「ふたつの芽」のシンボルがついたTMCの旗を持ち、行進する支持者たち 「ふたつの芽」のシンボルがついたTMCの旗を持ち、行進する支持者たち

「政」を"まつりごと"と読むように、かつて祭事と政治は一体のものだった。しかし、現代においてもお祭り騒ぎのような政治が行なわれている国がある。現在、総選挙真っ最中のインドである。

規模も熱量も気温も「今世界で一番熱い選挙」を、現地在住のライターが突撃取材!?  インド政治に詳しい専門家による解説も!

■「世界最大の選挙」が始まった!

インド第3の都市コルカタ。ここは5月でも気温は35℃を優に超え、湿度も高い灼熱の日々が続く。しかし、人々は暑さを物ともせずに選挙カーと共に街を練り歩き、選挙集会で大声を張り上げる。

そう、インドは今「世界最大規模」とも称される5年に1度行なわれる下院総選挙の真っ最中! 有権者数は9億6800万人、投票期間は4月19日から6月1日までの1ヵ月半の間に州や地域ごとに7回に分けて行なわれ、投票所の数は100万ヵ所、費用は2兆円と聞けば、その規模の大きさが想像できるだろうか。

今回の選挙は、2014年から首相を務める「インド人民党(BJP)」党首のナレンドラ・モディ首相が3期目に入るかが争点。現在73歳のモディ氏は、貧しい紅茶(チャイ)売りの家に生まれながら、首相にまで上り詰めた、叩き上げの政治家。庶民派としてインド国内で圧倒的な支持を得る一方、批判の声も大きい。

多宗教国家であるインドでは、憲法で「すべての宗教は平等」とされているのだが、モディ政権はマジョリティであるヒンドゥー教徒をひいきしているのだ。

実際、イスラム教徒が多数を占める州の自治権を撤廃するなど、ヒンドゥー至上主義の姿勢を強めている。自身に批判的なメディアに対する報道規制も厳しく、英BBC制作の批判的なドキュメンタリーが国内放映禁止にされたこともある。

こうした、マイノリティを排除し報道の自由を制限する姿勢は、国際的にも強く批判されている。

また、インドの経済発展の裏には失業やインフレの問題もある。そんな状況に対して、「国民会議派」を中心とする野党連合は、「モディ打破」を掲げて今回の総選挙に臨んでいる。

だが、「与党」対「野党連合」という単純な図式に収まらないのが、インドの奥深さ。事実、コルカタを州都とする西ベンガル州では「地域政党」が圧倒的な強さを誇っているのだ。

■地元人気の地域政党vsお祭り騒ぎの与党

西ベンガルの地域政党「全インド草の根会議派(TMC)」の人気は、特にコルカタでは随一で、前回の総選挙(2019年)では、コルカタのすべての選挙区でTMCが勝利するほどだ。筆者は今回、TMCの選挙カーの遊説に同行できることとなった。

事務所で支持者たちと一緒に選挙カーの到着を待っていると、初老の女性が「よそ者のBJPを支持するなんて考えられない。ベンガルのために尽くしてくれているTMCを私は応援するよ」と語ってくれた。

そのうち、事務所前には小型トラックで支持者たちが次々と運ばれてきた。体感温度40℃を超える灼熱地獄の平日にもかかわらず、いつの間にか数百人もの人数に膨れ上がった。そこにようやく選挙カーが到着し、遊説スタート。

南コルカタ区におけるTMCの候補者、マラ・ロイ氏(車上手前の女性) 南コルカタ区におけるTMCの候補者、マラ・ロイ氏(車上手前の女性)

車上では候補者が優雅に手を振る。車の渋滞など気にも留めず、選挙カーは恐るべき低速度で走り、道路はゾロゾロと歩く支持者で埋め尽くされた。日本では選挙カーが交通を妨げることはないし、そもそも何百人もの人が選挙カーと共に歩くなんて考えられない。まさにインド流の選挙活動だ。

TMCのシンボルである「ふたつの芽」は、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒(ムスリム)を象徴しているといわれる。TMCの選挙カーがモスクの前を通ったとき、ひとりのムスリムが候補者に手を振っていた。

これがヒンドゥー至上主義のBJPの選挙カーだったら、同じ反応をしただろうか。ムスリムがおよそ20%の人口を占めるコルカタでは、ムスリムの票を取り込むことは重要な戦略だろう。

