室越龍之介むろこし・りゅうのすけ
ライター・リサーチャー。専攻は文化人類学。九州大学人間環境学府博士後期課程を単位取得退学後、在外公館やベンチャー企業の勤務を経て独立。個人ゼミ「le Tonneau」を主宰。経営者やコンサルタント向けに研修や勉強会を実施したりすることも。Podcast番組「どうせ死ぬ三人」を配信中。
イスラエル軍によるガザ地区への本格的な攻撃が始まって約半年が経過した。すでに3万3000人を超えるパレスチナ人の犠牲者が出ている。ガザ地区の完全封鎖により、食料や医療品が不足。深刻な飢餓や感染症も広がっている。
イスラエル軍の侵攻作戦に終わりが見えない中、パレスチナで起きている人道危機に関し、アクティブに情報発信しているのが早稲田大学教授の岡真理氏だ。
岡氏は、ガザ情勢を受けて早稲田大学や京都大学で緊急講義を実施。そして、その内容をまとめた『ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義』を出版した。本書でも触れられているパレスチナ問題の根幹に迫る。
* * *
――現在、ガザ地区で起きていることについてお聞かせください。
岡 今、ガザで起きているのは、国際司法裁判所の判断を待つまでもなく、ジェノサイド(集団殺害)にほかなりません。
――報道などでは、そこまで踏み込んだ表現をしている方はほとんどいない印象です。
岡 すでにガザの人口の5%にあたる10万人以上が死傷し、住民は壊滅的な飢餓状態にある。その実態すら日本の主流メディアはまともに報じていません。
そもそもイスラエルは、パレスチナ人を民族浄化して建国された入植者による植民地国家です。これまで国際法の数々に違反しながらパレスチナの占領を続け、入植を拡大してきた「ユダヤ人至上主義」のアパルトヘイト国家です。
そうした歴史や事実も、日本のメディアはきちんと伝えようとはしません。
人権や民主主義など普遍的価値観を踏みにじっても、儲かればよいという新自由主義の世界システムに日本政府も合わせて、そのシステムの中で、企業メディアも成り立っている以上、システムそのものを根源的に批判することはしない。
その結果、専門家を呼んで、第三者的な中立の立場から分析的な意見を述べさせてお茶を濁しているという現状です。
――中立であるのは、良いことのように思われます。
岡 ジェノサイドを前にして中立であるというのは、殺戮(さつりく)に加担することです。それに、日本のメディアは実際のところ、いささかも中立ではありません。
――というと?
岡 パレスチナ問題というと、宗教や民族の問題であるかのように理解されています。メディアも、旧約聖書の記述を基に、イスラエル建国をユダヤ人の「帰還」と説明している。ですが、これはイスラエルに都合の良い歴史観を、彼らが主張するままに伝えているに過ぎません。
パレスチナ問題の根っこは、ヨーロッパの歴史的なユダヤ人差別と植民地主義にあります。ヨーロッパ社会は歴史的にユダヤ人を差別してきました。ナチスのホロコーストはその頂点です。
戦後、ホロコーストを生き延びたユダヤ人は、帰るべき故郷がありませんでした。家や財産は奪われ、故郷に戻って虐殺された者たちもいました。
行き場がなく難民となっていたユダヤ人の問題をどうするか。戦勝国である連合国は、「パレスチナにユダヤ人の国をつくる」ということで解決を図ったのです。パレスチナ人やほかのアラブ人の同意なく、です。
ヨーロッパが歴史的に抱える差別の問題を、パレスチナに押しつける形で解決しようとした。これが、パレスチナ問題の起源にあります。
――一般的には「ユダヤ人自身がパレスチナに戻りたがっている」と理解されているのでは?
岡 パレスチナに「ユダヤ人国家」を建設するという思想を「シオニズム」といいます。シオニズムはもともと、ユダヤ人の中でもごく一部の者たちしか支持していませんでした。しかし、シオニズムがアメリカやイギリスの利害と一致し、利用されたのです。
ヨーロッパの植民地主義の結果、近代になって「人種」という概念が発明されます。そして、ユダヤ人は、ヨーロッパ人とは別の、中東に起源をもつセム人種とされ、信仰ではなく、「血」を理由に差別されるようになりました。
この差別のロジックをシオニズムは内面化しました。「自分たちはセム人で、パレスチナに起源があるから、そこに自分たちの国を持つのは正当な権利だ」というわけです。
同時に彼らは、軍事力を背景に、非ヨーロッパ人の土地をわが物にしてもよいという植民地主義をも内面化し、パレスチナ人を民族浄化し、彼らの土地を占領しました。
ヨーロッパにおけるユダヤ人差別と植民地主義こそがパレスチナ問題をつくり出し、植民地国家、アパルトヘイト国家としてのイスラエルを出現させたのです。
――これまでメディアはイスラエルの植民地主義について断言してこなかったわけですが、岡教授がはっきりと言明されているのはなぜでしょうか?
岡 私の専門はアラブ文学ですが、文学の研究者としてただテキストを分析してさえいればいいとは思っていません。
なぜ私が文学研究に携わるのか、小説を読み、それについて書き語るのかといえば、大げさに聞こえるかもしれませんが、それを通して、不正に満ちた今日とは違う明日をつくるためです。
私にとって文学研究は、世界を変えるためのアクティヴィズム(積極行動主義)の一部だということですね。
――それが文学の力ということでしょうか?
岡 文学の力であり、物語の力です。文学が直接、世界を変えることはできませんが、文学は、人間の魂に訴えることで、人間を変えます。
イスラエルは入植者による植民地国家、アパルトヘイト国家だという事実をいくら知っても、単なる知識に過ぎません。
でも、そうした暴力の下で、パレスチナ人がどのような思いを抱きながら、どのように生きているのか、あるいは死んでいるのか、そのひとりひとりの物語を通して、彼らの生と死に自分を重ねることができます。
そうすることで、それは、中東のアラブ人やイスラム教徒の話ではなく、私たちが人間として共感を寄せる、「人間の物語」、すなわち「私たちの物語」になります。
イスラエルはパレスチナ人の作家や詩人を殺害していますが、それも、文学が人間を変え、現実を変え、歴史を変える、その力ゆえだと思います。
●岡 真理(おか・まり)
1960年生まれ、東京都出身。早稲田大学文学学術院教授、京都大学名誉教授。東京外国語大学アラビア語科卒業、同大学大学院修士課程修了。在学時代、パレスチナ人作家ガッサーン・ カナファーニーの小説を通してパレスチナ問題、アラブ文学と出会う。エジプト・カイロ大学に留学、在モロッコ日本国大使館専門調査員、京都大学大学院人間・環境学研究科教授などを経て現職。専門は現代アラブ文学、パレスチナ問題。著書に『ガザに地下鉄が走る日』(みすず書房)など
■『ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義』大和書房 1540円(税込)
パレスチナ問題の本質を的確に強靱な言葉で解説した一冊。長年、現代アラブ文学を研究し、パレスチナ問題に取り組んできた著者が、ガザで今起きていることが何か、パレスチナ問題の根本は何か、イスラエルはどのようにしてつくられた国か、という問題を説明しながら、今われわれにできることを指し示す、現状を知るための最良の案内書だ。この本の基となった緊急セミナーの様子は、YouTubeで閲覧可能
ライター・リサーチャー。専攻は文化人類学。九州大学人間環境学府博士後期課程を単位取得退学後、在外公館やベンチャー企業の勤務を経て独立。個人ゼミ「le Tonneau」を主宰。経営者やコンサルタント向けに研修や勉強会を実施したりすることも。Podcast番組「どうせ死ぬ三人」を配信中。