賛成4割、反対6割。2022年の夏、凶弾に倒れた元首相の国葬を巡って、国論は二分した。史上最長の在任期間を誇った故人への賛美と、未解明のまま葬り去られようとしているスキャンダルを糾弾する声とが、各地で正面から衝突する......はずだった。しかし「国葬の日」に全国に置かれたカメラがとらえたのは、そんな光景ではなかった。
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■見えない「世論」を映し出す
2022年9月27日、選挙応援の遊説中に銃撃され死亡した安倍晋三元首相の国葬が、東京・日本武道館で執り行なわれた。首相経験者の国葬は6人目だが、太平洋戦争後では吉田茂のみで、直前の世論調査では各社ともおおむね反対6割に対し、賛成は4割にとどまっていた。
ただし、安倍氏死去の2日後の参議院選挙では自民党が大勝している。安倍内閣末期から菅内閣、岸田内閣と政権が代わっても支持率が50%を超えた期間は短く、不支持率が上回ることさえ多かったにもかかわらず、である。
本当に世論は二分し、日本人は分断しているのか。その疑問にカメラを向けたのが、衆議院議員・小川淳也氏を17年かけて追った『なぜ君は総理大臣になれないのか』や、小川氏と自民党・平井卓也氏が争う選挙戦を描いた『香川1区』などで知られる、ドキュメンタリー映画監督の大島 新氏だ。しかし、プロデューサーから国葬を題材にした企画を提案されても、当初は食指が動かなかったと言う。
「安倍さんの死後、旧統一教会を巡る問題がどんどん明らかになって、国葬への反対派が増えていきましたが、私はどこか半信半疑でした。
安倍政権の末期には、コロナ対策の失政で国民の不信感が高まり、政権への支持率が30%台だったのに、安倍さんが持病を理由に2度目の退陣を表明した途端に、支持率が約15ポイントも上がりましたから。
私自身は国葬には反対でしたが、世論が情緒や同情で簡単に動くことにしらけた思いが強く、ピンとこないまま国葬をテーマに映画を作ることが嫌だったんです」
そんな大島氏の胸に火をつけたのが、安倍氏を銃撃した山上徹也容疑者(当時)をモデルにした足立正生監督の映画、『REVOLUTION+1』を巡る騒動だった。抗議を受けた劇場のひとつが上映中止を決めたこの映画が、国葬の前後数日にかけて緊急上映されるというのだ。
「作品としてどうこうではなく、83歳の老監督が極めて短期間で映画を撮り上げ、体を張って批判の矢面に立とうとしているのに、ドキュメンタリーの作り手として何もしなくていいのか、と思ったんです」
国葬の日に全国の複数箇所で同時撮影するというアイデアが浮かんだのは、3日前のことだったという。
撮影場所は、千鳥ヶ淵の献花会場や『REVOLUTION+1』の上映会場を含む東京の数ヵ所と、沖縄の辺野古新基地建設地前、福島の原発周辺地域、銃撃現場となった奈良の近鉄大和西大寺駅周辺、広島、長崎......安倍氏となんらかの意味で縁の深い場所が多い。
そんな企画意図を面白がってくれたディレクターやカメラマンの人員がそろったのは、国葬前日の夕方のことだった。
■分断すらしていない日本の曖昧さ
総理在任期に街頭演説で発せられた「安倍やめろ」コールに対して、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言い放つなど、安倍元首相は対立構造を鮮明にすることで、自身の支持層との結びつきを強固にしてきた。そのため、安倍政権以降の世相を「分断の時代」と形容するマスメディアは多い。
確かにこの映画の中でも、辺野古で座り込む沖縄の人々や日比谷公園で「アベ国葬反対」のプラカードを掲げる人たちと、千鳥ヶ淵で献花する人々が容易に手を取り合えるとは思えない。
しかし、それを分断と呼ぶのであれば、日米安全保障条約やイラク戦争への自衛隊派遣など、さまざまな問題を軸に、どの時代でも分断は起きていたはずだ。
むしろこの映画が雄弁に語るのは、私たちが「分断」と呼ぶにはあまりにも曖昧で不鮮明な現実を生きているということだ。
「ある程度予想してはいましたが、この国はいまだ『分断』にすら至っていないのだと痛感しました。編集が終わった映像を見ての率直な感想は、困惑そのものでした。
ひとつは賛成でも反対でもない、そもそも関心すら持っていない人の多さと、私も含めた左派・リベラルの声がその層にまったく届かなくなっているという、二重の困惑です」
各地でのインタビューに答えてくれた人たちの中で、大島氏に最も強い印象を残したのは、銃撃事件の現場で安倍元首相への思いを語ってくれた大学生だった。
事件の10日ほど前に奈良県内での街頭演説を聴きに行き、コロナ禍以前には安倍氏とハイタッチまで交わしたと話す彼は、スマートフォンに保存した安倍氏とのツーショット写真をカメラに向ける。
「一番の功績は安全保障」「突然いなくなってしまって悲しい」と語るその声は穏やかで、国粋主義への傾斜や左派への嫌悪感などは、まったく感じられない。
