今年4月在留資格を求め国会前で訴える在日クルド人の子供たち 今年4月在留資格を求め国会前で訴える在日クルド人の子供たち

今年6月、在留資格がない在日外国人の母国への強制送還を厳格化する法改正が成立したが、日本で生まれ、もしくは日本で長く暮らす子供はどうするのか、という問題が残った。

ところが、8月4日、政府はそんな外国籍の子供140人に「在留特別許可」を与えると突然発表したのだ。果たして政治の場で何が? その内幕を、立憲民主党のある議員の視点からひもとく――。

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■「在留特別許可」とは何か

日本で育ちながら、日本で暮らす資格を持たない201人の外国籍の子供のうち、140人に在留特別許可を与える――。

先月初めに齋藤健法務大臣(当時、以下同)が発表したこの決断は賛否両論を巻き起こした。全国紙記者は興奮した口調で語る。

「大臣が自身の責任で、トルコ国籍の在日クルド人など外国人の子供140人を一度に救う判断を示しました。私は入管法改正案が出されてから今日までの紆余曲折を見てきましたが、極めて異例の判断だと思います」

この〝異例〟の決断をもたらしたのはなんだったのか。政治の面白さと危うさがギュッとつまった人間ドラマを、今回の政治判断の立役者のひとりともいえる立憲民主党(以下、立民)の寺田学議員の視点を中心に見てゆこう。

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立憲民主党の寺田学衆議院議員(撮影/前川仁之) 立憲民主党の寺田学衆議院議員(撮影/前川仁之)

「出入国管理及び難民認定法」、略して入管法は、日本に出入りする外国人に対し適用される法律で、日本に滞在できる条件などについて細かく定められている。移民の受け入れや規制に直結するだけに、注目度の高い法律だ。

今年3月に政府から国会に提出された入管法の改正案は、

①保護すべき者の確実な保護。

②母国への送還を忌避する外国人問題の解決。

③外国人の収容に関する問題の解決。

と、大きく3方面にわたり現状を〝改善〟しようと練られたものだ。

最大の争点となったのは、わが国で難民申請をする人々の強制送還に関する条件の緩和である(②)。

難民条約批准国である日本では、在留資格を持たない外国人が、条約上の難民としての保護を求めること――難民申請が認められている。いったん難民申請が出されたら、審査を終えるまで、その外国人を母国に強制送還することは禁じられる(送還停止効)。

だが、日本の難民認定率は欧米の先進諸国と比べると極めて低い。ほとんどの人は審査に落ちる。

すると、どうなるか。母国に帰れない事情がある人は、新たに難民申請を出し、審査を待つ間は送還停止効が働き、とりあえずは日本にいられる。

外国人の中には、もっぱら日本にとどまるための手段として難民申請を繰り返す人も出てくるだろう。その結果、難民審査の件数が増えて、①に支障を来す、というのが入管庁(出入国在留管理庁)の言い分だ。

そこで今回の改正案には、「送還停止効の例外」が盛り込まれた。具体的には、難民申請が3回以上になった者や懲役3年以上の犯罪歴がある者などは、たとえ審査中でも送還が可能になる。さらには「退去強制拒否罪」を設けるなど、全体として非正規滞在の外国人を追い出しやすくするのに力点が置かれている。

だが、真に身の危険がある国に送還してしまうと、結果的にその人を死に追い込むことになりかねない。筆者も含め、「反対派」の多くの人が抱いた最大の懸念はそこだ。

一方で、難民認定とは別に、外国人を堂々と日本で暮らせるようにする措置がある。在留特別許可だ。改正案では新たに外国人が自らこれを申請できるようになり、その点は評価できる。

■〝内なる敵〟と呼ばれて

入管法改正案の審議は、今年4月の衆議院法務委員会で始まった。

「本法案の全体像をお示しすることにより、外国人の人権を尊重しつつ、適正な出入国在留管理を実現するバランスの取れた法案であることがご理解いただけると私は考えています」

齋藤法務大臣はそう呼びかけたが、野党からは批判的な質問が相次いだ。

「難民条約の適合性にさまざまな点で疑問がつきますし、条文上も、ちょっと恥ずかしいんじゃないかという条文になっている」(立民・米山隆一議員)

