法学者である最高指導者ハメネイ師と隷下の官僚機構がイラン国家の最高意思決定機関。軍の指揮権や宣戦布告の権限も握っている 法学者である最高指導者ハメネイ師と隷下の官僚機構がイラン国家の最高意思決定機関。軍の指揮権や宣戦布告の権限も握っている

あの国が参戦すると「中東大戦争」に発展してしまう――。アメリカをはじめ国際社会が最も警戒しているのが、ペルシャ湾北岸の大国イランの存在だ。「イスラエル抹殺」を国是として公言する特異なイスラム国家は今、何を考えているのか?

■イスラエルに死を! アメリカに死を!

米国防総省は10月27日、中東地域へ約900人の米兵を追加派遣すると発表した。10月17日以降相次いでいる、イラクやシリアに駐留する米軍の基地に対するロケット攻撃やドローン攻撃に対応するための、対空ミサイル運用部隊の増派だ。

これらの攻撃は、イラクやシリアなどで活動するイスラム教シーア派民兵組織によるものだ。また、時を同じくしてレバノン南部の「ヒズボラ」、そしてイエメン北部を実効支配するシーア派組織「フーシ派」も、イスラエルに対する攻撃の度合いを強めている。

こうしたシーア派組織のスポンサーであり育ての親でもあるのが、中東におけるシーア派の領袖(りょうしゅう)イランだ。

日本人にとって、イランはもしかすると「親日国」のイメージが強いかもしれない(実際、現地でも日本に対する感情は良好だ)。しかし、現地でたびたび開かれる反イスラエル集会や、テヘラン米大使館人質事件(1979年)が発生した"記念日"に毎年開かれる反米集会では、人々がこんなスローガンを叫ぶ。

「マークバル・イスラエリー(イスラエルに死を)!」

「マークバル・アメリカ(アメリカに死を)!」

イランでは反アメリカ、反イスラエルの集会に少年たちも参加。イスラエルは「絶対悪」、アメリカは「巨悪」 イランでは反アメリカ、反イスラエルの集会に少年たちも参加。イスラエルは「絶対悪」、アメリカは「巨悪」

かつてヒズボラやハマスの指導者、そしてイスラエルの諜報(ちょうほう)機関モサドの長官を直接取材した経験がある国際ジャーナリストの河合洋一郎氏が解説する。

「イスラエルにとって、イランは非常に不気味な存在だと思います。1979年のイスラム革命以来、国家指導者が『シオニスト国家イスラエルを抹殺する』と公言し、実際にそのための兵器(=核兵器)を開発していた上に、イランの息のかかったヒズボラ、ハマス、『イスラム聖戦』などのテロの標的にされてきたわけですから」

サウジアラビアを中心とするスンニ派の湾岸諸国は、対イランのカウンターパートとしてアメリカと関係を築き、多くの国に米軍が駐留。一方、シーア派の親玉イランは「三日月地帯」を中心に武装勢力を支援・育成し、勢力圏のフロントラインとしている サウジアラビアを中心とするスンニ派の湾岸諸国は、対イランのカウンターパートとしてアメリカと関係を築き、多くの国に米軍が駐留。一方、シーア派の親玉イランは「三日月地帯」を中心に武装勢力を支援・育成し、勢力圏のフロントラインとしている

アメリカもイランにとっては79年以来の宿敵だ。

「アメリカからすれば、手塩にかけて育てたパーレビ王朝を革命で潰されたのみならず、大使館を占拠されて444日間も人質を取られ、世界に恥をさらした。

一方、イランの現体制からすれば、アメリカは80年代のイラン・イラク戦争でイラクを徹底的に支援し、化学兵器の使用にも目をつぶった上、2001年の9・11同時多発テロの後にはイランを『悪の枢軸』と名指しした存在です」

