第102代内閣総理大臣に選出された石破 茂氏。彼が農水大臣時代に行った夜行特急の旅に週プレが密着同行取材して作成した記事を復刻掲載します。『週刊プレイボーイ』2009年2月16日号に掲載された記事「リアル鉄、石破大臣とゆく寝台特急の旅」を掲載当時の本文のまま配信!
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「軍艦よりも夜行特急の方が断然好きなんです」
鉄道ブームの真打ち登場! 列車のことばかり語り尽くした"現役閣僚"同乗ルポ。
『サンライズ出雲』~『スーパーいなば』東京-鳥取9時間密着。
「"リアル鉄"石破大臣とゆく寝台特急の旅」
今、空前の鉄道ブーム、そんななか、週プレが鉄道マニア界のゴッドファーザーである石破茂農水大臣の夜行特急の旅路への密着同行に成功。"鉄"分1億%の濃密インタビュー、さあ出発です。
■特急『まつかぜ』と『出雲』、我が人生の2大感動
1月下旬のある金曜日、東京駅9番線ホーム。出雲市・高松行き「サンライズ出雲・瀬戸」のA寝台個室が、今夜の石破茂農林水産大臣の宿である。石破大臣といえば、政界一の鉄道マニアとして知られた存在。そんな御大が昨今の空前の鉄道ブームをどう見ているのか? それに迫るのが今夜のテーマ。そして週プレは地元・鳥取に向かう御大に同乗取材が許されたのだ。時刻は22時。夜行特急は滑らかな加速で動き始めた。さあ、大臣、今日は朝まで鉄道について語り合いましょう。
――さっそくですが、大臣が鉄道に興味を持たれたのはいつ頃から?
「幼稚園の頃かな。その頃、大学生だった姉に会いに母親と東京によく行ったんです。急行『出雲』『白兎』、特急『はと』とかに乗ってましたね」
――好きだった車両は?
「『つばめ』『こだま』とかのボンネット型の特急がカッコよかった。それと、その頃、山陰線に新しくキハ80の特急『まつかぜ』が走ったんです。博多から京都まで走って、食堂車もついてる超豪華列車でした」
――食堂車での思い出はありますか?
「親と一緒に行ったそこで、人生で初めてビーフシチューを食べたんです」
――お味はいかがでしたか?
「あんまりおいしくなかった(苦笑)。ワインで味付けした大人の味でね。クリームシチューみたいに甘~いの想像してたから『おいしくな~い』って泣いたのを覚えてます(笑)」
――同時に、山陰線といえば、やはり東京と山陰地方を結ぶ看板夜行列車の『出雲』かと。初乗車はいつ頃で?
「幼稚園時代だったかな。でもディティールを覚えてるのは小1。上の姉の結婚式に出るために母と下の姉と一緒に乗ったんです。あれは鮮烈に覚えてる。感動のあまり、帰ってきてから400字詰め原稿用紙5枚の感想文を書いたから。山陰を走りつつビーフシチューを食べる。寝て、朝起きると朝刊が配られる。横浜でシウマイ弁当を買って、世の中にこんなウマイもんがあるのかと思ったよ」
――当時はまだ〝急行〟『出雲』で。
「そう、でも、昭和47年3月のダイヤ改正で特急に格上げになったんだよね。その年の2月に横浜の高校を受験しに行った時は急行だったのが、入学で乗る時は特急になってた。お古ではあったけど、〝走るホテル〟と呼ばれた20系客車。これをDD54が引っ張る。山陰選にブルートレインが走るなんて夢じゃないかと本当に思ったね。」
――20系は名車でしたもんね。
「ただ、入学後しばらくしてホームシックにかかって。入学した高校ってハイカラな子たちの集まりで、なかなかなじめなくて(苦笑)。そんな時は、夕方に東京駅に行ったんです。『出雲』が停まってて、ホームで待つ人はみんな故郷の言葉をしゃべってる。そして、これに乗れば鳥取へ帰れるんだ...って。東京駅には何度も行ったなあ。
振り返ると、最初に特急『まつかぜ』に乗ったことと、急行『出雲』が特急に格上げになったことが、私の鉄道2大感動です」
■『出雲』廃止に大ショック。もし国鉄に入っていたら...
