サイトウはこれまでの多様な経験が買われて、陸軍の兵站大学で武器科の教官に。4年余り勤め、一度、年度優秀教官にも選ばれた
横須賀から始まったサイトウ曹長の米軍を巡る旅も最終回。最初は海軍に入隊し、海兵隊に転属してイラク戦争に従軍、そしてついに米軍の中で最も人員の多い陸軍に足を踏み入れた。雑な人事異動に振り回されながらも着実に評価を上げ、陸曹や幹部相手に根性論を叩き込む陸軍兵站(へいたん)大学の教官に。
そうして"米軍全クリ"に最も近づいた日本男児が最後にこぼした米軍の変化と自衛隊への思いとは――。
【"米軍全クリ"に最も近づいた日本男児 サイトウ曹長の米軍を巡る冒険譚 〈最終回 陸軍・兵站大学編〉】
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■米陸軍に入隊するも異動でてんやわんや
米海兵隊隊員としてイラク戦争に従軍したサイトウ軍曹(当時)は無事に生還。そして今度は陸軍幹部学校の試験に合格。海兵隊を除隊し、陸軍幹部を目指す道を進み始めた。
「最初にジョージア州にある学校に入りました。海軍、海兵隊とは違う雰囲気だったので少し戸惑いましたが、そこでの試験で病院の運営に携わる職種に決まりました。
これはもう安泰だなと思いましたね。メディック(衛生兵)としての経験があるし、病院の経営とかになればのんびりと過ごせるかなって(笑)。ただ、そんなときに幹部学校をクビになってしまったんです」
幹部になるために海兵隊を除隊し陸軍に移籍。写真は陸軍の幹部学校に初めて着いたとき。しかし、卒業手前に訓練中にケガをしたためクビに
陸軍の幹部学校での写真
まさか校長相手にケンカでもしたのだろうか?
「いや、ロープを使って壁を登る訓練中に、頭から落ちてケガをしてしまったんです。そしたら医者に『一定期間内に治らないと幹部学校はクビだよ』って言われ、治らなくてクビになりました。
海兵隊や海軍の場合だと試験で合格できなかったり、ケガをしてしまったりして幹部学校をクビになると除隊することになるのですが、陸軍は契約書にサインをしていたら、その契約期間中は途中で辞めることができないんです。
しかも、元の階級で残ることになる。自分は陸曹で残らされることになったので、かなりショックでした。
残るなら衛生科で残りたかったのですが、海軍と海兵隊での経験はまったく考慮されず『空いてる枠がないから武器科に行け』と言われて、仕方なく武器科に行きました」
そしてバージニア州にある武器科の術科学校に入り、3ヵ月間、新たな分野を学んだ。新兵の中に、海兵隊のメディックでイラク戦争に従軍した男が交ざって授業を受ける。
「海兵隊の徽章(きしょう)は目立ちましたが『珍しいね』と言われるくらい。ただ、右腕に部隊章を着けられるのは実際に戦地に行った兵士だけです。
2024年の今、これを着けている兵士は少ないですよ。戦争に行ったヤツはほとんど退官してるか辞めてますから。特に一般兵の士長以下で、右腕に着けているヤツは見たことがありません」
幹部学校をクビになったサイトウは、北朝鮮に近い韓国の議政府市にある「インディアン・ヘッド」と呼ばれる陸軍第8軍第2歩兵師団の武器科に配属され1年勤務した
そして術校を終え、最初の配属先が告げられた。韓国だ。
「韓国には1年いました。週末に街に出て韓国料理を食べるのが楽しみでした。
その次に配属されたのはニューヨーク州の第10山岳師団の部隊。ニューヨークと聞いて都会をイメージしていたので、『なんじゃここは!?』って感じでしたね(笑)」
第10山岳師団は寒冷地と山間部で戦う専門の部隊。ニューヨーク州といってもマンハッタンの真逆、北西の果てのオンタリオ湖の近くにある。
「自分は免除されましたが、-30℃の中で雪中行軍する訓練もありました。自分はそこでCQBの教官をやってみないかと言われたんです」
韓国の次はニューヨーク州に駐屯する山岳戦闘のエリート部隊、第10山岳師団。サイトウは武器科で勤務した
CQBとはClose Quarters Battle(近接戦闘術)のこと。室内や市街地などの狭い空間で戦う近距離銃撃戦テクだ。
「CQBと武器の使い方、あとは壁を爆薬で壊して突入することもあるので、C4爆薬の使い方なども教えました。
それでしばらくしたらまた韓国に行けと言われたんです。しかもそのときは武器科の席が埋まっていて、そこで確定申告や税金関係の部署で働きました。アメリカは自分で確定申告しなければならないので、その手助けです。1週間勉強して、その業務を行なうための資格も取りました」
陸軍に来てから毎年業務が変わる目まぐるしい日々だ。
「もともとメディックだった自分が武器科に行かされるのもおかしな話で......。陸軍は海兵隊や海軍と比べて人数が多いから、人事異動が雑だと感じましたね」
しかし、そんな多様な経験が買われ、陸軍の兵站大学の教官への転属が決まった。
■日本の根性論を米軍に叩き込む!
