2014年、クリミア半島を一方的に併合したロシアは、黒海を露海軍黒海艦隊の勢力下に置いた。黒海艦隊旗艦ミサイル巡洋艦「モスクワ」(全長186.4m、12490トン)が黒海を支配した(写真:ロシア国防省) 2014年、クリミア半島を一方的に併合したロシアは、黒海を露海軍黒海艦隊の勢力下に置いた。黒海艦隊旗艦ミサイル巡洋艦「モスクワ」(全長186.4m、12490トン)が黒海を支配した(写真:ロシア国防省)
いまだ終わらない、ロシアによるウクライナに対する軍事侵攻。現在、金沢工業大学大学院教授を務める伊藤俊幸元海将に、海戦からの視座より2024年、ウクライナ戦争がどう推移するか、語っていただいた。

伊藤元海将は、潜水艦「はやしお」艦長を務め、1998年リムパック演習で、米強襲揚陸艦隊、全15隻を撃沈。その後、外務省に出向し、在米国日本大使館防衛駐在官に。第二潜水隊司令を経て、自衛隊初の情報機関となる情報本部情報官などを歴任した人物だ。当連載コラムをまとめた書籍、『軍事のプロが見たウクライナ戦争』にもプロとして登場していただいている。

*  *  *

――ウクライナのゼレンスキー大統領は「黒海の主導権は、水上ドローン編隊で露海軍艦隊から奪還した」と言ってますが、海戦のプロから見ていかがですか?

伊藤 今の黒海は"池"といってもよい状態なのでこれができたのでしょう。

――"池"と言いますと?

伊藤 黒海から地中海に通じるボスポラス海峡とダーダネルス海峡を、トルコが完全に封鎖しているため、ロシアは最新鋭艦の増援ができません。そもそもウクライナには海軍がありませんから、この戦争における黒海艦隊の任務は、ウクライナ本土へのミサイル攻撃だけといってよい状態です。さらに沈められた「モスクワ」もそうですが、黒海艦隊は40年以上前の古い水上艦と潜水艦ばかり。言っては失礼ですが、現代戦に適した警戒・監視・防御能力がありません。だから、ウクライナは地対艦ミサイルと空中・水上ドローン、そして特殊部隊で黒海艦隊の動きを封じることができたわけです。

2022年4月13日にウクライナ軍ネプチューン地対艦ミサイル(最大射程300km)によって、その黒海艦隊旗艦ミサイル巡洋艦「モスクワ」は撃沈。写真はその後、NATO諸国からウクライナへ供与されたハープーン地対艦ミサイル(射程120km)。ウクライナ軍は黒海の主導権を握りかけた(写真:Marinens Biblioteks Arkiv) 2022年4月13日にウクライナ軍ネプチューン地対艦ミサイル(最大射程300km)によって、その黒海艦隊旗艦ミサイル巡洋艦「モスクワ」は撃沈。写真はその後、NATO諸国からウクライナへ供与されたハープーン地対艦ミサイル(射程120km)。ウクライナ軍は黒海の主導権を握りかけた(写真:Marinens Biblioteks Arkiv)
――中古艦隊なのですか?

伊藤 そうですね。高高度から飛来するミサイルは迎撃できますが、水面ギリギリを飛行し最後にポップアップするシースキミングミサイルへの対応能力がありません。同じように海面上を夜間に近接する小型の水上ドローンなどを早期に探知し、これを迎撃する能力もありません。「現代兵器に対する防御」はできない艦隊なのです。

――日本風に言うと、想定外ですか?

伊藤 今の黒海艦隊に所属する軍艦にとってはそうですね。

――ゼレンスキー大統領は、「ウクライナからの穀物海上輸送を、西側支援国が軍艦で警護する」と表明していますが?

伊藤 トルコがOKしないと、西側支援国軍艦も両海峡を通って黒海に入れません。今黒海で警護できるのはトルコ海軍だけでしょう。

無人艇による水上ドローン編隊によって、露海軍黒海艦隊から黒海の主導権を完璧に奪還したとゼレンスキー大統領は言う。水上ドローンは露海軍黒海艦隊に8隻に攻撃を試み、4隻に対して成功。うち、小型揚陸艦2隻が撃破確実(写真:ウクライナ国防省) 無人艇による水上ドローン編隊によって、露海軍黒海艦隊から黒海の主導権を完璧に奪還したとゼレンスキー大統領は言う。水上ドローンは露海軍黒海艦隊に8隻に攻撃を試み、4隻に対して成功。うち、小型揚陸艦2隻が撃破確実(写真:ウクライナ国防省)
――もし、トルコ海軍がウクライナからの穀物輸送警護に出たら、露海軍艦隊はやりますか?

