川喜田 研かわきた・けん
ジャーナリスト/ライター。1965年生まれ、神奈川県横浜市出身。自動車レース専門誌の編集者を経て、モータースポーツ・ジャーナリストとして活動の後、2012年からフリーの雑誌記者に転身。雑誌『週刊プレイボーイ』などを中心に国際政治、社会、経済、サイエンスから医療まで、幅広いテーマで取材・執筆活動を続け、新書の企画・構成なども手掛ける。著書に『さらば、ホンダF1 最強軍団はなぜ自壊したのか?』(2009年、集英社)がある。
いろんな話題があったあまり忘れかけている人もいるかもしれない。都知事選をちょっとザワつかせた、小池百合子陣営が選挙戦に活用した「AIゆりこ」のことを。
小池百合子本人に代わり、生成AIを活用して作られたアバターがSNSを通じて小池氏の主張や政策を有権者に訴える......というこの戦略。都知事選のようなメジャーな選挙の、それも有力候補が、AIの生成したリアルなアバターを使って選挙活動を展開するのは初めてのこと。
ちなみに、この「AIゆりこ」は、これまでの取り組みや政策を一方的に伝えるのみで、有権者からの質問に答えたり対話したりはできない。
しかし、その一方で「デジタル民主主義の実現」を訴えて立候補したAIエンジニアの安野貴博氏はChatGPTのように、インタラクティブな対話も可能な「AIあんの」を開発し選挙戦に投入している。
さらに、リアルな街宣活動と並行して、ネット上のメタバース空間「VRChat」を活用した街宣活動なども行なって話題となった。
急激な進化を続ける生成AIに代表されるテクノロジーは、この先、日本の選挙をどのように変えていくのだろうか?
「昔から『恋と選挙ではすべて許される』なんて言い方もありますが(笑)、基本的に『使えるものはなんでも使う』というのが選挙ですから、今後もAIやネットを活用した最新のデジタル技術が次々と選挙に投入されていくと考えられます」
そう語るのは、選挙制度や「情報と法」の問題に詳しい慶應義塾大学の大屋雄裕教授だ。
「今回、現職知事としての業務もあって多忙な小池氏がAIアバターを活用したというのが象徴的ですが、デジタル技術は、従来の選挙で当たり前の前提として存在した時間や空間、あるいは肉体的な限界を超える手段になります。
選挙期間中にひとりの候補者が演説会や街宣活動を行なったり、有権者との対話の機会を持ったりしようとしても、そもそも時間には限りがあるし、移動にだって時間と労力が必要で、体力の限界だってあります。
しかし、AIアバターやオンラインのチャットボット、さらにはメタバースのような電脳空間といったデジタル技術を活用すれば、従来の選挙活動を縛っていた自然的な限界を超えて、幅広い有権者への訴えかけが可能で、より多くの人たちとの対話も可能になるかもしれない。
その結果、従来よりも有権者が、候補者や政策についてより深く理解した上で、投票先を選べるという可能性があるのです」
それだけではない。従来の選挙を「時間と空間」の制約から解放するデジタル技術の活用は、選挙制度そのものを大きく変える可能性を秘めていると大屋氏は指摘する。
「例えば、『電子投票』の導入です。選挙活動が『時間や空間』の制約を超えられるなら、当然、選挙における投票の仕組みもそこから解放できるはず。
具体的には『有権者が投票所に行って1票を投じる』という従来の選挙制度や『選挙区』という仕組みも、『電子投票』によって大きく変えることが可能でしょう」
どういうことか?
「例えば、『世代別選挙制度』の実現です。日本社会では急激な高齢化で、有権者に占める高齢者の比率が増え続けている、いわゆる『シルバーデモクラシー』の問題が指摘されていますが、将来の日本社会を支える若者の意見を政治に反映するために『選挙で若者が若者の代表を選べる仕組み』が必要だという声があります。
ならば、今のような『選挙区』ごとの形ではなく『各世代』ごとの代表を選んではどうか、という意見があるのです。しかし、例えば『30代の代表』を目指す候補が全国規模で従来のような選挙活動を展開するのは、おそらく不可能ですし、地理的な制約から地域の投票所を基本にした今の投票制度の中で、世代別選挙を実現するのも簡単ではない。
しかし、メタバースなどの電脳空間を活用した選挙活動と、オンラインの電子投票を可能にすれば、実現できるかもしれないのです」
ちなみに、電子投票に関しては、マイナンバーを活用することで技術的にはすでに問題なく導入可能なレベルにあるという。
「それに、電子投票が導入されれば、1票を分けて投票するという、これまでにはなかったアイデアも実現可能になります」
え? 「1票を分けて投票」ってどういうこと?
