佐藤優さとう・まさる
作家、元外務省主任分析官。1960年、東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了。『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞
ウクライナ戦争勃発から世界の構図は激変し、真新しい『シン世界地図』が日々、作り変えられている。この連載ではその世界地図を、作家で元外務省主任分析官、同志社大学客員教授の佐藤優氏が、オシント(OSINT Open Source INTelligence:オープンソースインテリジェンス、公開されている情報)を駆使して探索していく!
* * *
――佐藤さん、イスラエルへの弾丸往復の旅、おつかれさまでした。で、現在、ガザの惨劇が続いているのは、イスラエルのネタニヤフ首相が全ての原因って本当ですか?
佐藤 この問題を解決するのは、インテリジェンス(確定情報)的に見ると本来は非常に簡単なことなんです。
――どうするんですか?
佐藤 ガザにいるユダヤ人の人質の全員解放をイスラエルが求めるならば、その人質たちはハマスの手の内にあるわけですから、ハマスの要求を飲まざるを得ません。
しかし、ハマスの最終的な目的はイスラエル国家を解体することです。当然、現時点でイスラエルがその要求を飲まないことは、ハマスも当然わかっています。
なので、ハマスの現実的な要求としては、イスラエルに捕らえられている自分たちの戦闘員の釈放です。これは、イスラエルから見ると、テロリストの釈放となりますよね?
――はい。
佐藤 だから、イスラエルはそのテロリストの釈放に応じるしかありません。数百人だろうと数千人だろうと、ハマスが求めるだけのテロリストを釈放するしかないんです。
そうすることによってのみ、イスラエルはユダヤ人の人質を取り戻せます。そして、取り戻した後に復讐すればいいんです。
――そのインテリジェンス世界の標準的な見方は、ユダヤ人の基本的な考え方に合致していますよね。それは、世界のどこかにユダヤ人がいれば、どんな方法をとってでもまず助ける。そして、このイスラエルの地に連れて来る、というのが基本ではないですか?
佐藤 そうです。それからユダヤ人を虐殺した奴らは、野を越え、山を越え、草の根を掻き分けても探し出して、相応の責任を必ず取らせます。
だから、イスラエルの方針は決まっているんです。しかし、ネタニヤフにはそれが実行できません。なぜなら、ネタニヤフ自身が2019年から訴追されており、内閣の座から下りればすぐに捕まる状況だからです。ちなみにいまの容疑は、詐欺、収賄、それから背任です。
――国のトップがやってはいけない3点セットが勢揃いです。
佐藤 しかも、奥さんと息子が絡んでいて、捕まると家族全員が塀の中ということになります。
――いまは首相だから絶対に辞めない。
佐藤 さらに首相になってからは、国会が最高裁の決定を覆せる法律を作ろうとしています。司法を変えてまでして、首相の座を守ろうとしている状況です。
――トランプよりあっぱれな国家指導者であります!
佐藤 そして、内閣は極右派のふたりに牛耳られています。では、その極右派が何を主張しているのか?
まず財務相のスモトリッチは、ユダヤ人至上主義者です。ユダヤ人は優秀な人種で、それ以外の人間はユダヤ人に従うべきだという人種主義者です。
――まさに極右!
佐藤 それから、もうひとりのベングビール国家安全保障相は、かつて中東和平を実現したラビン首相を暗殺したグループに属しています。要はテロリストです。
このふたりの主張は、ガザからパレスチナ人を追い出してユダヤ人を入植させ、"ユダヤ人の地"にするというものです。
――すさまじい国家安全保障です。
佐藤 現在のネタニヤフ政権は、このふたりに引きずられています。
――すみません、それってイスラエル建国の精神から外れていませんか?
佐藤 外れていますよ。
――ネタニヤフ首相はいま辞めると刑務所へ。だから、テロリストふたりのいうことを聞いて、いま、ガザの戦いが続いている。
佐藤 そういうことです。
そして普通であれば内閣を倒しますが、イスラエルの現状ではできません。どうしてかというと、ヒズボラとイランがいるためです。
彼らの立場は、イスラエルがこの世の中から存在してはいけないということ。ならば、イスラエルが内政で混乱しているチャンスがあれば、そこを攻めないといけません。
――だったら、いまが最大にして最良のチャンスではないですか?
佐藤 そうです。だからネタニヤフを辞めさせられないのです。"ネタニヤフ降ろし"を行なえばヒズボラが攻めてきます。そういう緊張状態にイスラエルは陥っているのです。
――どこかに活路はないのでしょうか?
佐藤 いま、ヒズボラ、イラン、イスラエルは戦争をしたくない状況です。
しかし、その微妙な均衡が崩れると、戦争を始めざるを得ません。もし全面戦争に至った場合、イスラエルは最終的に核兵器を使ってでも勝利しようとします。しかしそんなことをした場合、イスラエルは国際的に孤立します。
――イランの大統領が「国際対話派」という穏健派の人物になりましたね。
佐藤 はい。そのことによって、不確定要素がひとつ消えました。ただ、依然として最大の不確定要素であるネタニヤフが残っています。
――これって、イスラエル建国以来の危機なんじゃないですか?
佐藤 そう思います。建国以来の最大の危機です。
――解決方法はどうすれば?
佐藤 ネタニヤフが現実策に転ずることです。ネタニヤフにそれができないならば、極右の閣僚のふたりを排除して、挙国一致内閣で現実的な方策を取るしかないでしょう。
つまり、ハマスの要求を全面的に飲んで、人質を釈放する方向に向かわなければ解決しません。
――そしてその後、何年もかけてハマスに復讐する。
佐藤 それはそうです。だからいま、その脆い均衡が崩れるか崩れないか、そこでの葛藤が続いています。世界で一番緊張しているのはイスラエルです。
――状況はウクライナ情勢よりも難しいのですか?
佐藤 かなり難しいですね。しかもみな、それぞれの立場に縛られていますから。
しかし、均衡が崩れると、イランとしても、ヒズボラとしてもイスラエルに攻め入らなければなりません。そして、イスラエルもそういう隙を示したら終わりです。これらの要因がさらに事態を難しくしています。
――イランがいまは戦争をしたくないのは、まだ、自国で核兵器ができていないからですか?
佐藤 その通りです。イスラエルには核がある。それが首都・テヘランに飛んできたら終わりですから。
――いまはイランに核で報復する手段がないだけの話。開発できれば、すぐにイランは戦争を始める......。
佐藤 いま、核兵器を含めた複雑なゲームが行なわれているのです。これまでの危機とは緊張のレベルが違います。
次回へ続く。次回の配信は2024年8月9日(金)予定です。
作家、元外務省主任分析官。1960年、東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了。『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞
1959年神戸市生まれ。2001年9月から『週刊プレイボーイ』の軍事班記者として活動。軍事技術、軍事史に精通し、各国特殊部隊の徹底的な研究をしている。日本映画監督協会会員。日本推理作家協会会員。元同志社大学嘱託講師、筑波大学非常勤講師。著書は『新軍事学入門』(飛鳥新社)、『蘇る翼 F-2B─津波被災からの復活』『永遠の翼F-4ファントム』『鷲の翼F-15戦闘機』『青の翼 ブルーインパルス』『赤い翼アグレッサー部隊』『軍事のプロが見た ウクライナ戦争』(並木書房)ほか多数。