マラ・ロイ氏の熱烈な支持者とみられる男性。かなり目立っていた マラ・ロイ氏の熱烈な支持者とみられる男性。かなり目立っていた

「BJPを打ち負かせ! TMCが絶対勝利!」

「BJPが政権に就いてから、薬の値段がどんどん上がり続けている。私たち庶民が望んでいるのは、家族が病気のときにいつでも薬を買えること。BJPのモディはシャー・ルク・カーン(インドで絶大な人気を誇る映画俳優)と友人だが、われわれTMCの友人は今ここにいるあなたたちだ!」

「昔から私たちの近所にひとりはムスリムの友達がいた。でも今BJPは私たちの友人を傷つけている! 彼らの暴挙を見過ごしていいのか?」

候補者と支持者は、声を張り上げながら街中を数時間かけて練り歩き、道行く人々にメッセージを伝えていた。

その数日後、筆者は運よくBJPの遊説にも遭遇した。BJPにとってコルカタは"敵地"。集まりは小規模だろうと高をくくっていたが、想像以上の盛り上がりだった。まず驚いたのは、打楽器隊がいること。リズムに乗って、文字どおりのお祭り騒ぎが繰り広げられていた。

モディ氏のプラカードを掲げて更新するBJPの支持者の行列。モディ氏推しの選挙戦略だということがひと目でわかる モディ氏のプラカードを掲げて更新するBJPの支持者の行列。モディ氏推しの選挙戦略だということがひと目でわかる

さらに、モディ氏をかたどったプラカード、モディ氏の写真付き帽子と、至る所にモディがおり、ヒンドゥー教の神様のコスプレをした人までいる。「派手さ」だけでいえば、確実にTMCを上回っている。

選挙カーの数もTMCが1台だったのに対し、BJPは5台、おまけにメディア用の小型トラックまである。「インドの女神に勝利を!」や「母なるインドに栄光あれ!」などのスローガンが声高に叫ばれる。取材中のこちらまでなんだかテンションが上がってくる活気だ。

ヒンドゥー教徒に訴えかけるためか、ヒンドゥー教の神様に扮して選挙カー上に鎮座する人たち。効果はいかほどだろうか ヒンドゥー教徒に訴えかけるためか、ヒンドゥー教の神様に扮して選挙カー上に鎮座する人たち。効果はいかほどだろうか

そのとき、「ハロー!」と声をかけてきた男の子がいた。この子、どこかで見たような......。なんと! 先日のTMCの遊説でも見かけた子だ。そのときはTMCの旗だったが、今はBJPの旗を持っている。サクラの仕事をしているのだろうか......敵対する政党双方の仕事を受けるとはしたたかすぎる......。

こうなると、遊説の参加者たちのどこまでが本当の支持者なのか、わからなくなってくる。ムスリムとおぼしきヒジャブをかぶった女性たちが「モディはムスリムをサポートしています」というプラカードを掲げていたが、彼女たちも本当にムスリムなのか......? 何はともあれ、与党BJPの底力と、インドの人々のしたたかさを実感した。

■独立か失業対策か、地方の世代間ギャップ

別日、投票所を取材するため、筆者は州都コルカタから約600㎞離れた北ベンガルのダージリン(西ベンガル州)を訪れた。平均標高が約2000mで、灼熱のコルカタに比べると一気に気温が下がる。汗だくの遊説取材が嘘のようだ。

そして、ダージリンといえばダージリンティー。市中から少し離れれば風光明媚な茶畑が一面に広がる。

早朝午前7時から投票は始まった。インドでは電子投票機が用いられ、候補者の名前がついたボタンを押せば投票完了。読み書きができない人のために、政党ごとのシンボルマークもしるされている。投票後の男性は、「朝のジョギングから直接投票に来たよ。いい気分さ」と指につけられた投票済みの印を誇らしげに見せつける。

電子投票機(EVM)の使い方を解説する張り紙(撮影/ソナム・ヌルボ) 電子投票機(EVM)の使い方を解説する張り紙(撮影/ソナム・ヌルボ)

指先につけられた「投票済み」のマークをこれでもかと見せつけてくれた有権者のふたり(撮影/ソナム・ヌルボ) 指先につけられた「投票済み」のマークをこれでもかと見せつけてくれた有権者のふたり(撮影/ソナム・ヌルボ)

一方、投票所周辺にたむろする壮年の男性たちに話を聞くと、「政治にはゴルカランドの実現を一番に求めている」と血気盛んに語ってくれた。「ゴルカランド」とは、ネパール系山岳民族であるゴルカ族の住む土地を意味する。

