ナワリヌイの獄中死を受け、ロシア国内では各地で反体制派が抗議活動を展開。最初の2日間だけで400人以上が当局に拘束されたという ナワリヌイの獄中死を受け、ロシア国内では各地で反体制派が抗議活動を展開。最初の2日間だけで400人以上が当局に拘束されたという

反体制派の出馬を強権で封じ込め、事実上結果が決まっている3月17日のロシア大統領選挙を経て、プーチンの独裁体制は続く。そのプーチン政権下で長年繰り返されてきたのが、反体制派や亡命ロシア人らをターゲットにした「粛清」、つまり暗殺だ。本当にこれは現代の話なのだろうか?

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■元部下や元身内の裏切りには容赦なし

気温マイナス30℃にもなる北極圏の刑務所内で2月16日、ロシアの反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイが死亡した。ロシア当局は「自然死」と発表し、死後8日たってようやく母親に遺体を引き渡したが、事実上の拷問死、虐待死だった可能性も指摘されている。

アレクセイ・ナワリヌイ(1976-2024) プーチン政権の汚職を告発するブロガーとして人気を博し、反体制派の指導者に。2020年には暗殺未遂に遭う。21年1月に過去の経済事件を理由に投獄され、今年2月16日に獄中死 アレクセイ・ナワリヌイ(1976-2024) プーチン政権の汚職を告発するブロガーとして人気を博し、反体制派の指導者に。2020年には暗殺未遂に遭う。21年1月に過去の経済事件を理由に投獄され、今年2月16日に獄中死

2020年8月にもナワリヌイは露国内のホテルで神経剤「ノビチョク」を衣服内に仕込まれ、その後搭乗した旅客機内で意識不明の重体に陥った。

旧ソ連で開発されたノビチョクはVXガスの5~10倍の毒性を持つが、このときは搬送先のドイツで集中治療を受け、約1ヵ月後に自力呼吸ができるまでに回復した。この事件には諜報機関FSB(ロシア連邦保安局)の工作員8人が関わったとみられている。

ナワリヌイの死は日本でも大きく報じられたが、ほかにも昨今、反プーチン派や亡命ロシア人が謎の死を遂げるケースは枚挙にいとまがない。

諜報機関KGB(ソ連国家保安委員会)、FSB出身のウラジーミル・プーチンは、1999年8月に首相に就任。その直後に起きたモスクワ高層アパート連続爆破事件(約300人死亡)をチェチェン共和国独立派のテロと断定して同国に侵攻、制圧し、翌2000年に大統領に当選した。

この一連の動きを「プーチンとFSBによる自作自演である」と告発したのが、FSB元職員でイギリスに亡命したアレクサンドル・リトビネンコだ。諜報活動に詳しい軍事ジャーナリストの黒井文太郎氏が言う。

アレクサンドル・リトビネンコ(1962-2006) 元FSB職員で、イギリス亡命後にロシアのチェチェン侵攻のきっかけとなった爆破事件がプーチンとFSBの「自作自演」だったと告発。ロンドンのバーで緑茶に放射性物質を混入され死亡 アレクサンドル・リトビネンコ(1962-2006) 元FSB職員で、イギリス亡命後にロシアのチェチェン侵攻のきっかけとなった爆破事件がプーチンとFSBの「自作自演」だったと告発。ロンドンのバーで緑茶に放射性物質を混入され死亡

「リトビネンコは06年11月、英国内で放射性物質『ポロニウム210』をお茶に混ぜられ、懸命な治療にもかかわらず、苦しんだ末に急性放射線症候群で亡くなりました。

実行犯2人はKGB、FSO(ロシア連邦警護庁)の元職員で、犯行当時は表向き民間ビジネスを装っていましたが、実体はなく、FSBの下請けを隠匿するためのダミーだったとみられています。『自分に歯向かう者は排除する』という姿勢がプーチンの権力基盤の根幹です」

エフゲニー・プリゴジン(1961-2023) 民間軍事会社ワグネルを創設しプーチン政権の裏仕事を担ったが、ウクライナ侵攻で露軍への批判を強め武装蜂起の姿勢を見せたことで昨年6月に失脚。その2ヵ月後に墜落死 エフゲニー・プリゴジン(1961-2023) 民間軍事会社ワグネルを創設しプーチン政権の裏仕事を担ったが、ウクライナ侵攻で露軍への批判を強め武装蜂起の姿勢を見せたことで昨年6月に失脚。その2ヵ月後に墜落死

