高口康太たかぐち・こうた
1976年生まれ。ジャーナリスト、翻訳家。中国の政治、社会、文化を幅広く取材。独自の切り口から中国や新興国を論じるニュースサイト『KINBRICKS NOW』を運営。著書に『幸福な監視国家・中国』(梶谷懐との共著、NHK出版新書)、『なぜ、習近平は激怒したのか』(祥伝社新書)、『現代中国経営者列伝』(星海社新書)など。
10月24日、中国における国会・全国人民代表大会で「愛国主義教育法」が成立した。これ、実は香港のみならず台湾人や海外に住む中国人をもターゲットにしたキツい思想統制策だ。この法律のヤバさを、ジャーナリストの高口康太(たかぐち・こうた)氏が読み解く!
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【中国は世界史上最古の国のひとつであり、中国の各民族人民は共に輝かしい文化を創造し、統一された多民族国家を創建した。国は全人民に対して愛国主義教育を展開し、中華民族と偉大なる祖国への感情を育成、強化する。民族精神を継承し、国家観念を増強し、すべての愛国力量を壮大にさせ、統一し、愛国主義を全人民の確固たる信念、精神力量、自覚的行動とする】
なんともいかめしい文章だが、これは10月24日に中国で成立したばかりの法律の条文だ。「愛国主義教育法」という名のこの法律は、来年1月1日から施行される。
中国は社会主義国で中国共産党の一党独裁というお国柄だが。北朝鮮とは違う。ビールを飲みながら欧州サッカーや米NBAを鑑賞するし、ヒップホップも大人気。世界のコスメやファッションのトレンドもすぐに入ってくる。
街中を歩いていると、どこが社会主義なのかさっぱりわからないぐらいに、資本主義を謳歌(おうか)している国なのだ。
その一方で過去30年にわたり愛国主義教育が続けられ、特に習近平体制になってからはさらに力を入れるようになった。享楽的な消費社会と、先祖返りしたかのようなプロパガンダが共存する不思議な世界が出現している。
今回、成立した法律は、習近平の愛国主義路線のさらなる徹底を企図したものだが、その中身を見てみたい。
まず、真っ先に挙げられているのが中国共産党の歴代指導者の思想だ。マルクス・レーニン主義から始まり、「習近平による新時代の中国の特色ある社会主義思想」に至るまで、みっちり叩き込まれることになる。
第2に歴史。習近平体制になってから中国の公式の歴史観は修正されている。ひたすら中国共産党の功績にフォーカスし、そのおかげで中国の独立と民族の統一を勝ち取り、豊かな国にしてきた、としつこく説明される。その目的は習近平総書記肝いりで編纂(へんさん)された、新たな歴史観を国民にインプットすることだ。
そのほかにも国家統一、民族団結、国家安全、国防の重要性を学ぶことや、過去の英雄たちの事績を学ぶことなどが挙げられている。変わり種としては「紅色資源の保護、紅色旅行モデル区の建設」というものもある。
紅色資源とは中国共産党に関する史跡のこと。その〝名所〟をたどる革命旅行を人民の娯楽にしたいらしい。学校の遠足の目的地にするなど、楽しい愛国を目指した取り組みが続く。
この法律の対象は学校だけではなく、中央省庁、地方自治体、軍、企業、労働組合、マスコミ、さらには宗教団体まであらゆる組織に及び、それぞれの管轄内で愛国主義教育を推進することが求められている。例えば企業については次のように定められている。
【企業、公共団体は愛国主義教育を(従業員の)教育計画に組み込まなければならない。労働模範精神、労働精神、職人精神を広め、経営管理、業務研修、スポーツイベントなどと組み合わせて愛国主義教育を展開しなければならない】
これは外資企業も例外ではない。今後は中国に支社を置く日本企業は、新人研修や社内球技大会とかに〝愛国〟要素を盛り込む対応が必要になるかもしれない。
これはまだ笑い話の範囲だが、もっとしんどい話もある。昨年、伝統衣装の漢服を着ていた女性が警察に拘束される事件が起きた。なぜか漢服が和服と誤解され、「民族感情を損ねた」と判断されたという。これを愛国主義がいきすぎた警察が暴走しただけ、と見ることはできない。
なぜなら現在、中国政府が審議している「治安管理処罰法」の改正案の中には新しくこんな規定が盛り込まれたからだ。
【(中華)民族感情を傷つける服を着たら最大で15日間の拘束、10万円以下の罰金】
むしろ法律がトンデモ話に合わせてきているのだ。
これまでも中国では「京都の街並みを再現した商業施設を造ったら、ネットの批判殺到で閉鎖」「日本式夏祭りイベント開催に批判」といった日本関連の炎上があちこちで起きているが、愛国主義教育法はこの流れに国のお墨付きを与えるものになりかねない。