「例えば、先ほどの『世代別選挙』の発想をさらに一歩進めて、『選挙権をまだ持たない将来世代である18歳未満の子供』の利益を政治に反映したいなら、『その親に追加の1票の権利を与えるのはどうか』という考え方があります。しかし、『その1票を親のどちらが受け取るのか』という問題がありました。
そんなときに電子投票が使えれば、両親がふたりともいる場合、子供の分の1票をそれぞれに0.5票ずつ分割することが可能です。
また、『自分には候補を選ぶだけの十分な政策の理解や知識がないので、信頼できるほかの誰かに選択の一部を委ねたい』という場合、自分の持つ1票の7割、つまり0.7票をその人に譲り、残りの0.3票だけを投じるという方法もある。
このように、最新のデジタル技術を活用することで、これまでの選挙区の設定や、代表者の選出とは違う原理に基づく選挙制度が可能になる。
その結果、従来よりも理想に近い『代表の選び方』につながってゆくのなら、それは、『民主主義にとって極めて大きな進歩』かもしれないというのが、デジタル時代の選挙がもたらすポジティブな側面だと思います」
とはいえ、今の日本の政治を取り巻く現実や、既得権益を守ろうとする人たちの影響力を考えれば、こうした「超デジタル時代」の最新技術が今すぐ、世代別選挙制度の導入や選挙区制度の廃止など、既存の選挙制度の抜本的な見直しにつながるとは考えにくい。
一方で、今回の都知事選が示したように、今後も生成AIなどのデジタル技術が、こうした最新技術などまったく想定していない旧態依然とした公職選挙法の下で、選挙戦の武器として野放しで導入されるようになれば、そのネガティブな影響もまた大きいのでは?
「まず、選挙の公平性の問題があります。よく『ネットやデジタル技術の発達は社会をより平等にする』といわれますが、現実は必ずしもそうではない。
例えば、規制がないまま、資金力に恵まれた候補が高度なAIを使ったアバターを大量に生成してメタバース上で大規模な選挙活動を展開すれば、資金力が選挙結果を左右する世界になる。
今のポスターの掲示板などの仕組みはアナログで制約も大きいですが、候補者が掲示できる場所を均等に用意することで公平性を担っている面もあり、デジタル技術がそんな公平性を揺るがす可能性も考慮しなければなりません」
また、そもそも有権者は投票先を政策で決めているのか、という疑問もある。
「多くの有権者は候補者の主張を慎重に吟味して比較検討するのではなく、所属政党やその候補が信頼できる人物なのか、という人柄優先で投票先を選んでいるのではないか......ということ。
そうした判断においては、候補者の表情、立ち居振る舞いや話し方、あるいは、今、米大統領選でバイデン大統領に向けられているような『政治家としての激務に耐えられるだけの気力や体力があるのか?』といった評価など、リアルな候補者自身から伝わる雰囲気もまた、重要な検討材料になっている。
技術的には、高度な学習機能を持つAIアバターの『AIゆりこ』と『AIれんほう』が48時間ぶっ続けでバーチャル激論を戦わせる......みたいな近未来もありえるわけですが(笑)、現実には実際の候補者の雰囲気で選ぶ有権者も多いことを考えると、候補者本人ではないAIアバターやチャットボットが活躍する近未来の選挙戦はまだ先の話かもしれません」
しかし、技術が制度を追い越すのが常だ。
「都知事選でもネットが大きな影響力を持つことが可視化されたし、今後もデジタルプラットフォームは活用され続けるでしょう。そして生成AIが進歩すればするほど、例えばディープフェイクとして悪用され、誤情報の拡散に使われかねません」
超デジタル時代の選挙においては有権者のリテラシーがますます重要になりそうだ。
ジャーナリスト/ライター。1965年生まれ、神奈川県横浜市出身。自動車レース専門誌の編集者を経て、モータースポーツ・ジャーナリストとして活動の後、2012年からフリーの雑誌記者に転身。雑誌『週刊プレイボーイ』などを中心に国際政治、社会、経済、サイエンスから医療まで、幅広いテーマで取材・執筆活動を続け、新書の企画・構成なども手掛ける。著書に『さらば、ホンダF1 最強軍団はなぜ自壊したのか?』(2009年、集英社)がある。