伊藤 手は出せないでしょうね。ロシアとトルコは友好関係にありますから。また、ロシアが妨害するとしても、キロ級潜水艦しか使えません。だから、トルコが海軍を出したら、ロシアは「しょうがないな」という対応になるのでしょう。ゼレンスキー大統領が、いかにトルコを味方につけられるかにかかっていますね。

――仮の話で、伊藤提督が露海軍黒海艦隊の司令官ならば、今残っている戦力をどう使いますか?

伊藤 艦対地ミサイルはまだ補充できるでしょうから、引き続き黒海の遠方海域からウクライナ本土にこれを撃ち込むために使うのでしょう。キロ級潜水艦もミサイルは撃てますから。ただし、自艦防御能力があまりに弱い。「起死回生せよ」とモスクワから言われても、今の黒海艦隊の能力では「無理です」と言うかもしれませんね。

伊藤提督は、「ウクライナの地対艦ミサイルで沈められたモスクワもそうだけど、露海軍黒海艦隊は全艦が40年前の古い水上艦と潜水艦ばかり。だから、新兵器の水上ドローンなんかを監視する能力がない」と断言する。その証拠に、黒海艦隊はクリミア半島から黒海東岸に後退した(写真:柿谷哲也) 伊藤提督は、「ウクライナの地対艦ミサイルで沈められたモスクワもそうだけど、露海軍黒海艦隊は全艦が40年前の古い水上艦と潜水艦ばかり。だから、新兵器の水上ドローンなんかを監視する能力がない」と断言する。その証拠に、黒海艦隊はクリミア半島から黒海東岸に後退した(写真:柿谷哲也)
――すると、モスクワには何をお願いするのですか?

伊藤 今、世界の武器見本市に行くと、会場の入り口にある最初の展示品は無人兵器と対無人兵器コーナーです。「これこそ目玉商品」と各国海軍は売り込んでいるのです。私が現役の頃は、無人兵器は偵察か監視しかできないんじゃないの、と正直なところ視野に入っていませんでした。しかしウクライナ戦争で初めて、戦闘に有効だと世界中が知った。

だから、私が黒海艦隊司令官ならばモスクワに「対無人兵器の搬入」を進言しますね。モスクワのクレムリンに来襲したウクライナの無人機は落とされているじゃないですか。だから、「お願いだからその兵器をこちらにも回してくれ」といいますね。

■戦争の出口

――この戦争はどうやったら、終戦になるのですか?

伊藤 この戦争の結果は、「ウクライナの勝利」と「それ以外は全部ロシアの勝利」の二つになると思います。そして「ウクライナの勝利」は何かと言うと、今、ロシアに獲られているウクライナの土地を取り戻すことしかありません。ウクライナは土地の奪回ができて初めてロシアに「停戦交渉」を求めることができるのです。

それ以外の状態、例えば、ウクライナが現状のままで妥協して引き分けという形を取って「停戦交渉」を求めるならば、それは全て「ロシアの勝利」になるのです。だから今プーチンは、「余裕綽々」なのでしょう。

――その余裕とは?

伊藤 ウクライナには「絶対に勝利がない」と思っているということです。

――たしかに、それはロシアの余裕です。

伊藤 西側が支援を止めた瞬間にウクライナに勝利の可能性はなくなるのでしょう。妥協した形での「停戦交渉」の結果、ウクライナは二分されるか、最悪の場合は消えてなくなります。

――すると、ウクライナから「そろそろ戦争を終わりにしませんか?」とロシアには言えない?

伊藤 現状のままでは絶対に言えません。ヨーロッパからも「妥協してはダメ」と言われています。ウクライナが二分されたりなくなった場合、ロシアはNATOの直接の脅威になりますから。だから、ヨーロッパは必死に支援しているのです。

――今、米国はやる気をなくしてますけど......。

伊藤 アメリカは第一次世界大戦で参戦しましたが、多くのアメリカ人は「Too much!(もう十分)」と内向きになりました。第二次世界大戦当初もその姿勢でいましたから、チャーチルが必死にアメリカが参戦するように仕掛けた。日本の真珠湾攻撃によってアメリカはやっと参戦したのです。

アメリカは元来、石油も食べ物も山のようにあって、自国だけで十分幸せに食べていける国です。なぜ海の向こうのヨーロッパの争いごとに付き合わなければいかんのだ?というわけです。私がアメリカにいた2000年頃の米国国防省の軍人たちも言ってました。「Too much!(なぜ俺達がいちいち中東にいく必要があるのだ!)」と。それが本音ですよ。

