男女群島付近で約2分間、領空侵犯した中国空軍の情報収集機「Y-9DZ」。その後もしばらく周辺空域にとどまった 男女群島付近で約2分間、領空侵犯した中国空軍の情報収集機「Y-9DZ」。その後もしばらく周辺空域にとどまった

史上初めての中国軍機による領空侵犯事案は、中国側が「深読みしないでほしい」とミスだったことを事実上認め、沈静化した。しかし、問題は九州まで中国空軍の活動が広がっているという事実そのものであると専門家は指摘する。いったい何をしに来ているのか?

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■国籍マークも隠された領空侵犯機

変則的な動きで西日本に長く停滞した台風10号がまだ遠い南の海上にあり、気象庁が注意を呼びかけていた8月26日。東シナ海に浮かぶ長崎県・男女群島沖で、午前11時29分から同31分にかけて、史上初めて中国の軍用機が日本の領空に侵入した。

これに対し、航空自衛隊はF-15戦闘機2機とF-2戦闘機2機、計4機が発進しスクランブル対応。無線を通じて通告・警告を発し、中国軍機を退去させた。

自衛隊側はF-2(上)2機編隊、F-15(下)2機編隊がバトンタッチでスクランブル対応(どちらが先だったかは不明)。事態をエスカレートさせず冷静に対処した 自衛隊側はF-2(上)2機編隊、F-15(下)2機編隊がバトンタッチでスクランブル対応(どちらが先だったかは不明)。事態をエスカレートさせず冷静に対処した

航空自衛隊那覇基地で302飛行隊隊長を務めた元空将補の杉山政樹氏が解説する。

「まずはレーダーから〝国籍不明機〟の高度や速度などの情報が来るので、空自は最初の2機編隊がスクランブルする段階で、相手機が飛行可能時間の長いプロペラ機だとわかっていたはずです。

そこで空自側は空中で次の2機編隊にバトンタッチし、相手機を目視確認して、中国空軍の『Y-9』だと判別したのではないかと思います」

その後、空自機のコックピットに設置されているカメラで撮影した写真から、相手機が「Y-9DZ」だったことが判明した。電波の探知・収集を行なう電子偵察や、合成開口レーダーを使った夜間・悪天候下の監視任務を行なうことができる特殊作戦用の最新型情報収集機だ。

各国の軍用機に詳しいフォトジャーナリストの柿谷哲也氏はこう言う。

「Y-9シリーズはバリエーションが多く、電子偵察機だけでも数機種が確認されています。私は北京の軍事パレードで同型機を撮影しましたが、ベースの輸送機型と比べ、アンテナやセンサーのフェアリングが各所に備わっていて武骨な印象でした。

今回領空侵犯した機体は、従来確認されていた塗装と異なる濃いグレー色も印象的ですが、何より驚いたのは、国籍マークも視認できないようカモフラージュされていたことです」

では、こういった電子偵察機の役割は? 元テレビ朝日ワシントン支局長で、米軍事シンクタンクCSBAやジョージタウン大学で客員研究員を務め、現在はIISE(国際社会経済研究所)特別研究主幹、信州大学特任教授を務める布施哲氏が解説する。

「電子偵察の目的は、通信に関わらない電波の収集です。敵の兵器が発する電波、例えばミサイルのテレメトリー(位置や燃料の残量などを伝える電波信号)や戦闘機・艦艇の武器管制レーダーなどの周波数、パルス幅といった特性をライブラリー化し、兵器の類別・識別、活動の実態把握などに役立てるわけです」

では、中国が今、自衛隊や米軍に関して一番取りたい電子情報とは?

「真っ先に思い浮かぶのは、米海軍の電子戦機『EA-18G』への搭載が始まった次世代ジャマー(通信妨害装置)や、米イージス艦への搭載が始まった最新鋭の電子戦システムです。

前者は遠距離から敵の地対空ミサイルのレーダーや通信機能を低下・停止させる能力があるとされ、後者は巡航ミサイルや弾道ミサイルに対する艦隊防空で劇的な効果を発揮すると推測されています。

ただし当然、これらの情報は最も秘匿度が高い領域なので、米軍が訓練する際は敵に能力や運用要領を悟られないよう細心の注意を払っているはずです」(布施氏)

■狙いは下甑島に配備された〝ガメラ〟?

台湾政府の協力の下、10億円超の製作費をかけ来年放送される予定の連続ドラマ『零日攻撃 ZERO DAY』は、中国の台湾侵攻シナリオを描いている。その始まりは、今回の領空侵犯機の前シリーズに当たる中国軍のY-8対潜哨戒機が台湾周辺で行方不明になり、救難・捜索の名目で中国軍が台湾を海上封鎖する――というものだった。

ただ、今回の領空侵犯が意図的なものだったかどうかについては、杉山氏、柿谷氏、布施氏の3者とも「パイロットの操縦ミス」、つまり事故であると分析している。

「Y-9DZの任務は地道な情報収集です。空自のスクランブル機がやって来て情報収集を中断するのは本末転倒ですから、わざわざ領空侵犯をする動機は見当たりません」(柿谷氏)

