世界中から才能のある移民を受け入れ、発展したアメリカのテクノロジー業界。そんな"リベラルの牙城"でなぜか今、巨万の富を持つ大物企業家や投資家が続々とトランプ支持を表明している。この変化の背景には何があるのか?
■華やかなテック業界は実際は「頭打ち」?
イーロン・マスクが、共和党の大統領候補ドナルド・トランプに毎月約4500万ドル(約70億円)の献金を予定している――。米ウォール・ストリート・ジャーナル紙の7月15日(米時間。以下同)の報道は大きな反響を呼んだ。
政治広告をはじめ各種活動に莫大な(日本円に換算すれば兆単位の)資金が投じられる米大統領選挙だが、企業家とはいえ個人の献金としては決して小さな額ではない。
アメリカのテクノロジー(テック)業界といえば、人々は進歩的でリベラル、民主党支持というのが大方のイメージだろう。
2016年、2020年の大統領選で公然とトランプを支持した業界の著名人は、ネット決済サービスのペイパル共同創業者(なおマスクも創業メンバーのひとり)でフェイスブック(現メタ)の初期投資家でもあるピーター・ティール、大手ソフトウエア企業オラクルの共同創業者ラリー・エリソンら数えるほどしかいなかった。
実際の選挙結果を見ても、シリコンバレーがあるカリフォルニア州サンマテオ郡では民主党が圧倒的に強く、2020年の大統領選ではジョー・バイデンがトランプの4倍近く得票している。
今も業界全体で多数決を取れば、民主党支持者が圧倒的に多いことは変わらないだろう。しかしその一方で、ここにきてテック業界の一部のスーパーリッチたちが次々とトランプ支持を公言。それを歓迎、あるいは追随する動きも出始めている。
EVメーカーのテスラ、宇宙開発企業のスペースXのCEOを務め、X(旧ツイッター)の所有者でもあるマスクはその筆頭格で、7月13日にトランプが銃撃された直後に「全面支持」を表明。
また、ペイパル元COOのデビッド・サックスや、先端テック企業への多額の投資で知られる著名ベンチャーキャピタル(VC)の投資家たち(「アンドリーセン・ホロウィッツ」のマーク・アンドリーセンとベン・ホロウィッツ、「セコイア・キャピタル」のショーン・マグワイアとダグラス・レオンら)も、支持や献金の意志を明らかにした。
これはいったい何を意味するのか? テック業界の動向に詳しい駿河台大学教授の八田真行氏が解説する。
「基本的にはトランプがどうこうというより、反バイデン政権の意味合いが強いと私はみています。
最近はAIの話題が世界を席巻し、テック業界全体が華やかに見えますが、実際のところ業界は一昨年頃から成長がやや頭打ちになりつつあります。AIは"面白いおもちゃ"ではあるものの、巨大な利潤を生む見込みは立っていませんし、ほかに成長分野といえば、パッと思い浮かぶのは仮想通貨やブロックチェーンといった『ウェブ3』と呼ばれるジャンルくらいでしょう。
しかし、ヨーロッパはAIや仮想通貨に厳しい規制をかける方向に進み、バイデン政権も技術の安全性に対する疑念や独占禁止法の適用などでこうした分野への規制を強めつつありました。
例えば、共同創業者ふたりがトランプ支持を表明したVCのアンドリーセン・ホロウィッツは、ウェブ3分野に多額の投資をしています。当然、この分野がコケたら困るわけで、少なくとも仮想通貨については規制を緩和すると明言しているトランプに勝ってもらったほうが都合がいいというのはあるでしょう」
新たに民主党の大統領候補となったカマラ・ハリス副大統領も、大筋ではバイデン政権の路線を踏襲することが予想される以上、彼らがトランプを支持する理由のひとつは、自らの利益を守ろうとするわかりやすいロビイングだと考えていいだろう。
■マスクはトランプに完全ベットできない
ただし、その背景には単なるカネの話にとどまらない"感情の問題〟もありそうだ。八田氏が続ける。
