海兵隊に転属したサイトウが配備を命じられたのは、かつて「トップガン」が実際にあった米カリフォルニアのミラマー海兵隊航空基地だった。乗っていたCH46中型ヘリと 海兵隊に転属したサイトウが配備を命じられたのは、かつて「トップガン」が実際にあった米カリフォルニアのミラマー海兵隊航空基地だった。乗っていたCH46中型ヘリと
米海軍横須賀基地から始まったサイトウ曹長の米軍を巡る旅。海軍入隊後、メディック(衛生兵)としての訓練を重ねた後、海兵隊転属の命令を受けて、米ミラマー海兵隊航空基地へ。

そして、ヘリに乗る衛生兵・フライトメディックとして、激しさを増し続けるイラク戦争に出兵する日が来た。揚陸艦に乗り込み、まずは隣国クウェートを目指す。サイトウ曹長がイラクの道中、そして戦地で見た景色とは。

"米軍全クリ"に最も近づいた日本男児 サイトウ曹長の米軍を巡る冒険譚 〈第2回 イラク戦争前編〉】

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■「海兵隊にようこそ、ドク」と言われた夜

米カリフォルニア州、ミラマー海兵隊航空基地。ここにはかつて、海軍戦闘機のパイロットを育成する海軍戦闘機兵器学校、通称「トップガン」があったが、今は第3海兵航空団が展開している。

この航空団は、FA18戦闘機を運用する第11海兵航空団、F35Bを運用する第13、そしてサイトウ伍長(当時)の配属先、中型ヘリを使う第16海兵航空群がある。

サイトウ伍長の配属されたHMM-163飛行隊は、当時CH46中型ヘリを運用していた。前後にふたつのプロペラを持つツインローターヘリで、機体胴体全長13.1m。大型バスより約1m長い。巡航速度241キロ、航続距離396㎞。乗員3人で、武装兵も最大25人乗せられる。

「ミラマー基地に着いても、しばらくはヘリに乗るための訓練の日々でした。

ヘリの搭乗スペースを模した大きな鉄箱に乗せられ、そのままプールに落とされて脱出する演習とか。ヘリが水上に不時着した場合にも、冷静に脱出できるようにするための訓練です」

第16海兵航空群HMM-163飛行隊はCH46中型ヘリを運用していた。そして2006年にイラク戦争に派遣(撮影/柿谷哲也) 第16海兵航空群HMM-163飛行隊はCH46中型ヘリを運用していた。そして2006年にイラク戦争に派遣(撮影/柿谷哲也)
それに合格しないとヘリには乗れない。

「自分はスキューバダイビングのライセンスを持っていたんですけど、それでも怖かった。最終課程では目隠しされたり、夜間にやったりするので、上下がどっちかもわからなくなるんですよ。小さな酸素ボンベが与えられたときもあったけど、それも数分くらいしか持たないっていう」

訓練をこなす裏で、イラク戦争はさらに激烈を極め、現地でメディック(衛生兵)は必須の兵士となっていた。

「無事に合格し、すぐにイラクに向かいました。それが2006年のこと。陸軍なんかは一気に大人数を送る必要があるので飛行機で大量輸送するのですが、ウチら海兵隊は人数が少ないのでサンディエゴから強襲揚陸艦LHD-6(USS Bonhomme Richard)で行きました。

ヘリをそのまま乗せて、何度か停泊しつつクウェートまで洋行する。最初に、約2週間かけてシンガポールへ向かいました」

陸軍と空軍は飛行機で戦場に行くが海兵隊は強襲揚陸艦で向かう(撮影/柿谷哲也) 陸軍と空軍は飛行機で戦場に行くが海兵隊は強襲揚陸艦で向かう(撮影/柿谷哲也)
約2週間で太平洋を横断する。高波などでひどく揺れたりしないのだろうか?

「空母や揚陸艦は艦底部が真っ平らに造られていて、波に対してあまり揺れない安定感のある構造になっています。その代わり航行速度は遅い。ちなみに護衛艦などは艦底部がV字になっているので速いんです。

とはいっても艦の上に2週間ですから。特に気がめいったのは食事です。最初の1週間はサラダや牛乳が出るんですが、1週間過ぎる頃には新鮮な野菜が出なくなり全部揚げ物になるんです。後半はチキン、魚、ポテトのフライだけ」

イラクへ向かう強襲揚陸艦LHD-6にはヘリのほかにAV8B・VTOL戦闘機も搭載していた。海に出て1週間が過ぎると食事は揚げ物ばかりに イラクへ向かう強襲揚陸艦LHD-6にはヘリのほかにAV8B・VTOL戦闘機も搭載していた。海に出て1週間が過ぎると食事は揚げ物ばかりに
そしてシンガポールに着岸。陸地でつかの間の休息だ。

