ね~!』と思うくらいしか時間はないです(笑)。そうして任務を繰り返すうちに信用が増し、より厳しい状況でも呼ばれるようになりました。ひどいときは15人くらいで行き、帰りは半数になってしまったことも......。

昨年9月にいたメンバーで残ったのは、部隊のコマンダーとその補佐、そして自分の3人だけ。皆、死んだか、入院したか、辞めてしまい、気づいたら一番の古株になっていました」

60~100人程度で編成される部隊の最古参になっていたという富岡さんだが、そもそもなぜウクライナに来て戦おうと思ったのか。

「日本では特に不自由もなく、ダンスや音楽が好きでクラブで遊んだり、趣味のツーリングに出かけたり。でも、戦争が始まって女性や子供がひどい目に遭っているニュースを見るうちに、単純にプーチンが許せなく思えて。

なんのツテもなく、言葉もよくわからない中で、同じように入隊方法を模索している日本人の方とつながり、入隊待ちの外国人グループに合流しました」

2ヵ月ほど待機した後、ウクライナ軍傘下の領土防衛隊に入隊し、すぐに前線へ。

「最初の任務のとき、小さい穴倉で寝ていたら、一緒にいた自衛隊出身の日本人義勇兵から『敵だ!』と急に起こされて。目を覚ますと4、5人のロシア兵がすぐ目の前を通り過ぎていきました。その後、銃撃戦になり、1時間以上戦闘が続きました。

また、ロシア軍から奪還した地域の塹壕に入ったら、ロシア兵の死体が放置されていたこともあります。その死体と2日間、一緒に寝泊まりしたときはさすがに参りました。一応布が被(かぶ)せてあるのですが、確認のためにぎ取ると、ホラー映画で見る〝最悪の状態〟に近い感じで。見なければよかったと後悔しました。

ただ、逆に何も起きない時間がずっと続くこともあります。最初の頃は前線の塹壕で任務に当たりながら、基礎的なことをイチから教えてもらっていました」

富岡さんがこれまで経験したほとんどの任務地域では、主体は砲撃戦。銃撃戦の機会はあまりないとのこと 富岡さんがこれまで経験したほとんどの任務地域では、主体は砲撃戦。銃撃戦の機会はあまりないとのこと

同僚だった日本人はすぐに別の部隊へ異動してしまったが、富岡さんは右も左もわからない中で大事にしていたことがあるそうだ。

「所属していた大隊には30ヵ国以上からの志願兵がいて、いろいろな噂話が出回ります。英語を話せる兵士と仲良くして、情報面で孤立しないようにしつつ、教えてもらった基本を忠実に守りました。

それでも、死ぬときはいろいろなことが重なったりしてそうなります。生き残るのは、やはり運じゃないですかね。日本人が現地で戦っていることに、何かを感じてもらえればうれしいです」

富岡さんは一時帰国を経て、現在も領土防衛隊のある大隊に所属。これまでの歩兵の立場とは変わり、自動擲弾発射装置AGS-17を使用する砲兵として東部の前線地域で戦っている。

■<CASE2>本村優也さん(仮名)

45歳、群馬県高崎市出身。自衛隊を含む軍歴なし。昨年5月ウクライナ入り。

義勇兵として部隊へ入るために、まず現地でボランティアをしたり、ウクライナ人とのつながりをつくったりして情報を集めていた本村さん。筆者はその頃に知り合い、年も近くなんでも率直に話してくれるのですぐに打ち解けた。

「軍歴もなく言葉もままならない中ではコミュニケーションが重要。率直に意思表示をするのが大事だと思いますよ」

群馬県高崎市出身で、若い頃は地元で愚連隊を結成しリーダーだった時期や、任侠団体に身を置いた時期もある。

「今の自分には恥ずかしい部分でもあるので、当時のことはあまり語りたくはないです」

ジョージア軍団のエンブレムの前に立つ本村さん。防弾ベストなどを装着しての体力トレーニングが多いという ジョージア軍団のエンブレムの前に立つ本村さん。防弾ベストなどを装着しての体力トレーニングが多いという