長年プーチンの〝汚れ仕事〟を担ってきた民間軍事会社ワグネルの創設者エフゲニー・プリゴジンが、露軍と対立し武装蜂起を試みた2ヵ月後の昨年8月、自家用ジェット機の墜落で死亡したのも記憶に新しい。

「おそらくFSBが搭乗機に細工したのでしょう。ほかの方法でも殺害は可能だったでしょうが、事故に見せかけて確実にやれると判断したものと思われます」(黒井氏)

ロシアでは死刑の執行は凍結されているが、〝帝国〟の独裁者プーチンの恣意的な選別により、裏切り者や反対勢力の有力者は容赦なく「粛清」されるのだ。

■富豪や実業家の相次ぐ不審死

プーチンが〝元身内〟を粛清したとみられる事例を、黒井氏が解説する。

「プーチンの最初の大統領選からメディア戦略顧問を務めていたミハイル・レシンは後に対立し、15年、アメリカ滞在中にホテルで変死しました。真相は不明ですが、レシンは米司法機関FBI(連邦捜査局)と接触していたとみられ、露機関による口封じの可能性があります。

16年12月には、元FSB幹部で国営石油会社ロスネフチの重役になっていたオレグ・エロビンキンがモスクワで変死しました。

元英情報部員によるロシア=トランプ関係調査報告書に、『プーチンの側近であるロスネフチ会長イーゴリ・セチンの関係者から内部情報を得ていた』と書かれているのですが、エロビンキンがその情報源であり、FSBに粛清された可能性があります」

ミハイル・レシン(1958-2015) プーチン政権でマスコミ担当相などを歴任した後、ガスプロム系メディア企業の幹部を務めていたが、2015年11月、米ワシントンのホテルで変死。死因は鈍器による頭部の損傷だった ミハイル・レシン(1958-2015) プーチン政権でマスコミ担当相などを歴任した後、ガスプロム系メディア企業の幹部を務めていたが、2015年11月、米ワシントンのホテルで変死。死因は鈍器による頭部の損傷だった

元オリガルヒ(ロシアの新興財閥)や実業家の不審死も数多い。中にはカネのトラブルがもとでロシアンマフィアに殺されたケースもあるだろうが、特に亡命・移住先のイギリスで、プーチンとの対立が原因で殺されたとみられるケースは多々ある。

「12年にはロシア人実業家のアレクサンドル・ペレピリチヌイが、ジョギング中に毒物を盛られ不審死。13年に亡命先のロンドンの自宅で不審死した元大物オリガルヒのボリス・ベレゾフスキーや、そのベレゾフスキーの側近で、18年に同じくロンドンの自宅で変死したニコライ・グルシュトフも、FSBのターゲットになっていた可能性は高いと思われます」

ボリス・ベレゾフスキー(1946-2013) エリツィン政権期に大物オリガルヒとして台頭したがプーチンと対立し失脚、イギリスに亡命。死因は自殺と公表されたが、長年露当局に狙われ、暗殺が企てられたことがあるのは間違いない ボリス・ベレゾフスキー(1946-2013) エリツィン政権期に大物オリガルヒとして台頭したがプーチンと対立し失脚、イギリスに亡命。死因は自殺と公表されたが、長年露当局に狙われ、暗殺が企てられたことがあるのは間違いない

ロシアの歴史には常に「粛清」や「暗殺」がつきまとう。

帝政ロシア末期に権勢を振るった怪僧グレゴリー・ラスプーチンが暗殺された翌年の1917年、十月革命で成立した共産主義国家旧ソ連では、初代指導者ウラジーミル・レーニンが秘密警察「チェーカー」を創設し、政敵やテロの芽を摘みながら、毒物の研究にも力を入れた(これが後のKGBにつながる)。

