川喜田 研かわきた・けん
ジャーナリスト/ライター。1965年生まれ、神奈川県横浜市出身。自動車レース専門誌の編集者を経て、モータースポーツ・ジャーナリストとして活動の後、2012年からフリーの雑誌記者に転身。雑誌『週刊プレイボーイ』などを中心に国際政治、社会、経済、サイエンスから医療まで、幅広いテーマで取材・執筆活動を続け、新書の企画・構成なども手掛ける。著書に『さらば、ホンダF1 最強軍団はなぜ自壊したのか?』(2009年、集英社)がある。
イスラム組織ハマスがイスラエルを急襲して始まった軍事衝突に世界の注目が集まる中、難しい立場に置かれている国がある。ロシア軍の侵攻と戦い続けているウクライナだ。世界からの支援がどうなるかわからない中、それでもアピールし続けるゼレンスキー大統領と、アメリカ、ヨーロッパ、ロシアの本音とは。
* * *
イスラエル軍によるガザへの地上侵攻が本格化し、混迷を深めるパレスチナ問題。民間人を中心としたパレスチナ側の死者は1万人を超え、深刻な人道上の危機に即時停戦を求める国際世論が高まっているが、欧米諸国の支持を後ろ盾としたイスラエルが強硬な姿勢を崩す様子はない。
そんなガザ問題の影響で深刻な危機に直面しているのが、〝もうひとつの紛争地〟であるウクライナのゼレンスキー大統領だ。
「最大のスポンサーであるアメリカの関心が一気にイスラエルへと移ってしまったのは、ロシアとの戦争が膠着(こうちゃく)状態にあるウクライナにとって大きな衝撃です」と語るのは、アメリカ現代政治が専門の上智大学教授の前嶋和弘氏だ。
「もともと、アメリカのウクライナ問題に関するメディア報道は日本と比べても少なく、世間も『ウクライナにはかなり武器もお金も出したけど、その割に反転攻勢があまり進んでないよね......』と冷めてきていました。
そして戦況が膠着状態に陥る中で『いつまでアメリカは青天井の援助を続けなきゃいけないんだろう......』という空気も広がり始めていたのです。特に共和党側からは『ウクライナへの支援を減らすべきだ』という議論まで出ていました。
そこにガザ問題が追い打ちをかけた。10月7日にハマスがイスラエルへの越境攻撃を行なうと、バイデン政権はすぐさま『イスラエルの全面支持』を表明。これによりウクライナとの二正面作戦を強いられることになるのですが、政治的に見てもアメリカにとってイスラエルの存在というのはやはり大きいんです」
そこには宗教的な背景がある。
「まず、大前提として民主党も共和党もイスラエル全面支援というのは変わりません。その上で民主党は基本的に『イスラエルとパレスチナの2ヵ国共存』を支持する立場なのに対して、共和党側は有力な支持層であるキリスト教福音派を中心に、徹底したイスラエル寄りの立場で、『聖書には神がパレスチナの地をユダヤ人に与えたと書いてある』と信じている人も多い。
そのため、共和党が多数を占める下院で新たに議長に選出されたマイク・ジョンソンも、イスラエルへの143億ドル(約2兆1500億円)の新たな支援の予算案に関して『ウクライナよりイスラエルへの支援を優先すべきだ』と主張しています。
結局、ウクライナとイスラエル双方へ支援を行なう形になるかもしれませんが、こうした議会の雰囲気を見ても、ほぼ青天井だったウクライナへの支援が、この先、減額されていく可能性は十分にあると思います」
こうした米国の空気の変化を誰よりも敏感に感じているのが、ほかならぬゼレンスキーだ。前嶋氏が続ける。
「11月12日(日本時間13日)に、米NBCテレビの報道番組にゼレンスキー大統領がゲスト出演したのですが、この番組のキャスターが『アメリカはこれまでのように、あなたを支援しないかもしれないが、どうしますか?』みたいな厳しい質問をズバズバと聞きまくったんです。
それに対してゼレンスキーは『いや、世界がウクライナをロシアの侵略から守ることは、民主主義を守るための戦いでもあるのだ!』と訴えていたのですが、その必死な姿からも、なんとかアメリカからの支援をつなぎ留めたいという、彼の切実な危機感が伝わってきました。
別の番組では、『トランプ前大統領が〈自分が再び大統領に選ばれたら、ウクライナとロシアの戦争は24時間以内に終わらせてみせる〉と言っていますが?』と聞かれ、さすがのゼレンスキーも少し困った表情を見せていましたが、『もしトランプがウクライナを訪問したら、この戦争が24時間では終わらないことを24分以内で彼に理解させてみせる』と回答。元コメディ俳優のゼレンスキーが絞り出した精いっぱいの返答でした」
でも実際、来年11月の大統領選でトランプが勝利して返り咲いたら......?