今年4月に入隊したのは、主にジョージア人義勇兵により結成され、2014年からウクライナでロシアと戦っている「ジョージア軍団」(現在はウクライナ軍傘下)。本村さんは今、正式に契約が結ばれるまでの待機期間中で、首都キーウの基地で寝泊まりをし、訓練を受けている。

「キーウ中心部に近い場所なので射撃ができず、防弾ベストとヘルメットなどを装着してひたすら動き回る体力トレーニングがメインなので、年長者の自分にはちょっとつらいですね。ただ自分は小さい頃、周りにフィリピン人がたくさんいたんですが、ジョージア人はその雰囲気に似ているので、居心地はいいです。

今は待機期間中ですが、毎朝トイレや部屋の掃除を自主的に続けています。ウクライナのために戦いに来て、ウクライナ軍の傘下に入るのに、ウクライナから借りている敷地や建物を汚すわけにはいかないでしょ」

本村さんが寝泊まりするジョージア軍団の基地は前線から離れたキーウの中心街近く。普段は穏やかな雰囲気だ 本村さんが寝泊まりするジョージア軍団の基地は前線から離れたキーウの中心街近く。普段は穏やかな雰囲気だ

日本では群馬県前橋市で麻雀店を経営しながら、いくつか事業を行なっている。つながりのある飲食店などに募金箱を置かせてもらい、待機期間中の生活費や、電化製品や食材など部隊への寄贈品購入に充てているという。

「義勇兵にもそれぞれ事情があり、お金がまったくない人も多い。少しでもサポートできればとも思っています。日本にいると気づかないかもしれないけど、いかに自分たちがいい国に生まれてきたかを感じて、もっと感謝したほうがいいと思います」

■<CASE3>本多右舷さん(仮名)

50代後半、中部地方出身。自衛隊を含む軍歴なし。今年5月ウクライナ入り。

今年6月、筆者がキーウのホステルですれ違い、ただならぬ雰囲気に思わず声をかけたのが本多さんだった。よくよく話を聞いてみると、義勇兵になるために来たが、当てもなく困り果てているという。

本村さんにも同席してもらい、なぜ義勇兵になりたいのか、どんな経緯でここまで来たのか聞いてみた。

「2年前に生死をさまよう大病をして、死んでも構わないから誰かの役に立ちたいと思うようになり、病状が回復したので義勇兵になろうと。ウクライナで死ぬつもりでしたので、日本では身辺整理をしてきました」

強い決意はうかがえた。だが話を聞いて、本村さんも筆者もすぐに同じことを考えた。

基本的に、兵士は「死んでもいい」と思っている人とは一緒に戦いたくないと聞く。どうしても警戒心や恐怖心が薄れてしまい、危機を回避できなくなるかららしい。

そういった話や、言葉、年齢、経験などの重要性について説明すると、本多さんは自身がイメージしていた状況とはまったく違うと理解してくれたようだった。ただ、すぐに行く場所もないようで、本村さんの口利きで、ジョージア軍団の基地にしばらくいられるようにしてもらった。

ジョージア軍団の兵士と本村さん(左)、本多さん(右)。本多さんはしばらく基地に滞在した後、日本へ帰国した ジョージア軍団の兵士と本村さん(左)、本多さん(右)。本多さんはしばらく基地に滞在した後、日本へ帰国した

後日あらためて会いに行くと、だいぶ落ち着いた様子だった。本村さんが前橋に部屋を用意してくれることになったのだという。

「この数日は基地の警備や雑用をしていました。今の自分では前線に行けないどころか、基地にいてもやることがないようで、しばらくしたら日本に帰ります。仕事をして、普通に生活できるようになったら、SNSなどで情報発信したり、日本人義勇兵の後方支援をしたいです」

■<CASE4>箕作さん(仮名)

