「軍備を拡張して『普通の国』になろうと言う人もいますが、先人たちが築いてくれた幸福をないがしろにして、〝イキって〟いるだけのように見えますね」と語る前川仁之氏 「軍備を拡張して『普通の国』になろうと言う人もいますが、先人たちが築いてくれた幸福をないがしろにして、〝イキって〟いるだけのように見えますね」と語る前川仁之氏

ガザやウクライナなど、世界の現状からは遠いものに感じられる「平和」という言葉。新著『人類1万年の歩みに学ぶ 平和道』でこの壮大なテーマに取り組み、古代から現代までの平和論、戦争論をひもといた前川仁之(まえかわ・さねゆき)さんに話を聞いた。

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――平和について語るや否や、SNSなどで「脳内お花畑」といった嘲笑にさらされる昨今、正面から平和を取り上げようと思ったのはなぜですか?

前川 私が子供の頃は平和という言葉にはまだ力があったというか、「これを言っとけば大丈夫」という感覚が強かったと思うんです。それが2000年頃から、平和を訴える人たちに対して、「じゃあ、敵が攻めてきたらどうするんだ」という言説が説得力を持つようになりました。私としては非常に情けない話だなと思っていたんです。

――2022年にロシアがウクライナに侵攻してから、日本ではますますその風潮が強まったように感じます。

前川 メディアも私の周りの人たちも、みんな「正義のウクライナを守るために頑張って戦うしかない」という空気になりました。それは仕方ない部分もあると思います。ただ、日本という離れた場所にいて、いろいろな角度から冷静に事態を見られるのに、なぜそこまで好戦的な意識に流れてしまうのかは疑問でした。

当時はこうした自分の考えを人に話すのが怖くてつらかったですね。平和が劣勢に立たされている時期が続く中、「平和は非現実的」というけど、そんなに単純なものじゃないんだぞってことを、まとまった本として出したいという気持ちがありました。

――この本ではさまざまな時代の平和論、戦争論を考察しています。登場する人物の中で思い入れの深い人はいますか?

前川 13~14世紀に剣ではなくペンで異教徒のイスラムの人々と交流したラモン・リュイについて書けたのはうれしかったですね。マジョルカ島生まれの哲学者・神学者です。

また、国際法の父といわれるグロティウスの著作には生命尊重の姿勢が表れていて、改めて感動しました。

加えて、核分裂を偶然に発見したオットー・ハーンをはじめ、アインシュタインら、科学者たちの話も書いていてグッときました。映画『オッペンハイマー』を見た人には、第七章「科学技術の戦争協力」をぜひ読んでほしいですね。

――いつ頃から平和に関心を持っていたのですか?

前川 中学生のとき、家の書棚にあった『ヒロシマは昔話か 原水爆の写真と記録』(新潮文庫)を読んで、だいぶ影響を受けました。当時は物理学者になるのが目標だったので、科学技術がいかに戦争に貢献してきたかを考えざるをえなかったんですね。

歴史も好きだったので、高校からは科学よりも、それをどう使うかに関心が移り、文学や哲学にシフトしていきました。

――おじいさまから戦争の話も聞いたそうですね。

前川 祖父は陸軍で本土防空の任に当たっていました。空襲が激しくなった時期にB29を撃墜するためにつくられた部隊の整備兵でした。飛び立っていった兵士が帰らなかったこともざらにあったそうです。撃墜の仕方や隊長の手柄を時に楽しそうに話しているのが印象的でしたが、「戦争ほどくだらないものはない」と明言もしていました。

高校の修学旅行で行った広島では、それまでは本などで知っていた原爆被害に関する生々しい展示を見て、いよいよ科学に夢を見られなくなりました。大学は1浪して東京大学理科一類に入ったものの2年でやめて、しばらく人形劇団や警備の仕事をしました。

――その後、立教大学に入り直し、ノンフィクション作家になられました。これまでの2冊の著作も戦争がモチーフになっていますね。戦争に関する執筆をしてこられて、「平和ボケ」という言葉についてはどう思われますか?

前川 「敵が攻めてきたらどうするんだ」と言うなら、「それで戦って、負けたらどうするんだ」ということまで言わなくちゃフェアじゃないなと思います。今、沖縄で自衛隊の基地が増えていますが、それが備えになって安心するのか。仮に安心したとして、基地の増強が他国からどう見られるのか。それが戦争の口実を与える危険性も考えたほうがいいですよね。

そもそも、戦後の平和な時期をつくってきたのは、みんな戦争を経験してきた人たちで、平和ボケなどと言ってる人たちより、はるかに戦争を知っています。

軍備を拡張して「普通の国」になろうと言う人もいますが、先人たちが築いてくれた幸福をないがしろにして、"イキって"いるだけのように見えますね。あと素朴に、普通の国より特別な国のほうが面白いんじゃないかとも思います。

――『平和道』を書き終えて、どんなことを感じましたか?

前川 つくづく思ったのは、われわれの知識は西洋に偏っているということです。自分は同世代の人よりは漢籍を読んでいるほうかもしれませんが、それでも出てくるのは古代中国くらいで、本書も西洋の話が圧倒的に多い。今後はアジアやアフリカ、太平洋地域などの平和志向についても書いてみたいです。

もうひとつは、現在のようにテクノロジーと暮らしが一直線につながる関係は、変えていかないといけないと感じました。今はテクノロジーを持ち上げすぎていると思います。

先ほども言ったように、私は科学に対して夢を持つことができません。私はスマートフォンを持つのがすごく遅かったのですが、これもその一例です。新しいものが可能になったら作り、作ったら使わなければならないという文明への抵抗のつもりなんですね。結局は使わされてますが(笑)。

――科学には常に暴走の危険性があるということですね。

前川 はい。アメリカの国際政治学者のフレデリック・シューマンは、戦争は一部の邪悪な指導者や外交官が陰謀を巡らせたから起こるのではなく、人間が平和以外のものに重きを置くときに起こる、ということを言っています。

例えば、ナショナリズムに価値を置くと戦争の原因になったりしますよね。また、何に価値を置くかは、何に夢を見るかと同じです。科学に夢を見ることは、悲惨な結果を招くこともあります。平和から遠ざかり、戦争につながる夢には、待ったをかけなければいけないんです。

●前川仁之(まえかわ・さねゆき)
ノンフィクション作家。1982年生まれ、大阪府出身。埼玉県育ち。東京大学教養学部(理科一類)中退。人形劇団員、警備員などの仕事を経て、立教大学異文化コミュニケーション学部卒業。2014年、スペインの音楽家アントニオ・ホセの故郷を訪ね、生涯をたどった作品が開高健ノンフィクション賞の最終候補となる。著書に『韓国「反日街道」をゆく~自転車紀行1500キロ~』『逃亡の書 西へ東へ道つなぎ』(ともに小学館)がある

■『人類1万年の歩みに学ぶ平和道』
インターナショナル新書 1210円(税込)
人類はどのようにして平和を実現しようとしてきたのか? ノンフィクション作家がキュレーターとなり、現代人が習得するべき「平和道」を提示する。古代エジプトの平和条約に始まり、非攻と兼愛を説いた墨子、キリスト教の正戦論、異教徒の説得を目指したラモン・リュイ、国際法の父グロティウス、軍人作家ユンガーの平和論、日本史に見る平和志向、科学技術の戦争協力など古今東西の試みを紹介する

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