では、そのイランにとってイスラエルとハマスの戦争にはどんな意味があるのか? それを分析する前に、もう少しイランという国家の特殊性を深掘りしてみよう。

■北朝鮮軍にも近い革命防衛隊のドクトリン

「イスラム圏」とひとくくりにされがちな中東諸国の中でも、イランは異質な存在だといわれる。河合氏が続ける。

「イランという国家の最大の特徴は、イスラム法学者により統治されている点でしょう。大統領はあくまで行政府の長にすぎず、法学者である最高指導者(現在は2代目のハメネイ師)が行政、立法、司法など国政全般の最終決定権、大統領の罷免(ひめん)権を持ち、軍の最高司令官でもあります。

ちなみに従来、シーア派には『宗教的賢者は王にアドバイスはするが、自ら統治はしない』という教義がありました。しかし、イスラム共和制初代最高指導者のホメイニ師は、革命で権力を奪取する前に『政府は宗教的賢者によって運営されるべきだ』と変更した。

これは宗教的賢者に指導されていない政治体制を否定するのと同じですから、世界のほとんどの国の政府は『正当性がない』ことになってしまいます。

私は以前、ヒズボラの初代議長サブヒー・トゥファイリ師にその点について尋ねたのですが、『いや、それはダール・アル・イスラム(イスラム圏内)での話だ。日本人のおまえが心配しなくてもよろしい』と言っていました」

そのイランの国家戦略においてひときわ重要な存在が、正規軍とは別に編成されている最高指導者直轄の「革命防衛隊」だ。現地で革命防衛隊を何度も取材した経験のあるフォトジャーナリストの柿谷哲也氏はこう語る。

「革命防衛隊の重要施設の外壁には見事なカリグラフィーが掲げられているのですが、思わずカメラを向けシャッターを切ったら、すぐに隊員が追ってきて写真を消去させられました。また、テヘラン北部の軍事博物館の裏で訓練中の革命防衛隊に近づいたところ、いきなりライフルを向けられたこともあります。

革命防衛隊は特殊部隊と情報組織、そして戦略兵器に重点を置く特殊な軍で、外国軍との共同訓練も行ないません。独自の軍事ドクトリンや武器体系は北朝鮮軍に近いものがありますが、イスラム法学者である最高指導者が選ぶ司令官を頂点とし、ジハード(聖戦)を名誉とする革命防衛隊にはより強い意志が感じられます」

革命防衛隊の兵力は15万人程度で、傘下の民兵組織バスィージ(約9万人)も有事には戦力に。特殊部隊のクドス部隊は1万~2万人と推測される 革命防衛隊の兵力は15万人程度で、傘下の民兵組織バスィージ(約9万人)も有事には戦力に。特殊部隊のクドス部隊は1万~2万人と推測される

前出の河合氏が、その背景を解説する。

「革命防衛隊は79年の革命の3ヵ月後、前王朝に忠誠を誓っていた国軍が反乱を起こしても対抗できる独自の軍事力を求めたホメイニ師により創設されました。

その任務には、海外に逃亡した王朝時代の政府・軍高官の暗殺、そして各国の反政府勢力の支援も含まれ、82年にレバノンでヒズボラの結成を助けた約1500人のイラン人も革命防衛隊のメンバーでした。

88年には、そうした任務を行なっていた部署が特殊部隊『クドス部隊』として独立しています。なお2020年1月には、イランで最高指導者に次ぐ2番目の実力者といわれたクドス部隊司令官カセム・スレイマニが、イラクのバグダッド空港付近の道路で米軍の無人機による空爆で殺害されています」

■アメリカとイランの危険なチキンレース

『米国とイランはなぜ戦うのか?』(並木書房)の著作がある国際政治アナリストの菅原出(いずる)氏は、現在のイランにおけるクドス部隊の役割をこう説明する。

「イランの防衛思想はロシアと似ていて、自国と敵の間に緩衝地帯のようなフロントラインを作り、そこで守るという発想です。そのフロントラインを担うのが自分たちの"代理勢力"、つまり国外のシーア派組織であり、クドス部隊は長年、そうした勢力を育成・支援してきました」

2020年に米軍が空爆で殺害したクドス部隊司令官スレイマニは、特殊工作のスペシャリストにして国民の英雄だった。葬儀には数百万人が参加 2020年に米軍が空爆で殺害したクドス部隊司令官スレイマニは、特殊工作のスペシャリストにして国民の英雄だった。葬儀には数百万人が参加

そのイランにとって、イスラエルとハマスの戦争はどんな意味を持つのか?

