安田峰俊やすだ・みねとし
1982年生まれ、滋賀県出身。ルポライター。中国の闇から日本の外国人問題、恐竜まで幅広く取材・執筆。第50回大宅壮一ノンフィクション賞、第5回城山三郎賞を受賞した『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』、第5回及川眠子賞を受賞した『「低度」外国人材移民焼き畑国家、日本』(KADOKAWA)など著書多数。新著『中国ぎらいのための中国史』(PHP新書)が好評発売中
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1980年代後半、日本でキョンシー映画が大ブームだったことはご存知だろうか。キョンシーはつまり中国版のゾンビだが、当時の人気を支えたのはホラーだけが理由ではない。台湾で制作された映画『幽幻道士(キョンシーズ)』シリーズの主人公、美少女道士のテンテンが、人々の心をつかんだのである。
当時の日本ではあまりのテンテン人気から、彼女が主人公の『来来! キョンシーズ』というTBSが制作協力した連続ドラマが、ゴールデンタイムに放送されていたほどだ。往年の筆者を含め、この時期の小学生は誰もが、両手を前に突き出して膝を曲げずにジャンプするキョンシーの動作を真似して遊んでいたものである。
このテンテンを演じた名子役が、台湾人の劉致妤(シャドウ・リュウ)だ。彼女はその後も、日本と台湾で生活拠点を何度か移しながら芸能活動を続けてきたが、2000年代後半以降は台湾に定住。現在は台北市内で暮らしている。
いっぽう、最近の台湾の最大の話題といえば、今月13日(土)に投開票がおこなわれる総統選(大統領選挙に相当)だ。選挙戦は台湾アイデンティティを重視する与党・民主進歩党の頼清徳と、中華民国アイデンティティを重視する最大野党の侯友宜、さらに第三極の台湾民衆党の柯文哲の三候補の戦いとなっている。
大人になったテンテンこと劉致妤も、いまや台湾の有権者のひとりだ。そこで、現地で会って近況を訪ねつつ、台湾の政治や総統選について聞いてみることにした(なお、今回の記事では本人の許可を得て、彼女の名前は日本での旧芸名でもある「テンテン」と書くことにする)。
1月9日、 私が向かったのは台北最大のナイトマーケット(士林夜市)にほど近い下町だった。取材先に指定された住所を尋ねると、なんと、この地区で現職の市議から立法院選に鞍替えして立候補中である無所属系のHという若い候補者の選挙事務所があった。
入り口で選挙用のビラを整理中のスタッフたちに事情を話すと、建物からラフなパーカー姿にサンダル履きの女性が出てきた。彼女こそ、現在のテンテンだ。近況を尋ねる。
「ボランティアでDVやホームレス問題の解決や高齢者の生活支援に取り組んでいるんです。この事務所のH候補者は、市議に立候補する前はYouTuberだったんですが、私はその当時から彼の仕事を手伝っていて」
20代からそうした社会活動を行なっているという。2018年にHが市議に当選してからは活動の上でもお世話になることが多く、 ソーシャルワーカーとしての拠点を事務所内に置かせてもらっている。
「台湾のソーシャルワーカーの組織は、たいてい緑色(民進党系)か藍色(国民党系)の系統。私はそれが性に合わなくて、フリーでやっているんです」
テンテンは現在も芸能活動を続けており、日本の映画に出ることもある。だが、芸能人が選挙を手伝ったり政治的発言を行なったりするのは、日本と違い台湾ではごく普通のことだ。
「ソーシャルワーカーとして活動する上では、政治に対して無関係ではいられないんです。条例や規制が、台北市と別の市で違ったりして、勉強しなくてはいけないし。議会でどの議員が誰に社会政策を指示しているか、といったこともわかっていないといけない」
「子役時代は、日本で自分たちが人気だなんて知らなくて。当時はじめて日本に行ったとき、空港でファンに囲まれて『なんで?』と思ったのを覚えています。あとは、とにかく睡眠時間が短くて大変でした」
往年をそう振り返るテンテンは、『幽幻道士』でデビューする前は、家庭の事情から祖父母を親がわりに育ったという。外省人(戦後に中国大陸から台湾に渡った中国人)である祖父母は、中国大陸の東北部出身の満洲族で、旗人(清朝の旗本)の家系だ。
彼女によると、祖父は中国では蒋経国(蒋介石の息子、第3代目総統)に直接仕えた軍医で、戦後は台湾東部の花蓮県の衛生局長だった人物。いっぽう祖母は満洲の軍閥の娘で、台湾では小学校の校長先生を務めた。台湾では通常、こうした外省人の第一世代は熱心に国民党を支持することが多い。
「うちも、祖父から『国民党に投票しなさい』と言われる一族でしたよ(笑)。蒋経国はとても立派な人だったと聞いていて、私自身も今もそう思っています」
蒋経国は国民党の独裁政権時代の指導者だが、気さくな人柄と台湾の経済発展を成功させたことで知られ、現在も台湾では高く評価されている(実は世論調査では、歴代総統のなかで李登輝や蔡英文よりも高評価を受けている)。
ただし、テンテンは過去に選挙で国民党の総統候補者に投票したことがない。理由は多くの日本人にとっては意外なものだ。