当初は毒物を戦争や反体制派鎮圧のために使う兵器として開発していたが、要人を暗殺したほうが効率がいいという側面もあったようだ。

東西冷戦中の1978年には、ソ連圏の言論弾圧を批判したブルガリア出身の小説家ゲオルギー・マルコフが、亡命先のロンドンで傘に偽装した空気銃で暗殺された。

発射された直径1.5㎜の弾丸には、トウゴマの種子から取れる猛毒リシンを使用。このとき、暗殺を実行したブルガリア秘密警察を深く支援したのがKGBであったとされる。

■極秘暗殺を担う「29155部隊」

現在のFSBはロシアの反体制派に加え、チェチェンゲリラやウクライナ政府幹部も標的にするというが、ロシアには暗殺任務を担う組織がもうひとつある。第2次世界大戦中に日本で活動していたスパイ、リヒャルト・ゾルゲが所属していた赤軍参謀本部の後継組織に当たるGRU(露軍参謀本部情報総局)だ。

GRUの標的も多岐にわたるが、他国のクーデター支援や裏切り者の抹殺が主要な任務になるという。最もよく知られているのは18年3月、元GRU大佐でロシアとイギリスの二重スパイだったセルゲイ・スクリパリのイギリスの自宅のドアノブに「ノビチョク」を塗布し殺害しようとした事件だ(暗殺が未遂に終わり事件が明るみに出たという失敗のためか、当時のGRU局長自身がその後、不審死を遂げた)。

元時事通信社モスクワ支局長の中澤孝之氏はこう語る。

「特に、ロシアにおける国家反逆罪に当たると思われるような事案では、クレムリン(政府)の判断次第で逮捕や裁判といったプロセスではなく、『粛清』を決行します。

基本的に標的が軍人の場合はGRU、軍人以外ならFSBの仕業であることが多く、射殺か毒物かは状況によって実行しやすいほうを選んでいると思われます」

今年2月20日には、昨夏ウクライナに亡命した元露軍パイロットのマクシム・クズミノフが、移住先のスペインで何者かに射殺された。スペイン当局が捜査中だが、昨年10月にはGRUが「見つけ出して処罰する」と宣言していた。

マクシム・クズミノフ(1995?-2024) 露軍のヘリコプターパイロットだった昨年8月、Mi8戦闘ヘリでウクライナに脱出し亡命。ウクライナ侵攻への反対を表明していた。今年2月20日に移住先のスペインで射殺された マクシム・クズミノフ(1995?-2024) 露軍のヘリコプターパイロットだった昨年8月、Mi8戦闘ヘリでウクライナに脱出し亡命。ウクライナ侵攻への反対を表明していた。今年2月20日に移住先のスペインで射殺された

前出の黒井氏が言う。

「実行したのは、モスクワ東部のGRU第161特殊作戦訓練センターに本部を置く海外工作部隊『29155部隊』の可能性が高いと思います。この部隊の中に、極秘の暗殺・破壊工作を任務とする約20人のセクションがあります」

ところで、ロシアにまつわる「窓に気をつけろ」というブラックジョークがある。オリガルヒや元政府系企業関係者、反体制派のジャーナリストが、ホテルや自宅の「窓から転落死」するという不審死が異常に多いのだ。

18年4月には、ワグネルのシリアでの活動を取材していたニュースサイト『ノービ・デン』の記者マクシム・ボロジンが、露国内のアパート5階の自宅から転落死した。

「ボロジンは死の前日、友人に『バルコニーに銃を持った男がいて、階段にはマスクをかぶった迷彩服姿の男たちがいる』と電話で話していました。ワグネルはもともとGRUの別動隊なので、GRUによる暗殺の可能性が高いでしょう」(黒井氏)

反体制派指導者ナワリヌイの死の5日後、そして元露軍パイロットのクズミノフの死の翌日に当たる今年2月21日には、10万人以上のSNSフォロワーがいる軍事ブロガーで、ウクライナ侵攻作戦に従軍していたアンドレイ・モロゾフが「自殺した」と報じられた。

最近制圧したアウディーイウカの激戦で「露軍兵1万6000人が死亡した」と自身のSNSで発信した後、軍上層部から削除を命じられ、「従わなければ所属部隊に武器を供給しない」と脅されていたと伝えられている。

プーチンが〝帝国〟の独裁者である限り、これらの事件の真相が露当局によって明らかにされることはない。