露海軍キロ級潜水艦もクリミア半島から後退したが、引き続き、海中を支配。ミサイルを発射し、黒海艦隊の中で唯一、気焔(きえん)を上げ続けている(写真:ロシア国防省) 露海軍キロ級潜水艦もクリミア半島から後退したが、引き続き、海中を支配。ミサイルを発射し、黒海艦隊の中で唯一、気焔(きえん)を上げ続けている(写真:ロシア国防省)
――そうしたら、2001年の9.11でNYとワシントンで自爆航空機テロが起きた。

伊藤 3000人近く亡くなって「おい!」となるわけです。真珠湾の時と同じでした。

――今回のウクライナ戦争は、米本土への攻撃はまだありません。すると、2024年もウクライナ戦争が続くとしても、身に迫る危機感はアメリカにはない。

伊藤 そうです。しかしヨーロッパにとっては、本当に他人事ではありません。ウクライナを獲られたら、目の前にロシアが来る。ウクライナはNATOにとって「緩衝材」に他ならないですから。

――そのNATOの中でも温度差はありますよね。

伊藤 はい。イギリスはある意味ヨーロッパの盟主ですが、ロシアと直面してはいない。イギリスはドーバー海峡があることで、ロシアと地続きのヨーロッパの国々とは違って元気がいい。だから逆説的ですが、ウクライナに対して、「ロシアと戦う」ことを一番積極的に支援している国がイギリスということになるのだと思います。

――はい、元気一杯の大英帝国です。

伊藤 それに対して、ロシアと地続きの独仏は「ロシアとは上手に付き合いながら」という考え方です。独仏は常に喧嘩両成敗で、「ロシアとウクライナの両者」の間に入ろうとしますが、イギリスは「全部、ロシアが悪い」と断言しますよね。

――NATOは一枚岩ではないということですね。

伊藤 だから、アンチロシアも温度差があるのです。そもそもこれまでNATOの「戦略概観」という戦略文書には「ロシアは脅威」という文言がありませんでした。それがやっと昨年「NATOにとってロシアは脅威である」と明記したのです。

NATOが呑気なので、去年まで裏でロシアを潰そうとしていたのがアメリカのバイデン政権でした。しかし、ここにきて共和党の右派が、「ウクライナにいちいち関わらなくていいじゃないか。アメリカファーストだろ?」と議会で大暴れしました。

――そして今、米国からウクライナへの支援が止まりそうになっている。さらに今年は米大統領選挙。バイデン老翁と、NY不動産王・トランプおじさんの対決です。トランプおじさんが勝ったら翌日、ウクライナ戦争は終わります。

伊藤 ただ、トランプ政権の安全保障担当者には元軍人が付きますからね。たとえトランプがそう言及したとしても、アメリカの軍人はロシアが大嫌いですから「やはり叩き潰しましょう」と進言するのだと思います。

――結局、どちらが大統領になっても、ロシア潰しは一緒と。

伊藤 安全保障を担当する元軍人たちは、アメリカで大きな発言力を持っていますからね。それよりも私は、トランプが選挙に勝った場合、国際情勢は流動化すると思いますよ。

――それはなぜですか?

伊藤 「トランプのやることは予測不能」と思うと、さすがのプーチンもアメリカの発言や行動を意識せざるを得ない。「何を考えているか分からない」ことほど恐怖をあおるものはありません。

――「トランプさん、お久しぶりです。ちょっとお話ししませんか?」とプーチンが言ってくる。

伊藤 プーチンが妥協を図ろうとする可能性は十分あると思うのです。

米大統領選の結果がウクライナ戦争の行方を決めるのか......。明日は軍事のプロのひとり、元空自の杉山空将補が、空戦の視座からウクライナ戦争の行方を読み解きます。

小峯隆生

小峯隆生こみね・たかお

1959年神戸市生まれ。2001年9月から『週刊プレイボーイ』の軍事班記者として活動。軍事技術、軍事史に精通し、各国特殊部隊の徹底的な研究をしている。日本映画監督協会会員。日本推理作家協会会員。元同志社大学嘱託講師、筑波大学非常勤講師。著書は『新軍事学入門』(飛鳥新社)、『蘇る翼 F-2B─津波被災からの復活』『永遠の翼F-4ファントム』『鷲の翼F-15戦闘機』『青の翼 ブルーインパルス』『赤い翼アグレッサー部隊』『軍事のプロが見た ウクライナ戦争』(並木書房)ほか多数。

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