「何事にもアメリカ・ファーストで、大統領在任中には、あからさまなイスラエル寄りの姿勢を取り続けてきたトランプですから、ゼレンスキーとウクライナがさらに厳しい状況へと追い込まれることは間違いないです。
そう考えると、領土問題でウクライナがなんらかの〝妥協〟を強いられる形になったとしても、バイデン政権の間にどうにか落としどころを見つけて、ロシアとの和平交渉の道を探る可能性はあるかもしれません。
すでに米NBCのスクープで『欧米がロシアとの和平交渉についてウクライナと話し合いを始めた......』という話が流れています。ゼレンスキーは強く否定していますが、いずれにせよ、イスラエルとハマスの衝突によって、ウクライナ問題の潮目が大きく変わったのは事実だと思います」
ウクライナが大国ロシアとの戦線を膠着状態に持ち込めているのは、アメリカを中心とした欧米からの武器供与と巨額の援助が存在したからだ。
仮にこの先、アメリカからの支援が先細るようなことがあれば、ウクライナは戦線の拮抗(きっこう)すら維持できず、ロシアが再び押し返すということにもなりかねない。アメリカはウクライナを、ゼレンスキーを見放すのだろうか?
「米共和党を中心に、ウクライナ支援縮小の議論があるのは事実ですが、それがアメリカの国益になるのかといえば大いに疑問です」と語るのは、現代欧州政治と国際安全保障に詳しい慶應義塾大学准教授の鶴岡路人氏だ。
「これだけ中東に注目が集まってしまうと、ウクライナへの関心は相対的に下がり、支援の法案を議会で通すことも今後は難しくなると思います。
ただ、その結果、『ロシアが勝利し、ウクライナを一方的に侵略して利益を得て、NATO(北大西洋条約機構)への脅威も拡大した』ということになれば、アメリカも悪影響を受けます。ただ手を引けばよいというわけではない。こうした点に関して、アメリカの中でのコンセンサスなんてまったくないわけです。
また、巨額な支援がアメリカの大きな負担になっているといわれますが、この2年弱の軍事支援額は日本円換算で6兆~7兆円程度。これは年間100兆円を超える国防予算を有するアメリカにとって、本当に耐えきれない額でしょうか?『負担感』はイメージの部分が大きいのです。
アメリカがイラクやアフガニスタンで直接、戦争していた際にはもっとお金を使っていましたし、ウクライナ支援の大半は兵器供与ですから、結果的にアメリカの防衛産業に多くのお金が落ちている。
そもそも、米共和党は伝統的に〝反ロシア〟ですから、共和党の一部や安全保障の専門家の中には『米軍が直接戦わず、この程度の額でロシア陸軍の半分近くをぶっ壊せたなら安いものだ』という意見もあるほどです」
しかし、今のアメリカ政治の状況を見れば、合理的な議論だから支持されるはずだと言えないのが難しいところ。現実問題として、ウクライナへの支援が縮小する可能性はある。鶴岡氏は「そうなっても欧州諸国が支援を縮小するとは限らない」と言う。
「欧州にはバルト諸国などロシアと直接国境を接する国もあります。仮にこの戦争でウクライナがロシアの手に落ちれば、次はポーランドが対ロシアの最前線に立たされる。そのため、全力でウクライナを支援し続けるほかないという声は、アメリカよりも欧州で強い傾向があります」
とはいえ、世界の注目が薄れ、支援も先細れば、これまでゼレンスキーが主張していた「ロシア軍を国境から完全に追い出し、クリミア半島も奪還する」という目標を実現するのは厳しそうだ。
だとすれば、欧州諸国もどこかで見切りをつけて、トランプ政権になる前に停戦を模索せざるをえないのでは?
「それも、現実的には難しいでしょう。プーチンの立場に立つと、停戦するとしてもトランプ政権の誕生を待ったほうが有利な交渉が期待できるからです。また、仮にウクライナが領土の一部を諦めたとしても、その先、ロシアが新たな侵略を再開しないという保証はどこにもありません。
そもそも、ロシアが侵略できた理由は、ウクライナがNATOに加盟していなかったからです。戦後を考えたとき、ウクライナの安全を保証できる唯一の方策はNATO加盟ですし、その実現こそが、この戦争におけるウクライナの勝利です。
それを阻止したいロシアは時々ミサイルを撃ち込むなどの散発的な形でもいいので、戦争を継続すればよいと考えかねません」
ちなみに、前出の前嶋氏によれば、トランプは自分が大統領に再選されたら「アメリカのNATO脱退」を真剣に考えているんだとか!(驚)
出口がなさすぎるウクライナ戦争。ガザ問題でいきなりハシゴを外されそうなゼレンスキーは、その落としどころをどこに見いだすのか?
ジャーナリスト/ライター。1965年生まれ、神奈川県横浜市出身。自動車レース専門誌の編集者を経て、モータースポーツ・ジャーナリストとして活動の後、2012年からフリーの雑誌記者に転身。雑誌『週刊プレイボーイ』などを中心に国際政治、社会、経済、サイエンスから医療まで、幅広いテーマで取材・執筆活動を続け、新書の企画・構成なども手掛ける。著書に『さらば、ホンダF1 最強軍団はなぜ自壊したのか?』(2009年、集英社)がある。