愛国主義教育の強化を中国人や現地に住む日本人はどのように見ているのか。
小学生の息子を持つ中国人のLさん(天津市在住、30代女性)は「自分が子供の頃よりも愛国主義の授業の時間は増えています。もっと受験に役立つ授業を増やしてほしい」と愚痴を言っていた。
一方で「私は不安です」と話すのは、上海市の日本人駐在員Tさん(40代男性)。中国人女性と結婚し、子供は現地の小学校に通っている。
「先鋭化した愛国主義教育によって、子供たちがどういう大人になるのか。今の中国人も国際社会とのズレがありますが、その違いは今後もっと大きくなる気がします」
習近平体制成立からわずか1年後の2013年、中国共産党は各大学への思想統制を強化した。「普遍的人権、言論の自由、市民社会、市民の権利、共産党の歴史的過ち、(中国共産党内の)権力者・資産家、司法の独立」を大学教員が話すのは禁止という内容だ。
それまでは、ゼミでこっそり共産党を批判する教員もいたが、今や通報されると大事件になってしまう。
中国北部の大学に勤務する日本人教員Yさん(40代、男性)はこう話す。
「大学教員に対する締めつけも厳しくなって、中国共産党に関する研修も毎年あります。研修後のテストが難しくてびっくりしました。中国共産党党員でも解けない超難問で、最終的にはカンニングペーパーが配られて全員合格となりましたが(笑)」
Yさんによると、以前の大学生たちは社会問題に興味を持ち、政治の話題を議論する人が多かったが、最近ではほとんどいなくなったという。
「政治的発言をするのが怖いというよりも、正しい発言が決まっているので、議論しようがないのでは。党員になる学生も増えましたが、就職難の中、有利な資格のひとつというノリです。党員活動はかなり時間が取られるので勉強がおろそかになりがちなのは、教員としては困りますが」
政治の話をしても面白くないからノンポリ化したというわけだ。ただし、なんとなく反米、とりあえず中国政府を支持といった、カジュアルな愛国ムードは広がっている。
最近では中国通信機器・端末大手ファーウェイのスマートフォンが爆発的な人気となっているが、先端半導体の国内製造に成功したこと、そして【(米国よりも)われわれははるかにリードしている】という中国人の自尊心をくすぐる同社製品のキャッチコピーがヒットしたという。
今や販売台数でテスラを追い抜こうとする中国EV(電気自動車)の最大手BYDの動画CMも露骨だった。本来はライバルであるはずの中国メーカーを列挙し、【ともに! 中国の自動車】とのメッセージを打ち出した。中国企業同士の戦いではなく、中国国産メーカー全体を支持しようという空気感が広がりを見せている。
厄介なのは、この愛国主義教育法の影響は中国本土だけにとどまるものではない、ということだ。
同法第23条では香港、マカオ住民の愛国精神強化についても言及されている。かつて香港の学生は愛国主義教育に反対し、それが雨傘運動(14年)などの大規模な抵抗運動につながっていったが、中国政府は改めて教育統制強化を宣言したわけだ。
そして、この統制は台湾もターゲットにしている。
【台湾同胞を含む、すべての中国人民に祖国統一の大業完成という神聖なる職責に対する認識を高める。(中略)〝台湾独立〟の分裂行動に断固反対し、中華民族の根本的利益を擁護する】
中国と台湾は統一すべきという認識を持つことは、台湾人にとっても義務だというわけだ。これは台湾人が台湾独立を主張したり、毛沢東や中国共産党を批判したりすることも〝法律違反〟として、中国が台湾になんらかの干渉をする口実になりうる、ということを示唆している。
台湾の次期総統の最有力候補である頼清徳(らいせいとく)氏は「中国の法律は台湾人民には適用されない。これは常識だ」と発言したが、これは中国への牽制(けんせい)と取ることもできる。
さらには、次の一節を見てほしい。
【国は海外の華僑との交流を強化し、その権益保護と行政サービスに努め、海外華僑の愛国心を高め、愛国の伝統を広める】
中国共産党は華僑ネットワークを利用してきたとはいえ、つながりがあるのはごく一部しかいない。愛国主義教育を通じて、協力的な華僑を増やし、そして反体制派に圧力を加えようとしているのだろう。
ちなみに、法務省入国管理局の「在留外国人統計」によると、日本に在留する中国人は約76万人(22年12月時点)いる。愛国主義教育法は日本にとって無関係、とはいえないかもしれない。
1976年生まれ。ジャーナリスト、翻訳家。中国の政治、社会、文化を幅広く取材。独自の切り口から中国や新興国を論じるニュースサイト『KINBRICKS NOW』を運営。著書に『幸福な監視国家・中国』(梶谷懐との共著、NHK出版新書)、『なぜ、習近平は激怒したのか』(祥伝社新書)、『現代中国経営者列伝』(星海社新書)など。