「あれほどの長期政権となると、物心がついてから首相はずっと安倍さんだったという人も多いんですよね。私の子供もあの学生さんと同世代ですけど、安倍さんをどう思っているのかなんて怖くて聞けません(笑)。
映画には、沖縄で長く基地反対運動をリードしてきた方や、国葬反対デモを行なう作家の鎌田 慧さん、落合恵子さんの姿も出てきます。いずれも尊敬してやまない方々ですが、その言葉が若者にはまったく響かなくなっている。政治的な対立よりも、むしろこの分断のほうが深刻なのではないかと思います」
安倍元首相の地元である山口県下関市では、安倍事務所に献花に訪れた人々が、詰めかけた報道陣に故人への思いを語り、感極まって嗚咽(おえつ)を漏らす人もいる。同じ下関の喫茶店では、女性店主が「やっぱりなんとかかんとかいっても見たいものね」と言いながら、テレビの国葬中継を眺める。
「安倍さんはどういう存在か」と問われても、「存在(感)ないです」「事務所も(どこにあるのか)知らんぐらい」と返す彼女は、国葬についても「反対する人の意味もわかるし、賛成する人のこともわかる」と、つかみどころがない。
被爆地である長崎では、国葬反対のデモを遠巻きに眺めながら「あれはおかしかろ。みっともなかった」と語る初老の男性もいた。彼自身も国葬には反対ではあるが、「反対するなら昨日まで」というのがその理由だそうだ。
「おかしいと思ったら投票に行って政権を代える。あるいはデモに参加する権利もあるし、声を上げることに早いも遅いもない。それは当然の権利のはずなんだけど、『お上』が決めたことを覆そうとすることへの嫌悪感は根強い。
あの方だけでなく多くの日本人がそうであるはずで、私たちのマインドに民主主義は根づいていないのだなと再確認しました」
故人にゆかりのある地でも、戦後日本を象徴する土地でも、名うてのドキュメンタリー作家を困惑させる雰囲気は強い。
■「困惑」を出発点として
大島氏が最も「自分と近い」と感じたのは、沖縄でカフェを営む女性だった。女性は辺野古について、反対の声を叫び続ける人たちはいても「全体的には諦めのムードになっていますよね」と言う。
東京の国葬反対デモに参加した人々も「1週間ぐらいしたらスーッと、今までの生活モードに戻っていくと思います」と、静かな怒りと諦念がない交ぜになったような表情を浮かべる。
「この映画では、国葬とは無関係の『生活モード』の人々も、しっかりと映像に収めたいと考えていました。新宿駅西口の喫煙所にはいつもと同じように人があふれているし、国葬会場の日本武道館や千鳥ヶ淵のある皇居周辺ではいつもと同じようにランニングする人々もいて、開店前のパチンコ屋には行列ができている。
福島県大熊町では、震災で廃業したスーパーが片づけられないまま残っていて、水道から滴る水の音が響き続けている。この企画をやっていなかったら、私も喫煙所でたばこを吸っていたひとりかもしれません」
10ヵ所の撮影地でとりわけ異色といえるのが、撮影の数日前に台風による浸水災害に見舞われた静岡の清水区だ。国からの経済的・人的支援は滞り、自宅が被害を受けた高齢の女性は「国葬をやる費用を、災害の人たちに分けてほしい」と訴える。
彼女の家を片づけるのは、ボランティアでやって来た地元高校のサッカー部員たちだ。「帰りにラーメンでも食べて」と彼女が出す1万円札を、「おばあちゃん、ボランティアよ、僕ら!」と彼らは固辞するが、彼女の強い意思に折れて受け取り、「こっそり募金に回す」と小声でカメラにささやく。
「水がない人がカップラーメンなのに、俺らだけおいしいラーメン食えないですよ」と話す高校生たちの健全なリアリティは、この映画で唯一、思想や立場を問わずに共感を集めるに違いない。
しかし、被災者の日常を取り戻そうと無償で働く彼らと、国葬当日にパチンコ屋に並ぶ人々の姿は、どちらもこの社会の「生活モード」の強靱(きょうじん)さを示しているともいえる。これは善悪ではなく、現実というコインの裏表に過ぎないのだろう。
「映画に関しては、すごく面白いものが撮れたと思っています。では、この撮れてしまった状況がなんなのか、この状況をどうすれば打破できるのかと考えると、ひたすら困惑するしかない。だからあらゆる立場の人に見てもらって、一緒に困惑してほしいと願っています」
●大島 新(おおしま・あらた)
1969年生まれ、神奈川県出身。ドキュメンタリー監督、プロデューサー。1995年早稲田大学第一文学部卒業後、フジテレビに入社。『NONFIX』『ザ・ノンフィクション』などドキュメンタリー番組のディレクターを務める。1999年にフジテレビを退社し、フリーランスとして活動。『情熱大陸』『課外授業 ようこそ先輩』などを演出。2009年に映像製作会社ネツゲンを設立。主な監督作に衆議院議員・小川淳也の17年を追った『なぜ君は総理大臣になれないのか』(2020年、第94回キネマ旬報文化映画ベスト・テン第1位)、小川や自民党・平井卓也らが出馬した第49回衆議院選挙を与野党両陣営の視点から描いた『香川1区』(2021年)などがある。