佐藤優さとう・まさる
作家、元外務省主任分析官。1960年、東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了。『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞
ウクライナ戦争勃発から世界の構図は激変し、真新しい『シン世界地図』が日々、作り変えられている。この連載ではその世界地図を、作家で元外務省主任分析官、同志社大学客員教授の佐藤優氏が、オシント(OSINT Open Source INTelligence:オープンソースインテリジェンス、公開されている情報)を駆使して探索していく!
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――イスラエルがテロリストのハマスと、国連が求めるならば停戦、英米は人道的休戦となる戦闘停止に関して、人質を条件に交渉をしました。
佐藤 いや、交渉したのではなく話をしただけです。そして停戦は長くなればなるほど、ハマスにとって有利です。
――しかし停戦は7日間で終了。結局、今、ガザ南部でイスラエル軍は戦っています。
佐藤 停戦したのは、アメリカの圧力が大きかったからです。
――バイデン米大統領のゴリ押しですか?
佐藤 ゴリ押しというよりアメリカの内政があるので、イスラエルが停戦に応じないとバイデン政権がこれ以上持たない、イスラエルへの支援をきちんと続けるために少し折れてくれ、という程度の話ですね。これはイスラエル側の譲歩によって実現しました。しかし、譲歩を重ねる度にハマスが有利になります。
――つまり、アメリカに対してのイスラエルの「貸し」になるのですか?
佐藤 「貸し」などではなく、アメリカが本気で言ってきたらどの国も断れない、それだけの話です。だから、今回の停戦に関してはアメリカは本気です。ガザ地区であれだけ非戦闘員が死んでいる映像が出ていると、アメリカの国内世論はこれは止めなければ、となります。
すなわち、アメリカの威信に関わるわけです。米国の威信、米国の価値観、人権、そういったモノに抵触することが問題になります。米大統領選挙までにはまだ時間がありますから、この程度の圧力で済んだともいえます。いずれにせよ、イスラエルとハマスの問題は、アメリカの内政問題になっています。
――イスラエルは、今まで戦争で停戦したことはないかと思いますが......。
佐藤 これは戦争ではなく、テロリスト掃討作戦ですから。テロリストを皆殺しにしようとしている作戦の中で、民間人の巻き添えが多すぎて、さらに餓死者が出る可能性もあります。
イスラエルが負けることはありません。しかし、作戦が長引けばパレスチナ人の死者は増えます。これでさらに犠牲者が増えてしまうのは、今回のこの停戦の結果です。停戦しないほうが、犠牲者の数ははるかに少なかったはずです。
非常に残念な決断です。アメリカの内政要因も踏まえて、イスラエルもここまで妥協せざるを得ないところまで追い込まれたということだと思います。
――パレスチナ人の犠牲者数はどこまで増えますか?
佐藤 停戦があったので、2万人を越えて3万人オーダーの死者数になっても不思議ではありません。停戦しなければ、1万人台で終ったはずでしょう。
――イスラエル軍の戦死者数は11月19日時点で380人。ガザ地区内部への地上作戦後は59人が戦死してます。
佐藤 今までにない戦死者数ですね。これほどの犠牲者数は、イスラエル軍の人道配慮の証左でもあります。それだけ人道に配慮して、良民とテロリストを分けながらきめ細かい戦闘をしているから、イスラエル軍の犠牲者が増えているわけです。
これはウクライナ戦争のバフムトの戦いで、ワグネルが人道に配慮しながら戦闘したのと一緒ですよね。米軍の沖縄戦みたいにやれば、地下道戦闘は簡単です。火炎放射器を入れればいいんですから。
――沖縄戦で米軍は、大日本帝国軍の地下陣地にドリルで開けた穴から燃料を流し込んで、火炎放射器で点火していました。
佐藤 そうすれば火で焼け死ぬだけではなく、酸素が失われ、そこにいる人間は窒息死します。だから、イスラエル軍はそんな手法はとりません。人道に十分に配慮して、テロリスト掃討作戦を展開しています。
そしてその客観的な事実の証拠が、イスラエル軍の犠牲者の空前の多さということです。これは、イスラエル軍の人道的配慮の結果なんです。人口比を考えたら、イスラエルは人口950万で、ざっくり言えば日本なら陸上自衛隊が5000人戦死したことと同じです。
――日本では上へ下への大騒ぎになりますね。すると、この掃討作戦が続くとイスラエル軍の戦死者が1000人を超える可能性はありますね。
佐藤 あり得ます。だから私は、停戦は適切でなかったと思います。いかにアメリカが近視眼的に圧力をかけているかの証左ですよね。戦争を早く終わらせることが紛争を局限化して、犠牲者数を一番少なくできるのです。だから、長引かせるべきではありません。
――2006年、イスラムのシーア派武装組織・ヒズボラが、イスラエル兵を拉致したことをきっかけにレバノン侵攻が行なわれ、31日後にイスラエルが国連の停戦を受け入れました。これはイスラエルの敗戦だったと言われていますが?
