右耳に被弾し、血を流しながら「ファイト」と連呼するトランプ前大統領。惨劇の暗殺未遂現場を一瞬でトランプ劇場に激変させた(写真:AFP=時事) 右耳に被弾し、血を流しながら「ファイト」と連呼するトランプ前大統領。惨劇の暗殺未遂現場を一瞬でトランプ劇場に激変させた(写真:AFP=時事)
7月13日、米国東部のペンシルバニア州バトラーで、ドナルド・トランプ前米大統領が狙撃された。大統領選に向けた集会で、トランプ氏の演説中に事件は起きた。トランプ氏は右耳を撃ち抜かれたものの、生命に別条はなかった。しかし、アフガニスタンの戦場で実戦を経験し、実際に弾丸で撃たれた元米陸軍将校、飯柴智亮氏はこう言う。

「着弾は間一髪です。5cm右に着弾がずれていれば、トランプは死んでいました。距離的に考えて、狙撃犯はほぼ間違いなく頭を狙っていました。トランプには強運があります。戦場では、その兵の持つ運で生死が分かれることがあります」

狙撃犯は最初にAR15ライフルで3発を連射した。初弾はトランプの後方に外れ、2、3発目はその初弾の弾道の右側を飛んできた。ARライフルの射距離120~140mなので、初弾の銃声はトランプ氏にも聞こえたはずだ。

しかし、トランプ氏は「会場のスクリーンを確認するために右を向いた」と発言している。トランプ氏が右側を向いている時に、2、3発目が右耳を貫き、右頬をかすった。

もし、トランプ氏は右側に振り向くことがなければ、2、3発目は後頭部と延髄に命中し、絶命していただろう。トランプ氏には強運がある。

狙撃犯が、発砲音と閃光を軽減するサプレッサーをARライフルに付けていたら、シークレットサービス狙撃チームは、銃声による狙撃犯の発見が遅れ、次の連射でトランプ氏に弾丸を命中させたかもしれない。

「そうですね。演台のマイクが護衛官の『Shooter is down』という声を拾っています。それにより狙撃犯は、シークレットサービスの狙撃チームによって瞬時に無力化されたことがわかります。ですが、最初の3発が頭部に命中していれば、その前にトランプが射殺されていました。

発砲音を聞く限りは、5.56mm高速弾を狙撃犯は使用しています。狙撃犯は最初に3発撃ち、そのうちの1発がトランプの右耳に命中。トランプが伏せてからも5発、速射しています。計8発です。うち1発はトランプ、3発は群衆に命中し、ひとり死亡、ふたり重傷です」(飯柴氏)

狙撃犯は、演台から120~140mの距離を伏射(うつ伏せで上体を両ひじで支え射撃する姿勢)で撃ってきた。ARライフルの性能であれば、少し訓練を受ければ絶対に当たる。

「私は、同じ条件で5発を2.5cmに集弾できます」(飯柴氏)

この狙撃犯は直径20cmの円内に3発集弾させているが、狙撃犯を1発で仕留めたシークレットサービスはそれ以上の凄腕だ。

「その前にまず、狙撃可能な近隣の工場の屋根に狙撃犯の侵入を許したのは、シークレットサービスの失態です。

BBCニュースによれば、『怪しい男がライフルを持って屋根に上っている』と警察に通報した市民がいます。この情報をなぜ、シークレットサービスのカウンタースナイパーチームが見逃したのか? いずれにせよ、身辺警護するシークレットサービスの大失態で、これは許さる事態ではないです」(飯柴氏)

また、シークレットサービスの失態に関して、NECのシンクタンクであるIISE特別研究主幹で、信州大学特任教授の布施哲氏はこう指摘する。

布施氏はトランプ政権時代にテレビ朝日のワシントン支局長を務めていた経歴があり、2020年の米大統領選で実際にトランプ候補の選挙戦を取材し、全ての演説をライブ、または録画で見ている。

「最初の3発の銃声の直後にシークレットサービスのひとりがステージに駆け上がり、トランプ氏に覆い被さりました。続けて複数の警護官たちもトランプ氏を囲みますが、日本のSPが採用しているブリーフケース型の防弾板はなく、警護官の生身の身体で弾除けをする警護方法です。

ただ、明らかにところどころで隙間ができてしまっていて、完全にトランプ氏を覆うことはできず、まだその時点で排除されていない第2撃や第3撃のリスクから、完全に防護する態勢にはなっていません」(布施氏)

トランプ前大統領を防弾SUV車に移動させる際、シークレットサービスは周りを囲うが、トランプの頭部と顔面の前は、背の低い女性のシークレットサービスがふたりで警護。トランプ氏の顔面は丸出しだ。狙撃犯が複数いた場合、トランプ氏は完璧にヘッドショットを食らってしまう。

布施氏もシークレットサービスへ厳しい意見をぶつける。

「さすがのシークレットサービスもトランプ氏だけに神経が集中してしまっている『小学生のサッカー状態』です。ふたり目の銃撃犯がもしかしたらいるかもしれない、というリスク対応にまで神経がまわっていないように見えます。