「迫害を受けることがわかっていながら帰すわけですから、最悪の場合、命を落とすことだってあるわけですよ。相当なことをやるわけですよ」(立民・寺田学議員)

4月21日には野党推薦の参考人として難民問題の専門家である橋本直子・一橋大学大学院准教授が招かれ、舌鋒(ぜっぽう)鋭く修正を求めた。

「この法案をこのまま通すということは、最悪の場合には、無辜(むこ)の人間に対して間接的に死刑執行ボタンを押してしまうことに等しいということをぜひご理解ください」

一方で、別の参考人の口からは「まず、日本に逃れてくる真の難民は多くありません」という発言が飛び出す。立場や考え方によって見え方が変わる。真実がいつもひとつとは限らない。ただこれだけは確かだった。

このまま通したらまずい。

与党もそれは承知だった。

野党からの激しい攻撃を受け、4月20日、自民党は日本維新の会(以下、維新)と共に修正協議に入ることを決める。維新は自党の要望を入れ込めれば賛成する方針で、立民にも声をかけた。

ところが、立民の政調会長である長妻昭議員が「われわれの対案がほぼ入るなら別だが、そうでないなら(協議に)加わることはありえない」(4月20日、時事通信配信の記事より)と、その誘いを突っぱねた。

かと思うと、翌21日に始まった与野党間の修正協議には立民も加わっていた。

立民はなんだかふらふらしていた。しかしその中で、明確な意思を示していたのが、同党の法務委員会筆頭理事である寺田議員だった。彼は当時をこう振り返る。

「僕はこのような対決法案で、採決阻止が難しい場合は、歩み寄って少しでも成果を出すのが課題だと考えていました。その態度が、廃案を求めて活動しておられる弁護士さんには敵と見えたようで、一部の方からは、(立民の)〝内なる敵〟などと呼ばれて、ほかにもいろいろ罵詈雑言を浴びせられました。

でも、両極端の意見しか出なかったら建設的な話し合いは持たれないでしょう。大事なのは、法相に直接訴えかけられる質疑の機会を最大限に生かして、成果を引き出すことです。入管法の場合ですと、少しでも多くの方が救われるよう、修正を目指しました」

寺田議員も、原案のままの改正案には反対だ。しかし、廃案にこだわるあまり協議を拒否し、採決を急ぐ与党による〝無修正採決〟を招いてしまうのは悪手中の悪手だ。だから修正協議に参加するし、質疑も続ける。

こうして始まった修正協議で立民が特に強く求めたのは、2回目の難民審査をより厳正中立に行なうための「第三者機関の設置」と、在留特別許可を与える際に「児童の利益」が考慮されるようにすること、などだった。

これに対し与党は4月25日に出した修正案で、在留特別許可については「『家族関係』に『(児童の利益を含む。)』を追記し、児童の利益を考慮すべきことを条文上明記」する、という歩み寄りを見せた。また第三者機関の設置については、附則条項として「検討することを明記する」とこちらも譲歩した。

前出の全国紙記者は語る。

「この修正案には驚きました。政府・与党のメンツにこだわらない大幅な譲歩です。

これで在留資格のない子供約200人について、強制送還をせず、大臣個人の裁量にゆだねることなく、在留特別許可を出しやすくなりました」

■「子供を救うのも大事だけど......」

だが、立民は前出の長妻議員が「修正が少し載ったからといって賛成はできない」(4月27日、産経新聞配信の記事より)と一蹴。与党からの千載一遇の譲歩は泡と消えた。寺田議員は悔しそうに振り返る。

「途中から、党内の協議反対派の方々の言動が常軌を逸したものになっていきましてね。

反対しない人には、反対派の幹部から電話がかかってきて反対を促したり、さらには反対していない議員の個人名がツイッター(現X)で拡散されたり......。そのうち協議に前向きだった人も口をつぐむようになってしまい、ちょっと異様な状況でした」

