岸田首相に近い関係者は言う。「たいていのことは〝聞く力〟で穏やかに周囲の意見を取捨選択されるが、こだわりがある特定の問題については別。われわれは仰せのとおりにやるだけ」。そんなガンギマリエピソード実録編!
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■外務省幹部を呼び出し怒りをぶちまけた
良く言えばソフトで穏やか、いい人そう。悪く言えば力強さがなく、優柔不断。岸田文雄という政治家個人のパブリックイメージは、集約するとこんなところではないか。
安倍晋三元首相、菅義偉前首相との比較でそうなった面もあるだろうし、2018年の自民党総裁選出馬見送りや、昨年6月の〝衆院解散肩透かし〟、あるいは日々の答弁や会見での語り口によって積み上がった印象もあるだろう。
ただし――総理大臣就任後は、ごくまれにではあるが、もうひとつの顔を見せた。普段の〝聞く力モード〟とは真逆の、猪突猛進、頑固一徹、誰が何を言っても聞かない〝ガンギマリ総理モード〟だ。以下、5つの実例を挙げる。
①2022年夏、安倍元首相の「国葬」にこだわり強行
凶弾に倒れた元首相の国葬の是非を巡り、世論は割れた。政権関係者が回想する。
「当時は政府内でも、日本国主催の国葬ではない『国民葬』など、受け入れられやすい葬儀のあり方を模索する委員会をつくって軟着陸させるべきだとの意見がありました。
ところが、岸田さんは『いや、国葬だ』と。戦後最長の宰相という重責を果たした政治家が選挙中に殉職のような形で亡くなったんだから、国が責任を持って送るべきだと。周囲が何を言っても頑として譲らず、反対論を押し切る形で国葬が執り行なわれる運びとなりました」
ただし、岸田首相は安倍元首相と当選同期で個人的には良好な関係にあったものの、「安倍さんは好きだが、安倍派は嫌い」なのだという。
「安倍さんの人気にぶら下がっている連中、というような印象でしょうか。裏金問題の噴出後、安倍派重鎮を要職から一気に降ろした内閣・党人事にも、その一端が垣間見えました」
②2023年3月、戦地ウクライナ訪問を決行
〝外交の岸田〟として強烈なキマリ具合を見せたのが、昨年3月21日のキーウ電撃訪問だ(日本の総理大臣の戦地訪問は戦後初)。
G7広島サミット開催(同年5月)を控え、早くからウクライナ訪問を模索していた岸田首相だが、セキュリティ上の課題や計画の外部流出などがあり実現せず、G7の中での遅れを気にかけていた。
「あるタイミングで岸田さんに呼び出され、ウクライナ訪問を仕切れないことに怒りをぶちまけられた外務省幹部は、『これはやるしかない』と真っ青になっていたと聞きました。
その結果が、インド訪問からそのままポーランド経由でキーウに入る強行日程。特別民間機を借り上げ、護衛の数も減らすなど、外務省のロジ(事務・調整・段取り)担当者の苦労がしのばれました」
③2023年5月、G7首脳の原爆資料館視察を断行
自身のルーツである広島で行なわれたG7サミット。警備やロジの問題、各国との調整など腐心を重ね、岸田首相は各国首脳を平和記念資料館(原爆資料館)の展示視察へアテンドした。
「このときは、最も凄惨な原爆被害の実態が展示されている本館の視察はどうしても難しい、東館だけならなんとか、という状況でした。そこで岸田さんは、『それなら本館の展示を東館に持ってきて見せたい』と、粘り腰を見せて主要展示の視察を実現したのです。
その結果、各国首脳(米英仏は核保有国)は凄惨な被爆の実態を目の当たりにし、花を手向けた。さらに、ロシアの核の脅威に直面しているウクライナのゼレンスキー大統領も別日程で視察。その政治的価値は小さくありません」
なお、岸田首相は外相時代の16年にも、各国外相の原爆資料館展示視察をアテンドしている。
④2023年9月、逃げ回る中国・李強首相を「捕獲」し、処理水問題を「説明」
福島第一原発の処理水放出を受け、中国が日本産水産物の禁輸を決めた直後、インドネシアで開かれたASEAN(東南アジア諸国連合)プラス3(日中韓)に先立つランチタイム。岸田首相は昼食を放り出して中国・李強首相の元へ急行。逃げる間も与えず、「立ち話」で「日本の立場を丁寧に伝えた」(岸田首相本人談)。
「無理筋の嫌がらせで禁輸措置を取った中国側からすると、このタイミングでは首脳同士の接触は避けたかった。しかし岸田さんは『なんとしてもひと言言う』と完全にキマっていたらしく、李強首相の居場所がわかると、随行していた木原誠二官房副長官(当時)が追いつけないほどのスピードで現場に猛ダッシュしたそうです。
立ち話に公的な効力はないものの、外交の文脈では首脳同士が話をしたという事実そのものが大事で、しばらくの間、中国は〝汚染水批判〟のトーンを下げざるをえなくなった。事務方の調整に頼らず、あそこで急に走り出す岸田さんの嗅覚は独特で、今でも外務省周りでは語り草です」
⑤〝増税メガネ〟呼ばわりにブチ切れて定額減税を実施
会見などでは「私はなんと呼ばれても気にしない」と平静を装っていた岸田首相だが、実際には〝増税メガネ〟と呼ばれていることをかなり気にしていたらしい。
「防衛費増額に伴う〝増税の検討〟からそう言われ始めたのですが、実際のところ岸田政権下での増税は、誰が首相でもほぼ決まっていた森林環境税だけ。ご本人も『俺は増税してない』『あれ(増税メガネ)はなんとかしたい』と嘆いていたようです」
そこで、なんとしても「減税」を......ということで決まったのが定額減税。実質的には現金給付に等しいのに、わざわざ「減税」の形を取ることで相当大がかりなロジになってしまったのだが、「減税と賃上げをセットでやるんだ」とガンギマった岸田首相はもう止まることはなかった。
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そして、岸田首相の最後の勝負手となったのが、最側近以外ほぼ誰も(茂木敏充幹事長でさえ)当日まで知らなかったという電撃的な総裁選不出馬表明だ。
「結果的には、これで岸田さんは『任期満了で自ら後進に譲った』形となり、次への目を残したといえます。自民党としても、社会保障費削減、中国経済の減退に伴う不況など難しい局面を迎えて時の政権が倒れた際に備え、〝岸田再登板〟というワイルドカードを残す形になりました」
ガンギマリ総理、いつかカムバック!?