「シンガポールではバーに飲みに行ったりしましたよ。そこで女性をナンパしてね。そしたら、そいつの男が出てきて急に殴られたんですよ。『手ぇ、出すなよ』って。

そしたら、吹っ飛ばされた僕を見たほかの海兵隊員たちが、一斉にそいつを押さえてボコボコにしてね。騒ぎが大きくなってきたので、当時の曹長が『逃げるぞ!』って。皆で夜のシンガポールを全速力で走って逃げました。

逃げ切ったところで、『海兵隊にようこそ、ドク』って言われてね。海兵隊で『ドク』と呼ばれるのは、メディックとして信頼されている証拠なんです。認められたのかなってうれしくて、ちょっと泣きましたね」

■クウェートに到着、イラク出撃の準備

そして再びイラクを目指して洋上へ。

「飯に困るってわかったので、シンガポールで炊飯器と米、レトルトカレー、カップラーメンを大量に買っておいたんです。一般の海兵隊員だと隠せる場所はないんですが、メディックにはメディックだけが鍵を持ってる医務室があったんです。そこでこっそり作って、仲間内で食べたりしていました」

そうして揚陸艦は2、3週間かけてインド洋を越え、ペルシャ湾に入る。たどり着いたクウェート沖は40℃を超える酷暑で、容赦ない日差しが照りつけた。

「揚陸艦からLCAC(エルキャック・揚陸用ホーバークラフト)に乗って、クウェート沖の海浜に上陸しました。これが結構揺れるんですよ。揚陸艦では酔わなかったのに、最後の最後に船酔いしてね(笑)。

着いてすぐにイラクには入りません。気候に体を慣らさないと倒れるので、まずクウェートの米陸軍駐屯地に行って1週間過ごすんです。

駐屯地には韓国軍や航空自衛隊もいました。イタリア軍もいたかな。空自のやつらとは『俺も日本人なんだ』って話しかけて『なんか飯ない? カップ麺と交換してくれよ』ってやりとりしましたよ。そこの隊員食堂は米陸軍が仕切っていたけど、韓国軍がいたからキムチと白米があってね。それがうれしかった」

揚陸艦からLCAC(揚陸用ホーバークラフト)に乗り換えてクウェート沖の海浜に上陸。揺れが激しく上陸直前に船酔いしたという 揚陸艦からLCAC(揚陸用ホーバークラフト)に乗り換えてクウェート沖の海浜に上陸。揺れが激しく上陸直前に船酔いしたという
そしてイラクに出兵する準備を整えていく。

「酷暑の砂漠でどう生き延びるかなどの講習を受講したりして、1週間が経過した6月3日、『明日、イラクに入る』と中隊長から言われました。その夜に実弾が支給されて、翌4日、自分の誕生日の早朝にヘリで飛び立ちました」

イラクのアル・アサード航空基地に到着。米軍が占領してから造られた基地だ。

「航空基地で最初にしたのは住む部屋の手続き。滑走路の近くに小屋みたいな小さな隊舎が何十個も建てられて、ベッドがふたつあるふたり部屋にもうひとりのクルーと住むことになりました。

ベッドはちゃんとマットレスだったし、日本製のエアコンもあって、お金を払って契約すればインターネットも使えて。かなり便利でした」

■負傷兵をヘリに乗せ「死なねえから、大丈夫だ」

そしてついに戦場での任務が始まる。

「自分たちは『フライトメディック』と呼ばれていました。任務の内容は、最前線で負傷した兵士をヘリに乗せて基地の病院に搬送する際に機内で負傷兵を診ることです」

イラクの診療所での写真。ここからヘリで出発して前線に行き、負傷兵を乗せて戻ってくるという任務を繰り返した イラクの診療所での写真。ここからヘリで出発して前線に行き、負傷兵を乗せて戻ってくるという任務を繰り返した
基地に連絡が入ったらすぐに動き始める。

「負傷兵の情報が入ったら、CH46に走って乗り込み、すぐに離陸。指定された地点に急ぎます。

だいたい、最初に速度の速いUH60ブラックホーク(最高速度295キロ)が出て、その後に負傷兵が多く乗せられるCH46(最高速度267キロ)が出る。

そのとき、何度かイラクに来たことがあった曹長に『死にたくなかったら、着陸する前に階級章と衛生のマークを外したほうがいいよ』と言われました。負傷兵を運ぶ衛生兵なんて相手のスナイパーからしたらただの餌食(えじき)ですから。標的にする順番は指揮官、無線手、そしてウチらメディックなんです。『死にたくねー!』って思ってすぐに取りましたよ(笑)。