「私が選挙権を得たときの国民党は、もう李登輝時代。党や国をバラバラにしてしまった人です。なので、私は国民党を支持する気がしない。最初に地方選があったときは、祖父から『投票に行け!』と言われたのに、『行ったよ』とウソをついて、実は棄権しました(笑)」
李登輝は、蒋経国時代の末期から始まった台湾の民主化を完遂させ、住民の多数派の本省人(戦前から台湾にルーツを持つ人)中心の国づくりをおこなった人物として肯定的に評価される。ただ、物事には常に裏表がある。古くから国民党を支持していた外省人にとっての李登輝は、党や国家の根幹を変質させた恨むべき人物になってしまうのだ。
現在、台湾の一市民としてのテンテンは、既存の二大政党である民進党も国民党も支持する気にはなれない立場である。ならば、今回の総統選は誰に投票するのだろうか。
「柯文哲さんの民衆党を応援しています。民進党も国民党も政争続きだし、台湾独立とか中国との統一とかの話ばかりで、一般庶民を見ていない。でも、民衆党は若者を含めた普通の人の側を向いていると思うんです」
実際の民進党と国民党は、必ずしも台湾独立や中台統一を前面に出して主張してはいないのだが、中国との関係を争点にしがちなのは事実だ。
いっぽう、民衆党は元医師で元台北市長の柯文哲が2019年に立ち上げた新政党である。二大政党の中国がらみの議論にうんざりした人たちや、民進党政権下の経済停滞や生活難に不満を持つ若者層の支持を得ている。
ちなみにテンテンは、今回の総統選の候補者である民衆党の柯文哲と、ソーシャルワーカーの活動のなかで直接の面識がある。
「総統選は頼清徳が勝つと思います。ただ、国民党も民進党も、私たちが社会問題を相談に行っても、自分のパフォーマンスにならないことには全然興味を示さない人たちでモヤッとしましたね。いっぽうで、台北市長時代の柯文哲さんは、私たちの話を一番しっかり聞いてくれた人だったんです」
ただ、柯文哲は舌鋒鋭く既存政党を批判することで人気があるが、支持者以外からは主張が大きくブレるとみられることが多い。彼が率いる民衆党についても、軸がなくポピュリズム的だと批判されがちだ。
また、勢いのある「第三極」の新政党にはありがちな傾向として、民衆党に所属する議員や候補者には、他ではトラブルメーカーだったり脇が甘かったりする人物も少なからずいる。
今年1月上旬には、民衆党籍(ただし無党派での立候補)の馬治薇という立法院選の女性候補者が、中国共産党のインテリジェンス機関から約1400万円相当の金銭を仮想通貨で受け取る疑惑が起きた。
「柯文哲さんは疑惑が出た時点ですぐに彼女を除名しています。元医師ですから、問題を除去するときの対応はとても素早い。ちなみに民衆党は、柯文哲さんが目指す方向に一致する人なら誰でも受け入れますし、二重党籍もOK。事実、台北市副市長の黃珊珊は、親民党(国民党から分かれた政党)と民衆党の二重党籍です。ただ、時代力量(台湾独立派寄りの小政党)元党首の黄国昌が入党したのは微妙で......」
大人になったテンテンは、他の台湾人と同じく政治を語りだすと話が止まらない。
ところで、今回の総統選で三番手の柯文哲が勝つ可能性はほぼない。ただし、同日におこなわれる立法院選挙(国会選に相当)では民進党と国民党の議席数が拮抗した場合、結果的に第三極である民衆党が議会でキャスティングボートを握る可能性が高い。
「柯文哲さんは人の意見を聞いて、自分が間違っていると思ったら改められる人です。そういう政治家は普通はなかなかいないですよ。 彼はよく『主張が一貫していない』と言われますが、本人を知っていればそれは誤解だとわかりますよ」
支持者の立場として、テンテンはそう言う。二大政党が無視する庶民の声を聞き入れる柔軟な党とみるか、軸のないポピュリズム政党とみるか。評価はまだ下せないものの、今回の総統選後の台湾政治の最大のキーが、実は民衆党であることは間違いない。
かつての名子役、現在は台北のソーシャルワーカーで民衆党を支持するテンテンは、実は日本人の大多数がまだほとんど気付いていない、台湾の「別の顔」を語る貴重な人物になっていたのだった。
●シャドウ・リュウ
1978年生まれ、台湾花蓮県出身。本名は劉致妤(リュウ・ツーイー)。1986年、7歳のときに台湾映画『幽幻道士』でヒロインのテンテン役として主演。11歳のときに来日し、日本で活動。その後、中学卒業と同時に台湾へ帰国するも、2003年にシャドウ・リュウの名で日本のドラマや映画への出演を再開。現在も日台をまたいだ活躍を続けている。
公式X【@Shadow1010Liu】
1982年生まれ、滋賀県出身。ルポライター。中国の闇から日本の外国人問題、恐竜まで幅広く取材・執筆。第50回大宅壮一ノンフィクション賞、第5回城山三郎賞を受賞した『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』、第5回及川眠子賞を受賞した『「低度」外国人材移民焼き畑国家、日本』(KADOKAWA)など著書多数。新著『中国ぎらいのための中国史』(PHP新書)が好評発売中