つまり、彼らは自分たちの独立を求めているのだ。ベンガル系インド人から絶大な支持を誇るTMCも、ネパール系インド人が大半を占めるダージリンでは批判的な人もいる。「TMCは汚職ばかり。信用できない」「TMCを支持するくらいなら、BJPを支持したほうがマシ」という声もあった。

実際、2019年の総選挙ではBJPがダージリンで議席を得た。同地におけるBJP人気は、モディ氏やヒンドゥーナショナリズムへの支持ではなく、TMCとの不和の結果なのかもしれない。

若い世代はどう考えているのだろう。筆者は20代の若者が集うホステルを取材した。「ゴルカランド独立の要求は何十年間も達成されていないし、これからも達成されることはないと思う。それよりも観光しか主要産業がないダージリンの経済発展を真剣に考えるべき」と語るのは、若くしてホステルのオーナーを務めるテンジさん。

ダージリンの若者たち。これからのインドを担う彼らにとって明るい未来が開ける選挙となってほしい ダージリンの若者たち。これからのインドを担う彼らにとって明るい未来が開ける選挙となってほしい

彼の友人のアヴィラルさんは「とにかく若い世代にとって失業問題は深刻。今回の選挙もBJPが優勢になる可能性が高いが、失業問題に取り組む政党を民が選ぶと信じている」と語ってくれた。

国際労働機関(ILO)によると、インド国内の大卒以上の失業率は28.4%(2023年)。国の未来を担うのは若い世代だ。彼らの話を聞くうち、筆者も失業率の改善が実現されてほしいと願うようになっていた。

■選挙熱の理由、そして結果予測は?

さて、ここで『インドの正体―「未来の大国」の虚と実』(中公新書ラクレ)などの著書を持つ防衛大学校教授の伊藤融(とおる)氏に、インド総選挙の特徴を解説してもらおう。まず、この熱気はどこから来るのだろうか?

「インド人が政治に熱い理由は、主に3つあると考えています。ひとつ目は、インド人は『権力闘争』のようなドラマを政治の中に見いだし、街中でも政治家の話で盛り上がるほどの政治好きであること。映画好きな人も多いので、政治家を映画のヒーローのようにとらえる人もいます。

ふたつ目は、アイデンティティと政治の関わりが強いこと。例えば、特定のカースト(ヒンドゥー教における身分制度)を基盤にした政党もあり、政治を自分事としてとらえやすい。

3つ目は、政治と暮らしが結びついていること。『選挙集会に行けばチャイが飲める』という理由で動く人もいるほど、日本に比べて生活が苦しい人も多い。

そして、そんな自分たちの暮らしを良くするためには、政治に関わらなければいけないという切実さがある。こうした理由が重なり合うことで、『どんなに暑くても選挙に行く!』という熱気が生まれるんです」

モディ氏の写真付き帽子をかぶって、踊りながら行進する支持者たち。選挙ではなく本当にお祭りなのではないかと思わせる、恍惚の表情である モディ氏の写真付き帽子をかぶって、踊りながら行進する支持者たち。選挙ではなく本当にお祭りなのではないかと思わせる、恍惚の表情である

今回の総選挙の結果予測はどうだろうか。

「どの予測報道もモディ政権の継続が確実と言っていますが、インドの選挙は最後までわかりません。モディ人気の要因は、叩き上げで首相になった経歴と演説のうまさ。日本でいえば田中角栄と小泉純一郎が合体したような人物で、庶民からの人気は圧倒的です。

とはいえ、失業率の上昇やインフレは相当深刻。与党側はモディ個人の人気でそうした不満を覆い隠す戦略ですが、うまくいくかはわかりません。ここ数年のモディ政権は右傾化(ヒンドゥーナショナリズム)と権威主義化が進んでいて、欧米諸国は懸念を示しています。

今回の選挙前に、モディ政権は野党連合の党首のひとりを逮捕(のち最高裁命令で一時保釈)し、同連合の盟主である国民会議派の銀行口座を凍結しました。野党の政治活動を制限するような行動に、すでにアメリカは懸念を表明しています。野党の活動の自由や宗教間の平等というのは、民主主義の基本原理。

モディ政権が継続して、さらに右傾化と権威主義化が進めば、欧米諸国との溝は深まる一方でしょうね」

熱気と期待、そして不安が渦巻く選挙の開票日は6月4日。「世界最大の民主主義国家」を自称するインドの行方に要注目だ。

●フリーライター・葉月(はづき)しら
インド、西ベンガル州コルカタ在住。現地の大学に在籍中。大学の授業がよく休校になるので、勉強の合間に執筆活動を行なっている。冷えたビールを飲むのが趣味