特殊部隊・SWATとおぼしき迷彩服の捜査官がひとりだけステージに上がってきて、銃声が聞こえてきた方向(ステージ向かって左側)に銃を向けながら次なる犯人の襲撃に備えています。

シークレットサービスがトランプ氏に気を取られる中、冷静に外周を固めて第2撃という潜在リスクに備える冷静な対応はプロとしか言えません。ただ、それをやっていたのがこの捜査官ひとりだけなのが残念です」(布施氏)

では、肝心のトランプ氏の動きはどうだったのか。

「銃撃の瞬間、トランプ氏は手で顔を押さえ、崩れ落ちるようにかがみ込みながら演台の裏に入ります。演台には防弾プレートがはめこまれているので、第2撃を避ける観点からも、トランプ氏の動きは正解かつ機敏で100点満点の対応です。ショック状態で崩れ落ちた要素も強いものの、79歳の咄嗟(とっさ)の反応としては見事と言っていいでしょう。

おそらく、大統領の現職だった時代にシークレットサービスから受けた狙撃を受けた際の対応訓練が生きていたのでしょう」(布施氏)

一瞬の間をおいてからの5発の銃撃から身を守ったのは、演壇の裏に伏せたトランプ氏の行動だ。しかし、トランプ氏の本領はこの次の瞬間から始まる。

「銃撃からおよそ30秒後、トランプ氏は警護官に抱き上げられながら、右手の拳を突き上げて健在を示すパフォーマンスを見せます。心配そうにしていたトランプ支持者たちからは歓声が上がり、支持者たちの歓喜の中でSUVに運ばれていきます。

あの混乱の中、突然の悲劇を一挙に"トランプ劇場"に変えてしまう動きは、到底79歳とは思えません」(布施氏)

暗殺未遂事件すら自らが主役を演じる劇場に変えてしまった政治モンスター。これで大統領選の勝利を確実なものにしたのだろうか?

「確かに支持者の支持を固めることには成功しましたが、ここにいる人たちは何があっても、もともとトランプ氏に投票する人です。肝心なのは浮動票である無党派層。この人たちが今回の事件を受けてどう反応するか、まだ見えていません」(布施氏)

では11月まで選挙運動が続く中、再びトランプ銃撃のリスクはあるのだろうか。

「銃社会のアメリカでは容易に銃器が手に入るという意味では、リスクはなくならないでしょう。ただ、トランプ氏が狙われ続けるかと言われるとモヤモヤが残りますね。

そもそも、武器を持って政治的暴力に訴えるリスクがあるのは、先の議会襲撃事件の件を見てもトランプ支持者の方であって、民主党支持者が暴力に訴えてトランプ氏を排除しようとするイメージは湧きませんよね。

今回の犯人も民主党支持者ではなく共和党支持者でしたが、なぜ、共和党の支持者がトランプ氏を狙ったのかも腑に落ちません。

さらに、バイデン支持者や民主党支持者が暴力でトランプ氏を狙い続けるのか、と言われると、銃社会ですし暗殺リスクはなくなりはしませんが、果たしてそうなのかな?という疑問は残ります。

心配なのはこの事件に刺激されて国内の民兵や白人至上主義者といった、FBIが国内テロ集団とみなしている組織が活気づくことでしょう。「政治的に認められないこと、思想的に気に食わない相手は暴力に訴えていいんだ」という歪んだ風潮がこの事件で浮上してこないか、アメリカという国を見ていくうえで重要な視点になると思います。

今回の事件ではむしろ犯人が共和党員だったことは不幸中の幸いだったかもしれません。米国は一部の学者が内戦のリスクすら指摘するほど政治的対立、政治的分断が激しい。そんな状況下で、民主党支持者がトランプ氏を狙ったということだったら、一気に緊張が高まって選挙どころではない不穏な空気になっていたかもしれません」(布施氏)

暗殺未遂を見事に切り抜け、強運を見せつけたトランプ氏。持っている運を使い果たしたとはいえないのだろうか?

「周りの多くの側近たちは事件に巻き込まれたり捜査対象にされたりしていますが、本人は2度の弾劾も切り抜け、機密文書をめぐる裁判も棄却、再出馬にこぎつけましたからね。運も実力もまだまだあると言わざるを得ません。やっぱり怪物ですよ......」(布施氏)

怪物・トランプ氏の米大統領選は、この先どうなるのだろうか......。

小峯隆生

小峯隆生こみね・たかお

1959年神戸市生まれ。2001年9月から『週刊プレイボーイ』の軍事班記者として活動。軍事技術、軍事史に精通し、各国特殊部隊の徹底的な研究をしている。日本映画監督協会会員。日本推理作家協会会員。元同志社大学嘱託講師、筑波大学非常勤講師。著書は『新軍事学入門』(飛鳥新社)、『蘇る翼 F-2B─津波被災からの復活』『永遠の翼F-4ファントム』『鷲の翼F-15戦闘機』『青の翼 ブルーインパルス』『赤い翼アグレッサー部隊』『軍事のプロが見た ウクライナ戦争』(並木書房)ほか多数。

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