あと、L字形の懐中電灯。あれに赤いレンズをつけて使っているのは、映画好きか、ただのド素人です。赤は米軍の色だからすぐに敵だってわかってしまう。だから自分らは青に変えて使っていました。青は英陸軍の色だから。イラクにいた敵からすると、『赤だ。米軍だぞ。殺そうぜ』となっていましたから」

着陸したCH46の後部ハッチが開くと、担架に乗せられた負傷兵が急いで運ばれる。

「自分らが着くまでに、歩兵部隊についている衛生兵が最初の処置をやってくれているので、負傷兵を機内に乗せながら負傷した状況や戦傷の度合い、施した処置を聞いて、可能な限り早く離陸します」

イラク西部、アル・アサード航空基地に診療所を開設。出撃の際は、防弾装備に身を固め、武器は右腰につけたベレッタM9拳銃と弾倉3個のみだった イラク西部、アル・アサード航空基地に診療所を開設。出撃の際は、防弾装備に身を固め、武器は右腰につけたベレッタM9拳銃と弾倉3個のみだった
そんなとき、敵の武装勢力が現れたら撃ち合いになる?

「運んでるときに撃たれることもありますけど、フライトメディックが銃を撃つような状況ってもう周りが皆死んでるときなんです。ホルスターにM9拳銃は入れてたけど、ただのおもちゃですよ。とにかく早く行って、早く出てくるのがウチらの仕事です」

しかし、ヘリの中でできることは限られる。

「血液型がわからないので輸血はできません。ドラマみたいに心電図を測ったりもありません、戦場ですから。だから自分らの目と耳で呼吸していることを確認し続けます」

しかも、ヘリに乗ったとはいえ安全ではない。戦場の真上を飛ぶヘリは相手にとって格好のターゲットだ。

「乗っていたら『カンッカンッ』と、鉄を叩くような音がするんです。基地に帰ってから、機体を見てみたら『穴が開いてるじゃん!』って。ヘリは防弾じゃないですから。プラスチックと薄っぺらな鉄なので、弾が貫通するから怖かったですよ。

あと、夜に低空飛行しているときに下でたき火とかしていると、それに反応して自動的にチャフ(敵レーダーミサイルの捜索レーダー波を混乱させるためにばらまく金属片)とか、フレア(敵ヒートミサイルが、ヘリの熱源を探知して、飛来するのを混乱させるために、おとりとして発射される火の玉)がバーッと出るのも怖かったですね」

フライトメディックとして負傷した米兵たちを搬送する任務に当たった。戦場を飛ぶヘリは格好の的だ。防弾ではないため、弾が貫通した痕が機体につくことも(撮影/柿谷哲也) フライトメディックとして負傷した米兵たちを搬送する任務に当たった。戦場を飛ぶヘリは格好の的だ。防弾ではないため、弾が貫通した痕が機体につくことも(撮影/柿谷哲也)
イラクの武装勢力はRPG7ロケット砲や携帯式地対空ミサイル・スティンガーのような兵器も持っていた。ヘリはまさに空飛ぶ標的だ。サイトウ伍長はそんな恐怖をどう克服したのか。

「仲間がいたから......っていうのはきれい事だな。ずっと怖かったです。生きているのは運が良かっただけですよ。運が良かっただけ」

そして機体は基地へと向かう。フライトメディックの仕事は、負傷兵を基地の病院に届けるまで死なせないことだ。

「負傷兵に『死なねえから、大丈夫だ』とか『今度、飲みに行こうぜ』って話しかけ続けました。そしたら向こうは痛くて仕方ないはずなのに笑ってくれるんですよ」

CH46が基地に戻ると、負傷兵は救急車に乗せられて、基地内病院に搬送されて本格的な治療を受ける。

基地に戻ったフライトメディックは、機内の血だまりや吐瀉(としゃ)物をきれいに片づけて、使った医療用品を補充し、次の任務に備えて待機に入る。

前線で戦闘が起きればまた負傷者が出る。フライトメディックを乗せたCH46は再び飛び上がる。激戦は続いていた。

第3回「イラク戦争後編」に続く――。

小峯隆生

小峯隆生こみね・たかお

1959年神戸市生まれ。2001年9月から『週刊プレイボーイ』の軍事班記者として活動。軍事技術、軍事史に精通し、各国特殊部隊の徹底的な研究をしている。日本映画監督協会会員。日本推理作家協会会員。元同志社大学嘱託講師、筑波大学非常勤講師。著書は『新軍事学入門』(飛鳥新社)、『蘇る翼 F-2B─津波被災からの復活』『永遠の翼F-4ファントム』『鷲の翼F-15戦闘機』『青の翼 ブルーインパルス』『赤い翼アグレッサー部隊』『軍事のプロが見た ウクライナ戦争』(並木書房)ほか多数。

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