兵站大学の授業では武器科の陸曹相手に、M9拳銃から榴弾砲まで取り扱った
教官が鬼のように怖いことで有名な海兵隊出身の教官が誕生した。
「まあ、教官は顔で生きていますから、潰されないようにキッチリしてました。ウチの兵站大学には一定の経験を積んだ陸曹や幹部、そして世界中の約26ヵ国から留学生も集まります。もちろん自衛官もいました。
教えていたのは武器科の陸曹相手で、9㎜拳銃弾のM9拳銃から155㎜榴弾(りゅうだん)を撃つトリプルセブンまで。学生は約4人でコースは3ヵ月。36人くらいいるコースもありましたが、ウチは少数精鋭でした。一度、上からの推薦もあって年度優秀教官に選ばれたこともあります」
学生は約4人でコースは3ヵ月。自衛官を含む他国からの留学生もいた
教える際に役立ったのは"大和魂"だ。
「やはり根性論を語るとき。今の日本の若者もそうですが、特にアメリカ人は自分だけの世界に生きているから根性論がないんですよ。日本人と比べると圧倒的にワンマンプレーのヤツが多い。つまり受け身なんです。
自分からイニシアチブを取ることがほとんどないから、知らないことがあっても『教えてくれなかった』みたいな。『そうじゃなくて、おまえが自分から学びに行かないと部隊は全滅することもあるんだぞ』って叩き込むわけです。そういうところを変えていかないと戦場で生きていけないので」
教官時代は毎週水曜日と金曜日に、駐屯地内の隊員クラブでベトナム戦争やイラク戦争を経た退役軍人の先輩方と飲んだ。心のオアシス的存在だった
しかし、教官としてのやりがいを感じていた頃にコロナ禍に入る。授業はすべて止まった。
「その頃、軍の葬式を取りまとめるチームを仕切ることになったのです。寄せ集めの儀礼隊みたいなもんですかね。アメリカでは軍隊経験者が亡くなったら近くの各駐屯地から葬式のチームが出て葬式を行なうんですよ。
あるとき、参列者の高齢男性が急に倒れて。脈を測ったら心臓が止まってたんです。自分は元メディックですから、しっかりCPR(心肺蘇生法)をしてね。そしたら息をし始めて、生き返ったんです。
まだ自分の腕は落ちてないなと思いました。そのことは米軍新聞にも掲載され、当時の国防長官から感謝状をいただきました」
軍のとある葬式で、倒れた参列者の高齢男性を救急措置し命を救った。当時のアメリカ合衆国国防長官から届いた感謝状
そして4年以上いた兵站大学から陸軍の精鋭中の精鋭、第18空挺(くうてい)軍団に転属した。
「自分のいた駐屯地に新しく来る全隊員のデータ収集などをする中隊に配属されました。簡単に言うとレセプション。駐屯地司令直属の受付みたいなことをしました」
■変化している米軍 そのとき自衛隊は?
「米軍は変わってきています」
海軍、海兵隊、陸軍を経たサイトウ曹長はそう語る。
「特にこの2年くらい、新しく入ってくる新兵の質の変化を肌で感じます。年々減っている新兵希望者ですが、コロナ禍がさらなる後押しとなり、人材不足がかなり深刻に。
その結果、そもそもアメリカは教育レベルの差が激しいのですが、本当に何も知らない状態の新兵も入ってきている。ヘタしたらコインランドリーの使い方を知らないヤツもいますよ。
しかも、コロナのせいで人とのコミュニケーションに慣れていない子も多い。そういうヤツは命令を出しても、『え?』みたいな反応をするんです。当然、忍耐力もありません。
その上、昔のような厳しい訓練も減っています。鬼のように怖いと恐れられた教育隊が優しくなっている。教官が手を上げることはなくなりましたし、週末はスマホを使ってもいいとかルールも緩和されています。そこに勉強が苦手な少年が入ってきたら真面目に学べませんし、統率力も落ちます」
兵站大学の後は第18空挺軍団に配属(中隊の前に立つサイトウ)
米軍は1973年に徴兵制を停止し志願制に変わった。その際、高校卒業が必須要件から取り外されたが、その結果、学力の足りない16、17歳の少年らが入隊し、米軍は弱体化したといわれている。
慌てて80年代に高卒以上を必須要件に再び加えたところ、1990年には湾岸戦争に勝利した。しかし、深刻な人材不足でまた逆戻りし、高校卒業していなくても入隊できるようになったのだ。
「とはいっても、米軍で最も人数を抱える陸軍でいえば、レンジャーや特殊部隊グリーンベレー、デルタなどにはすさまじく高い能力を持つ人たちはいます。つまり、陸軍ではそういう頭がキレキレな1%くらいの人が、残りの99%を動かしている状態。まさに米国社会を表しています。
ちなみに海兵隊員は半分以上がキレキレですよ。『海兵隊の創設記念日はいつだ?』と問われれば、海兵隊員は100%答えられます。でも、陸軍のヤツに『陸軍の創設記念日はいつだ?』と聞いても答えられるヤツはほぼいません。
その違いは教育隊で"洗脳"されているかいないかですが、言い換えれば、所属組織に対してプライドがあるかないかなんです。そしてそのプライドは兵士の士気に直結します。
ちなみに、日米合同訓練で自衛隊も見ていますが、自衛隊の人材力はしばらくは落ちないと思います」
それはいったいなぜ?
「自衛隊はレベルも意識もすごく高い。日本はアメリカほど教育の差がなく、全員がある程度の学力と生活力を備えている。また、指示されれば同じ行動が取れますよね。それがいいときもあれば、悪いときもありますが」
サイトウ曹長は「しかし」と続ける。
「アメリカでは米軍をサポートする社会意識がとても強い。それこそ、自分が軍人だとわかった人が匿名で飯をおごってくれるような姿勢がアメリカ社会にある。
日本にはそうした国や国民、さらにメディアのサポートがないのがかわいそうだと感じますし残念です。それらは隊員ひとりひとりの所属組織に対するプライドに大きな影響を持つ。それは全体の士気にも通ずるのです」
米軍を巡るサイトウ曹長の冒険譚(たん)はここで一度、幕を閉じる。米軍との絆が唯一の命綱になっている日本。サイトウ曹長が語った米軍の実情に留意し、自国を守る自衛隊への国民の支持不足を改めて見直す必要があるだろう。