松嶋洋まつしま・よう
元国税調査官、税理士。2002年東京大学卒業。金融機関勤務を経て、東京国税局に入局。2007年に退官した後は税理士として活動。税務調査対策のコンサルタントとして、税理士向けセミナーの講師も務める。著書に『押せば意外に税務署なんと怖くない』(かんき出版)ほか多数
2023年11月、岸田政権は夏のボーナスにあわせて今年6月から所得税と住民税あわせて4万円を減税するなどの経済対策を閣議決定した。この施策は「増税メガネ」と揶揄される岸田首相のウルトラCか、それとも単なるパフォーマンスか......? 元・国税調査官の松嶋洋氏に解説してもらった。
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岸田政権は、所得税と住民税あわせて一人当たり4万円を減税する方針を固めました。減税の理由として、岸田首相は「デフレ脱却を確実にするため」と説明しましたが、正直、効果や根拠には疑問符がつきます。
昨年の日本経済は、ロシアによるウクライナ侵攻を契機とした原油・天然ガス価格高騰によりインフレになりました。しかも、物価上昇が景気拡大をともなわない"悪いインフレ"です。こういう状況では、生活を支援するために抜本的な景気対策が必要になります。
しかし、今回の減税はあくまで時限的だといいます。財政負担を考慮してのことだとは思いますが、不十分感は否めません。
では、肝心な減税の内容はというと、端的に言って「中身が薄いうえに複雑」。その詳細をざっと解説していきます。
まずは住民税非課税世帯、つまり所得が低く所得税も住民税も課税されていない人には、「重点支援給付金」として7万円が給付されます。一方、会社員や個人事業主など住民税を課税されている人には、所得税3万円と住民税1万円の計4万円が減税されるという仕組みです。
しかし、所得税と住民税の年間納付額が、減税額の4万円未満という世帯は約900万人いるとされています。実は、この層こそが物価高によってもっとも生活に困っている層で、こうした定額減税を満額受けられないと認められる層には、別途1万円単位で給付金を支給する方針の模様です。減税だけでなく給付金が支給されることもあり、制度が非常に複雑になっています。
また、年収2000万円超を対象外とするという所得制限を設ける予定です。減税の目的は、物価高対策だったはず。うがった見方かもしれませんが、これでは「お金に余裕がある人はインフレから救う必要がない」と言わんばかりです。
私は常々、「岸田首相はいつも何かを隠し持っているな」と思ってしまいます。児童手当を支給すると思ったら扶養控除が縮小、住宅ローン控除を拡充すると思ったら認定住宅という条件付き。のっぴきならない事情があるのかもしれませんが説明が不十分なので、何かしらの思惑があるのではないかと思われるのは当然です。
「今回の減税は6月に行われる選挙に向けたパフォーマンスだ」「『増税メガネ』のイメージを覆したいだけだ」。そんな声が上がるのも、仕方のないことではないでしょうか。
制度うんぬんの前に、物価高対策に4万円という額はあまりに少なすぎます。
デフレ脱却には税率を下げることがもっとも効果的です。しかし、それがおもしろくないのが財務省です。金額が物足りないのも、期限付きなのも、すべては財務省への忖度からきているのではないかとどうしても勘ぐっています。
私が国税に勤めたときは、ちょうど小渕恵三内閣が「恒久的な減税」として、20%(限度額25万円)の定率減税を打ち出した頃でした。今回、岸田減税が実施されれば、この時以来の所得税減税となります。是非はともかく、小渕減税のような「大判振る舞い感」はまったくありません。
また、コロナ禍で安倍政権は特別定額給付金として一律で10万円を支給しました。不要不急の給付なので本来は比べるべきではありませんが、「4万円減税」などと言われても「あの時より少ない」と感じてしまう人は一定数いるはずです。
岸田首相は「昨年の税収増の還元」を強調していますが、4万円ではかえって逆効果です。そもそも税収を還元するなら、国税・地方税からそれぞれ1年間だけ少額を控除する複雑な制度とするより、一律4万円給付金を支給した方がシンプルだし効果もありそうですが。
そもそも、税は所得によって変わるものです。そのため、今回のような定額税率であれば税との親和性が薄いため、給付金でもなんら問題なかったはず。なぜわざわざ法改正までして、「給付」ではなく時間のかかる「減税」にしたのか。
マイナンバーカードの施策により、マイナポイントを支給することで公金受取り口座などの登録もなどもあったし、一律で給付金を支給したほうがはるかに即効性があったと思われます。
そもそも、1回のみの優遇策について、税法を変えて減税とするのは効率的とは言えないし、この制度は源泉所得税などから控除するとしているので、受給者だけでなく雇用主などにも負担がかかる制度となっています。1回のみの給付なら余計なことはせず、給付金で支給した方が実務においても簡便でメリットがあるのではないでしょうか。
この「源泉所得税額から控除」という点は重要で、扶養親族が多いなどの理由で、そもそも月の税額が多くない層にとっては4万円減税の恩恵が感じづらい。実際、「引ききれない分は翌月から控除」としているため、支払いを受けるごとに減税されるとしても、少額なのでそのメリットをあまり享受できません。
こうした扶養控除や住宅ローン控除を受けている世帯は、岸田首相がかねてより「待ったなしの課題」としてきた少子化対策に直結する子育て世帯です。岸田首相は「定額減税は実質的に児童手当の抜本的拡充をさらに前倒しする効果も持つ」と言いますが、税収が増えているのであれば、一刻も早く日本の課題である少子化対策に向けた資金に回したほうがよいと思います。
これが、本当に選挙対策のパフォーマンスでないことを願うばかりです。
元国税調査官、税理士。2002年東京大学卒業。金融機関勤務を経て、東京国税局に入局。2007年に退官した後は税理士として活動。税務調査対策のコンサルタントとして、税理士向けセミナーの講師も務める。著書に『押せば意外に税務署なんと怖くない』(かんき出版)ほか多数