寺田議員が続ける。

「目の前にいる子供たちを救うっていうことが勝ち取れたら、党内の反対派の人たちも、そっちを優先的に考えてくれるはずだと思ってたんです。ところが猛反対は終わらない。

ある幹部は『子供を救うのも大事だけど、対案のほうが大事だ』とさえ言ってましたから。『たとえ子供は助かっても、今まで一緒に戦ってきた弁護士さんたちに顔向けできない』と言っていた人もいました。

結局、政治で誰かを救いたいという気持ちより、体面を大事にするのかって知って、絶望的な気分になりました」

■思いが通じ合った瞬間

入管法改正案は結局、原案に近い形で通り、6月に参議院でも可決、成立した。

それからふた月あまりたった8月4日金曜日、齋藤法務大臣は臨時の記者会見を開き、条件を満たす子供については「家族一体として日本社会との結び付きを検討した上で在留特別許可をしたい」との方針を示した。

立民が修正を拒否して以来、中ぶらりんになっていた「子供の利益」を考慮する形で在留特別許可が一括認定されるのだ。

寺田議員は感激した。彼自身が、この決断に至る伏線のひとつをつくったと自負するだけに、いっそう。

彼は、4月21日午後の法務委員会で自分が行なった質疑に手ごたえを感じていた。それはこんな内容だ。

「彼ら(200人以上いる、在留資格のない子供)には帰る国もふるさともないです。自分も9歳の子供がいるんですけれども、生まれた場所が違っただけでこんなに苦しい思いをしているんだなと思うと、なんともできません」

「大臣、本当に繰り返しになりますけれども、何とぞ、こういう子供たちに普通の生活が送れるようにお力を貸してほしいです。法律改正もいらないです。国会の承認もいらないです。大臣が持っている権限ですることはできると思います。判断ひとつでその子らを助けられるという貴重な権限を大臣はお持ちになっていると思います」

「子供たちが望むのであれば、在留特別許可をその子らに与えてほしいと。(中略)本当にこのとおりです。なんとか助けてやってください」

190㎝近い長身の寺田議員が平身低頭、声にナチュラルな泣きを含ませて訴える姿に動かされるものがあったのだろうか。大臣は人間味ある答弁で応じた。

「私も子供をふたり育てましたし、実は非常に厳しい状況で、ものすごく悩みながら育てた経験があります。(中略)今の寺田さんの思いは重く受け止めて、微力ではありますけれども、私が何ができるかということは真剣に検討していきたいというふうに思っています」

永田町の一角に、つかの間浪花節が流れた。寺田議員はこう話す。

「その日の夜、(齋藤)大臣から珍しくメールが来て、『今日の質問には感銘を受けた』という言葉をいただきました。あのときに改めて、大臣の中でスイッチが入ったのかなあ、という気はいたします」

ただ、4月18日の法務委員会で齋藤法相が「子供の利益の保護の必要性」に言及したことから、子供に在留特別許可を与えるのは、与党の既定路線だ、とする見方は当時からあった。

実際のところはどうだったのだろうか。齋藤法相に取材を申し込んだが、「事柄の性質上、法務大臣としてお答えすることが困難でございます」(法務省大臣室)との回答だった。

そういうことなら、政治に希望を持てるほうを信じよう。対立ではなく対話の姿勢を貫いた寺田議員の情と論理が、齋藤法相を動かしたのだ、と。そっちに賭けたい。

最後に寺田議員に訊(たず)ねた。

「27歳で政治家になられて20年。言葉で状況を動かせた、と実感なさったことはどれくらいありますか?」

「正直、質疑で人を救えたのは今回だけですね」

即答だった。

「だからこそ国会質疑の意義、強さ、可能性を感じましたし、本当に大事にしていかないとなあと思います」

言葉はまだ、生きている。

●前川仁之(まえかわ・さねゆき) 
1982年生まれ、埼玉県立浦和高校卒業、東京大学理科Ⅰ類中退。人形劇団、施設警備など経て、立教大学異文化コミュニケーション学部に入学。在学中の2009年、スペインに留学。翌年夏、スペイン横断自転車旅行。大学卒業後、福島県郡山市で働いていたときに書いた作品が第12回開高健ノンフィクション賞の最終候補に。近著は『逃亡の書』(小学館)