しかし、もちろんこれは「うっかりなら仕方ないね」で一件落着という話でもない。杉山氏はこう指摘する。

「以前は中国大陸沿岸でのみ活動していた中国空軍が、だんだん外に出て、宮古海峡(沖縄本島と宮古島の間)を通って太平洋に出られるようになったのが2010年代。そして今回、広く明らかになったのは、中国空軍がすでに東シナ海から九州に近づき、日本の領空ギリギリまで飛び出して、取れる情報を取って帰っているという事実です。

『零日攻撃』で描かれているように、その存在をきっかけに戦争が起きる可能性があるほど重要な軍事アセットが、九州まで出てきたことの意味を軽く見るべきではありません。

なお、今回の領空侵犯機の動きから考えると、狙いは空自・西部航空方面隊第9警戒隊のいる鹿児島県・下甑島分屯基地にある〝ガメラレーダー〟だったのでしょう」

領空侵犯機の旋回空域から見て東に位置する下甑島には、空自のガメラレーダーが配備されている。その電波情報が狙いだった可能性大 領空侵犯機の旋回空域から見て東に位置する下甑島には、空自のガメラレーダーが配備されている。その電波情報が狙いだった可能性大

外観が怪獣ガメラの甲羅に似ていることからその異名がついたフェーズド・アレイ・レーダー「J/FPS-5」は、探知距離が数千㎞に及び、弾道ミサイルの追尾から自軍の防空戦闘機の管制まで担う。

特に下甑島は、グアムの米軍基地や西太平洋に展開する米空母を狙う中国の弾道ミサイル発射を早期探知するには絶好の位置にある。

「領空侵犯は国際法違反の大失態ですが、中国空軍が能力を着実に上げていることは事実です。これからも淡々と戦略を推し進め、この空域での活動を活発化させていくでしょう」(杉山氏)

■数年後には爆撃機が九州周辺に飛来?

では今後、中国軍の九州方面での活動はどのようにエスカレートしていくのか?

中国軍の活動がより進んでいる尖閣諸島・南西諸島では、中国国家海洋局の洋上監視機「Y-12」が初めて領空侵犯したのが2012年12月。その4年後の16年9月には、戦闘機、爆撃機など計40機(中国当局の発表)が宮古海峡を通り、西太平洋で大規模訓練を行なっている。

「九州の西側海域でも、いずれ似たような事態になる可能性は高いでしょう。戦闘機や爆撃機などの戦術機を実際に飛ばしてみて、電子偵察機などで集めた情報をもとに立てた予測と、実際の日本側の出方が一致するかを確認する。もし違ったなら、それは特別なのか、それとも通常の対応なのか。次に別のパターンで戦術機を飛ばしたら何がどう変わるのか......。そういった情報収集のために来るわけです」(前出・柿谷氏)

それに対して、空自はどう対応すれば?

「とにかく領空侵犯を許さないことです。台湾空軍の場合、中国の空・海軍機に対して常に数的優位を取ることを基本に対処しています。

日本の場合は台湾よりも中国に対して地理的な間合いと縦深があるので、可能であれば対処が必要な領域に来る前にプレッシャーをかけるなど、押し込まれないように徹底した形でやり続けるべきでしょう。

ただ、今のままではそれは難しい。現状、空自のスクランブルは自衛隊法第84条にあるように、法的には『警察権の行使』という立てつけになっています。

今回の情報収集機はそれでも事が収まりましたが、戦闘機や爆撃機が入り込んできた場合はどう止めるのか。まだ時間がある今のうちに考えておくべき課題です」(前出・杉山氏)

この領空侵犯の5日後、8月31日には、鹿児島県沖の日本の領海に中国海軍の測量艦が侵入した。測量艦の任務は、その海域の海底地形、水温など各種データを集め、潜水艦が通航するための〝海底地図〟を作ることだ。

前出の布施氏はこう語る。

「軍とは偵察、情報収集を日常的に行なう組織ですから、重要なのは自衛隊も中国軍も、無用な摩擦や誤解による衝突がないようリスク管理をしっかりすることです。

ただし、中国は今や立派な軍事大国で、その気になれば日本に威圧や嫌がらせ、攻撃を仕掛ける能力をすでに持っています。そうしないのは、今のところそれをやるメリット、意図がないからに過ぎません。

逆に言えば、台湾有事など中国の国益や戦略目標上の必要性が生じた場合は、その能力を日本に向けるシナリオもありえると考えておくべきでしょう。

最大限悲観的に考えて備えるのが安全保障の基本です。意図は一夜にして変わりえますから、能力の分析をすると同時に、意図に変化の兆しがないかも注視し続けていく必要があります」

小峯隆生

小峯隆生こみね・たかお

1959年神戸市生まれ。2001年9月から『週刊プレイボーイ』の軍事班記者として活動。軍事技術、軍事史に精通し、各国特殊部隊の徹底的な研究をしている。日本映画監督協会会員。日本推理作家協会会員。元同志社大学嘱託講師、筑波大学非常勤講師。著書は『新軍事学入門』(飛鳥新社)、『蘇る翼 F-2B─津波被災からの復活』『永遠の翼F-4ファントム』『鷲の翼F-15戦闘機』『青の翼 ブルーインパルス』『赤い翼アグレッサー部隊』『軍事のプロが見た ウクライナ戦争』(並木書房)ほか多数。

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