30代半ば、兵庫県神戸市出身。元陸上自衛官。今年1月ウクライナ入り。

箕作さんとは取材前に電話でやりとりをして、とても明晰(めいせき)な印象を受けていた。陸上自衛隊を退官してから、法曹関係の事務所で貧困支援や就労支援などの仕事をしていたこともあるという。

ただ、決して堅実な経歴ばかりでもない。高校と大学はいずれも中退し、その後は大手港湾会社に勤務。自衛隊を経て法曹関係の仕事に就くも、20代後半で仕事上のトラブルに見舞われ、関西から上京して飲食店の経営を始めた。

キーウ中心部の公園で、現在の状況や心境を語ってくれた元陸上自衛官の箕作さん。現在の訓練は本当に充実しているという キーウ中心部の公園で、現在の状況や心境を語ってくれた元陸上自衛官の箕作さん。現在の訓練は本当に充実しているという

「東京には家も所有していますし、日本での生活はうまくいっていました。義勇兵になると決めてウクライナに来たわけではなく、一番の目的は、いろいろな情報が飛び交う中で、自分の目で実情を確かめたかったからです。

子供の頃に阪神・淡路大震災で被災して、ウチは経済的に苦労しました。誰も助けてくれない。その経験から、東日本大震災の後には、福島の実情を知るために原発作業員としてしばらく働きました。自分の目で見ないとわからないことばかりだと思います」

箕作さんはまずウクライナにいるアゼルバイジャン人の友人を訪ね、2ヵ月ほどウクライナ語の勉強や、飲食店の手伝いをしたという。

「ウクライナ人の本音も聞いて、本当にウクライナのために戦いたいと思い、義勇兵になることを選びました。現在は所属部隊で射撃や救護など基礎訓練をしていますが、充実した内容です。初めて会った海外の兵士たちとも意気投合し、連帯感も生まれました」

銃や防弾ベストなどの装備品以外にも、箕作さんは大事にしているものがある。

「訓練以外の時間は、気分転換に筋トレや読書、散歩などをしています。日本からは一番好きな本の『好色一代男』(井原西鶴)、それと長期滞在を見越してお茶のセットを持ってきました。この戦争は長く続く可能性が高いので、兵士としての給料で別の支援もできればと考えています」

砲撃の際の着弾地点などを計算して正確に割り出すために使用する『Geometric Calculator』というスマホアプリを見せてくれた箕作さん。こうした知識も必須だ 砲撃の際の着弾地点などを計算して正確に割り出すために使用する『Geometric Calculator』というスマホアプリを見せてくれた箕作さん。こうした知識も必須だ

訓練が終われば、箕作さんは軍と契約して前線に向かう予定だ。しかし、義勇兵となるには相応の準備が必要だと強調する。

「もし今、ウクライナで戦いたいと思っている人がいても、お勧めはできません。最低でも入隊の要件は満たしていないと本当に厳しい。なんの情報も当てもなく来た結果、契約もできず周囲に迷惑をかけてしまった人たちの話も聞きます。せめて事前に情報収集をして、どんな不測の事態にも対応できる準備をしてくるのが妥当だと思います」

外国人兵士を待つ現実はきれいごとばかりではない。部隊によっては、作戦のために捨て石になる〝スーサイドポジション〟と呼ばれる任務に割り当てられたり、人種間のトラブルや給料未払いの問題もあるそうだ。いかに自分に合った部隊を探し、適応できるかも重要だ。

東アジアからもすでに日本人が1人、台湾人が1人、ウクライナでの戦闘で命を落としている。彼らの冥福を祈るとともに、義勇兵たちの無事を願ってやまない。

●カメラマン・小峯弘四郎 
神奈川県出身。ロシアのウクライナ侵攻開始以来、ウクライナと近隣諸国の取材を行なう。近年では2015年トルコ・クルド人居住地域の内戦取材、2019年香港民主化デモのドキュメンタリー写真撮影などを手がける