佐藤 必ずしも負けというわけではありません。ヒズボラが日常的にイスラエルを攻撃できるようなことはなくなったわけでしょう。たまにロケット弾が飛んで来るくらいになりました。だから、そういう意味では所期の目的を達成できています。
あの時のレバノン侵攻は、ヒズボラの殲滅がイスラエルの目標ではなく、ヒズボラの攻撃が来ないようにする抑圧を目的とする作戦でした。だから、目標は達成しています。
今回のハマスに対しても、イスラエル軍は負けることはありません。目的はハマスのシステムをガザ地区の行政から遠ざけることです。
日本の感覚だと、かつて大学の自治会を早稲田大学は核マル派が、法政大学は中核派が牛耳り、大学自治会費を代理徴収して、他のセクトをボコボコにする状況でした。そこで各大学は、過激派一掃作戦を展開し、前記のような事態は無くなりました。あれと同じようなことです。だから、目標は達成できます。
ハマスが弾切れになれば、その瞬間に終わります。しかし、おそらくこの停戦期間に、ハマスはシナイ半島に繋がるエジプトからの地下トンネルで大量に弾を再補給しているはずです。弾が増えた分だけ戦闘が長引き、1対100か200の比率でパレスチナ側の死者が増えてしまいます。
これは簡単な算数です。抵抗すればするだけ死者数が増えるということ。これはウクライナ戦争も一緒ですが、簡単な算数なのです。だから、ガザ紛争での影のプレーヤーは、自国領内でのハマスの活動を放置しているエジプトなんですよ。
――表向き、エジプトはいい人を演じてますが......。それでガザ地区の自治からハマスを外す。その後は?
佐藤 イスラエルは直接は手出しをしません。あそこは自爆テロが起こるから壁を作ったわけです。壁の中にイスラエルが入れば、自爆テロの標的になるだけです。だから、ファタハにやらせます。
――パレスチナ解放機構の最大派閥である、武装・政治集団ですね。ファタハとしてはガザ地区に復帰できるのは名誉なことですか?
佐藤 嫌だと思いますよ。かなりの数のファタハ構成員が殺されるでしょうから。しかし建前として、ガザとヨルダン川西岸はパレスチナ自治政府の管轄です。そのガザ地区の統治からファタハが逃げ出すとすれば、パレスチナ自治政府の統治能力がないということになります。自国領の実行支配を放棄したら、パレスチナ国家の承認を国際社会から受けることが難しくなります。
次回へ続く。次回の配信は12月15日を予定しています。
作家、元外務省主任分析官。1960年、東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了。『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞
1959年神戸市生まれ。2001年9月から『週刊プレイボーイ』の軍事班記者として活動。軍事技術、軍事史に精通し、各国特殊部隊の徹底的な研究をしている。日本映画監督協会会員。日本推理作家協会会員。元同志社大学嘱託講師、筑波大学非常勤講師。著書は『新軍事学入門』(飛鳥新社)、『蘇る翼 F-2B─津波被災からの復活』『永遠の翼F-4ファントム』『鷲の翼F-15戦闘機』『青の翼 ブルーインパルス』『赤い翼アグレッサー部隊』『軍事のプロが見た ウクライナ戦争』(並木書房)ほか多数。