北ジャカルタのムアラバル地区にあるワラドゥナモスク。2000年以降海面下に沈み、現在は使われていない 北ジャカルタのムアラバル地区にあるワラドゥナモスク。2000年以降海面下に沈み、現在は使われていない
約1万8000の島々で構成されるインドネシアでは、独立79周年になる今年、「首都移転」が本格的にスタート。新しい首都の名前は「ヌサンタラ」で2045年を目標に移転完了を目指すという。移転の理由は現首都ジャカルタ(人口約1000万人)の深刻な地盤沈下だ。現地にその様子を確かめに行くと......想像を絶する光景が広がっていた!

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インドネシアの首都ジャカルタは今、未曽有の危機にひんしている。年間約15㎝のペースで進む地盤沈下と温暖化による海面上昇などで、2050年にはジャカルタ北部の95%が海に沈むと予測されているのだ。

「この辺りは晴れた日でも路面は海水で覆われている。大雨が降ったら、家の中に水が入ってくることもあるんだ」

ジャカルタ北部のムアラバル地区で出会った警備員の男性はそう話す。バイクを運転する人々も、日常の一部となった浸水には慣れた様子だ。

ムアラバル地区の漁港がある町は、所々道路に海水が流れ込む。洪水直後のような光景だが、ここではこれが日常のようだ ムアラバル地区の漁港がある町は、所々道路に海水が流れ込む。洪水直後のような光景だが、ここではこれが日常のようだ 国立博物館に展示されていた新首都ヌサンタラの完成イメージ図。先進的な都市機能を持ちつつ、自然と調和した首都を目指す、というのが政府の方針 国立博物館に展示されていた新首都ヌサンタラの完成イメージ図。先進的な都市機能を持ちつつ、自然と調和した首都を目指す、というのが政府の方針
ジャカルタは地盤沈下のほかに頻繁に起きる洪水、人口過密による慢性的な交通渋滞や大気汚染など市民の日常生活をむしばむ問題を数多く抱えていた。そんな中、ジョコ現大統領が思い切った策を打ち出したのは19年のこと。首都の移転を決めたのだ。

新首都の名は「ヌサンタラ」。ジャカルタから直線距離で約1200㎞離れた、カリマンタン島の密林を切り開いた場所だ。全体の面積は東京都の約1.5倍。すでに新大統領府「ガルーダ宮殿」などが完成しているが、今年8月から、国を挙げての首都大移転がついに動き出した。

ジャカルタ中心部にあるムルデカ広場。その中央にそびえ立つ白い塔は、モナスと呼ばれる国家独立記念塔だ。8月17日、このモナスの眼前にある大統領宮殿と新首都ヌサンタラの2ヵ所で独立記念式典が執り行なわれた。

ジャカルタ市内のショッピングモールに売られていたインドネシア独立79周年Tシャツ。3万9990ルピア(約380円)でセールに出されており、あまり売れてはいないという ジャカルタ市内のショッピングモールに売られていたインドネシア独立79周年Tシャツ。3万9990ルピア(約380円)でセールに出されており、あまり売れてはいないという 今年の独立79周年に掲げられたキャッチコピー「79NUSANTARA BARU INDONESIA MAJU(79周年、新しい群島、インドネシア前進)」。NUSANTARA(ヌサンタラ)は新首都の名称だが「群島」という意味でもあり、島嶼(とうしょ)国であるこの国を象徴する言葉 今年の独立79周年に掲げられたキャッチコピー「79NUSANTARA BARU INDONESIA MAJU(79周年、新しい群島、インドネシア前進)」。NUSANTARA(ヌサンタラ)は新首都の名称だが「群島」という意味でもあり、島嶼(とうしょ)国であるこの国を象徴する言葉
官公庁街には独立記念と首都移転を祝う紅白の幕や旗が飾られ、街中ではヌサンタラのロゴが入った記念Tシャツも売られていた。

インドネシアは2045年までにGDPで世界5位以内に入ることを目指しており、経済成長著しい。中心部のショッピングセンターにはハイブランドの店が軒を連ね、買い物客でにぎわう。現地の旅行代理店の担当者は、「来年からヌサンタラへのツアーも始まる予定です」と陽気に話した。

まるで国全体が浮かれた雰囲気に包まれているかのようである。だが、その陰に国民の不安が渦巻いていることはあまり表沙汰にならない。

ジャカルタ北部、高層ビルが立ち並ぶ中心部から数㎞離れた北部に移動すると、その景色は一変した。

「首都が移転しても俺たちの暮らしは変わらない」

そう話すのは、ムアラバル地区にある海岸の隅で用を足していたアグンさん。海岸周辺には、腐った生ゴミのような異臭が広がっている。 

水没したモスクのそばには浸水を防ぐための壁が建てられている 水没したモスクのそばには浸水を防ぐための壁が建てられている ムアラバル地区の住民の中には、水没したモスク周辺の海域で魚介類を捕って生活をしている人も ムアラバル地区の住民の中には、水没したモスク周辺の海域で魚介類を捕って生活をしている人も
アグンさんがいた海岸の先には、イスラム教の礼拝施設であるモスクが見えた(冒頭の写真)。しかし、地盤沈下による浸水が激しく、礼拝の場としての役割を失って久しい。今は地元住民の漁場になっており、自分たちで食べるための小魚やカニ、海ブドウなどを捕獲・収穫する人々の姿があった。

現地のジャーナリストはこう話す。

「この辺りで暮らす人は地盤沈下の影響を直接受けている。しかし、貧困層が多く日々の生活に必死で、引っ越すことさえもできない」

人口集中に加え、深刻な環境問題は日本にとっても人ごとではないはずだ。