「16年の大統領選で大々的にトランプを支援したティールの著書のタイトル『ゼロ・トゥ・ワン』に象徴されるように、彼らの中に"0から1を作れるやつが一番偉い"という意識があることは間違いありません。
また同様に、世の中はテクノロジーのおかげでどんどん良くなっているというテクノ・オプティミズム(技術楽観主義)も彼らの特徴です。要するに、自分たちはシリコンバレーをゼロから世界のテクノロジーの中心にしたんだ、自分たちが世界を変えているんだ、自分たちは特別なんだ、と。
こうした考え方は、規制やメディアへの不信感につながります。例えば『ヨーロッパは市場の大きさをいいことに規制を押しつけてくるが、自分たちではグーグルもマイクロソフトも作れない』とか、『政界では技術を知らない人間が規制を作り、メディアでは技術を知らない人間がテックラッシュ(大手テック企業への反感)をあおっている』といった具合です。
かつて大手メディアがアジェンダセッティングを握っていた時代には、建前であっても民主主義や公平・公正を自明のものとして発言しなければまともには取り合ってもらえませんでした。しかし、SNSなどで個人が発信権を握るようになり、こうしたあけすけな本音をそのまま出せる時代になったことの影響もあるでしょう」
そこに降って湧いたのが、J・D・ヴァンス副大統領候補の選出だ。ヴァンスはティールが支援するVCで働いた経験があり、22年の上院選ではティールから大口の寄付を受け、当選にこぎ着けた。
ヴァンスはGAFAM(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン、マイクロソフト)などメガIT企業に対する姿勢こそ厳しいものの、仮想通貨など新興技術に関しては規制緩和派とみられ、業界では歓迎の声が多く聞かれている。
ただし、トランプもヴァンスも今のところ「目の前の支持者を喜ばせる」ための言動に終始し、実際の政策はよくわからないという評価も多い。また、マスクやティールといったテック業界の大物たちも、トランプと一蓮托生というわけではない可能性が高いと八田氏は指摘する。
「バイデンが大統領選撤退を表明してハリスとの対決が決まり、世論調査で拮抗が伝えられると、マスクはトランプへの献金について『そんなに多額ではない』などと軌道修正とも取れる発言をしています。これは要するに『勝ち馬に乗りたい』というのが彼らの行動原理であって、トランプが負けるなら一緒に沈む気はないということだろうと私は理解しています。
その大きな理由は、彼らのビジネスが今やアメリカ政府との関係抜きには成立しないという事実です。
ティールのデータ分析企業パランティア・テクノロジーズは国防総省などと大量の契約を結んでいますし、マスクのスペースXもNASA(米航空宇宙局)が主要取引先。つまり、大統領選の段階でどちらかの陣営に完全にベットしてしまうと、反対陣営が勝ったときに困ったことになるわけです」
これは見方を変えれば、かつては新興の成長産業だったテック業界が巨大化し、ある意味で「権力」側になりつつあるという構造変化がもたらしたものでもある。
「共和党の基本路線は規制緩和と減税で、要するに大企業や金持ちのための政党です。その意味で、巨大化した業界の一部のトップが近づこうとするのは、それほど不自然なことではありません。
それともうひとつ、身もふたもない見方ですが、私は"中年の危機"という側面もあるのではないかと感じています。インターネット業界の大物たちが20代で世に躍り出たのは1990年代から2000年代初頭で、当時は多くが反権力のにおいをまとっていた。
ところが彼らも50歳前後になり、お金を持ち、守るものも増えた。そして、やることなすことうまくいっていた当時のような"上り坂感"はもうない。つまるところ、これは"利害"と"加齢"の問題であるとの見方も案外成立するのではないでしょうか」
スーパーリッチにも中年の危機? ともあれ、発信力のある彼らの動向は11月の大統領選投票日まで大いに注目されるはずだ。