「イランはイスラエル抹殺を掲げてはいますが、現時点でそれは現実的ではない。となれば、望ましいのはイスラエルとアメリカが国際社会で孤立することです。イスラエルのガザ地区に対する過剰なまでの報復攻撃やパレスチナに対する長年の抑圧がクローズアップされ、反感が広がっている今の状況はイランにとって悪くないはずです。

一方で、アメリカと同じくイランも自国の本格参戦は望んでいません。全面戦争となると、アメリカはペルシャ湾南岸のアラブ諸国にある米軍基地からイランを攻撃してくるため、イランはそこを叩かざるをえない。そうなると、湾岸諸国は必然的にアメリカ側について参戦せざるをえない。これはイランにとって最悪の展開です。

ただしイランからすると、ハマスという対イスラエルの重要アセットが完全に潰されるのも望ましくない。また、この状況でイランがハマスになんの支援もしなかったとなれば、ほかの親イラン勢力からの信頼も揺らいでしまう。

そのため、ハマスを助ける形で参戦したいという勢力に対してはOKを出し、イスラエルや米軍への攻撃をある程度やらせているというのが現状でしょう」

イラン正規軍は自国防衛が主任務だが海・空軍の近代化は遅れている。映画『トップガン』(1986年)で有名なF-14(写真)も世界で唯一、まだ現役だ イラン正規軍は自国防衛が主任務だが海・空軍の近代化は遅れている。映画『トップガン』(1986年)で有名なF-14(写真)も世界で唯一、まだ現役だ

こうした攻撃で米軍には20人以上(11月2日時点)の負傷者が出ているが、今のところ反撃は極めて抑制的・限定的だ。菅原氏が続ける。

「つまり今は、中東へ空母を派遣して圧力をかけているアメリカと、代理勢力に攻撃をさせているイランが互いに『エスカレートさせているのはそっちだ』と言い合うチキンレースになっている。おそらくイランは、アメリカの反撃の程度を見て『まだいける』と判断すれば、攻撃の度合いを強めるでしょう。

イランにとって理想の展開は、エスカレーションを恐れる米バイデン政権の腰が引けてイスラエル支持のトーンを弱め、イスラエルがますます孤立することです。

さらに、2010年代の対IS(イスラム国)作戦以降、イランやシリア――つまりイランにとっての勢力圏内に駐留している米軍をこの機会に追い出すことまでできれば、これ以上の果実はありません」

ただし、チキンレースには「まさか」がありえる。パレスチナの被害がさらに拡大し、親イラン勢力のコントロールが利かなくなり、それに対してイスラエルが過剰反応し、イランも巻き込まれ、そして米軍も......。そんな「中東全面戦争」の危険性をはらんだ駆け引きが当分は続きそうだ。

小峯隆生

小峯隆生こみね・たかお

1959年神戸市生まれ。2001年9月から『週刊プレイボーイ』の軍事班記者として活動。軍事技術、軍事史に精通し、各国特殊部隊の徹底的な研究をしている。日本映画監督協会会員。日本推理作家協会会員。元同志社大学嘱託講師、筑波大学非常勤講師。著書は『新軍事学入門』(飛鳥新社)、『蘇る翼 F-2B─津波被災からの復活』『永遠の翼F-4ファントム』『鷲の翼F-15戦闘機』『青の翼 ブルーインパルス』『赤い翼アグレッサー部隊』『軍事のプロが見た ウクライナ戦争』(並木書房)ほか多数。

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