――そんな大臣は、多忙の中、代議士になられてからもよく『出雲』乗られてたとか。
「週4回、『出雲』に乗ったこともあったね。金曜夜に鳥取へ行って、日曜夜に東京へ。さらに火曜の夜に東京から乗って、朝から鳥取で街頭演説をして朝9時過ぎの飛行機で帰京。逆に夕方に東京から最終の飛行機で鳥取へ行って会合に出て、夜8時過ぎに鳥取を出る『出雲』に乗って東京に戻ってきたり。国会議員になって数年は寝台料金が出なくて。だから、乗るのは一番安いB寝台上段。車掌さんから『あなたも大変だね』って同情されてましたよ」
――確かにB寝台は狭かったですね。
「でも、護衛艦の寝台と比べれば広いですよ。ウォークマンを聴いて本を読むのが充実の過ごし方でした。
食堂車でもよく呑んでましたね。乗ってると車内放送で『衆議院議員の石破茂様。食堂車で○○さまがお待ちでございます』って呼び出されるんです。行くと農協さんや町長さんが宴会をやってる。夜9時とかにお開きになる。すると次のお客さんが来て、今度はオレと呑もうってそのまま夜11時の閉店まで。お酒が強くてよかった。夜行列車の全部が楽しかったですね。」
――そんな『出雲』が平成18年3月に廃止されちゃいました。
「もう大変なショック。私の国会議員生活の中での数少ない楽しみを奪うのかって! 確かにガラガラの時はあったけど、あの廃止の仕方はよくなかった。車両はボロいままだし、お客を増やそうって努力もせずに、ただ老朽化して安楽死するのを待つようで。
JRの言い分もわかる。寝台列車ってひと晩に1回しか稼げないし、夜中に走らせると保線にも相当支障が出る。でも、鉄道っていうサービス産業は、お金を稼ぐのもいいけど夢を売る商売でもあると思うので」
――そこで大臣は現在「寝台特急『出雲』を復活させる会」を作ったとか。
「アハハ。会長が私で、副会長が兵庫県選出の衆院議員の谷公一さん。今、会員はふたり(笑)。でも、ヒマがなくて何もやってないんですけど」
――でもでも、こうしている間にどんどん夜行列車は消えて、この3月にはブルートレイン『はやぶさ・富士』も廃止になってしまいますよ、大臣。
「そうなんだよね~。先週大分に出張した時、なんとか『富士』に乗りたくて大画策したんだよ(笑)。でも、切符が取れなくて泣く泣く断念。ああ、もう西へ行くブルトレに乗ることは一生ないのかもしれない...。
そうだ、この3月上旬、札幌で講演することになってるんです。札幌だったら帰りに始発から『北斗星』に乗れます。しかも16時間も。今の私はそれだけを楽しみに働いてますね(笑)」
――札幌→東京16時間はツライんじゃないですか?
「全然! 今から16時間どうやって使おうか楽しみで楽しみで。
私は鉄道マニアの流派では断然〝乗り鉄〟で乗ること自体が好きなんです。同時に国会議員という仕事は、実は休日は年に1回あるかないで、ひとりになれる時間もなく、常に誰かに囲まれている。警護の方は本当にありがたいのですが、それはすごいプレッシャーでね。だから個室寝台のありがたさを本当にしみじみ感じてます」
――そんな大臣は、本当は政治家よりもなりたかったお仕事があったとか。
「そう。就職するなら国鉄以外にないと思ってた。でも就職活動の時、当時、参議院運輸委員会の理事やってた父親に反対されて。国鉄はもうすぐ潰れるぞって」
――職種は、やはり運転士希望とか?
「国鉄ならなんでもよかったです。出世しなくていい。全国どこでもいい。とにかく鉄道に関する仕事に就きたかった。もしあの時入社してたら、全然違う人生だっただろうな~(笑)」
■もしJRの社長になれたら、やってみたいことは...
静岡の手前で、取材は一旦中断。しばし大臣が眠りに入る。そして翌朝5時49分、乗り換えのため兵庫県の上郡駅に降り立つ。氷点下近い闇の中、今度は2両編成のディーゼル特急『スーパーいなば91号』がホームに滑り込む。ここから智頭急行、因美線経由で鳥取に向かうのだ。
――ということで、早朝6時から再び列車内でインタビュー再開。世の中は空前の鉄道ブーム。そんななか、日陰者だった鉄道マニアも急に人気者に。そこで質問。鉄道マニアとしての人生を送ってこられて、モテましたか?
「いかんね、それは。モテようと思って趣味をやるのは邪道ですよ。色気ナシに一心不乱、これが〝趣味〟です」
――はっ...反省します! では、大臣が鉄道でグッとくるのってどんなシーンですか? 例えば、猛吹雪の中、一両で走るディーゼルカーとか。
「夜行特急が出発する光景かな。今から遠くへ行きますっていう、客船が出帆するような非日常性だよね。最近の新幹線みたいにビジネスそのものだったりすると、グッとこない(苦笑)。新幹線でも昔は『シンデレラ・エクスプレス』のCMとかもあったよね。鉄道にはああいうドラマとロマンが欲しいよね」
――一方で現在、近代化の極致のリニアモーターカーをJR東海が推進中。
「運輸委員長の時に乗ったけど、あれはもう鉄道じゃなくてほとんど飛行機。あんまり興味がないです。東京~名古屋が30分になる。それがどうしたって感じです。それなら鈍行を乗り継いで名古屋まで行ったほうが楽しいな。私は山陰の単線区間で育ち。エアコンのない鈍行に乗って、特急の通過待ちでホームに降りて景色を眺めたり。そういうのが楽しい思い出なんでね」
――そこまでおっしゃる本物の鉄道マニアとしては、常に先頭車両に立ってガラス越しに前方を眺めることも...。
「いいね! 今はあまり乗れないけど、東京モノレールでは必ず一番前。あと、高校時代に乗ってた東急東横線でもいつも先頭車両に乗ってたな。あれは何歳になっても楽しいね(笑)」
――大臣は様々な乗り物がお好きで。では、あえて順番をつけると、一番は?
「断然、夜行特急。それがダントツで、その次は...好きだって言われれば夜行だし、詳しいっていえば軍艦かなあ。その中では断然、海自の護衛艦。なにか相通じるものがありません? 海自に叱られるかもしれないけど、夜行特急と護衛艦はすごくロマンチックなんですよ。平時であればの話だけどね」
――その乗り物への熱い思いを国民に伝えるためには、ぜひ次は国土交通大臣に就任していただきたいのですが。
「ハハハハ。今は国交省っていうデカイ役所になっちゃったからね。でも、かつての運輸省は、鉄道、船、飛行機、自動車大好き人間の役所でしたから、楽しい役所でしたよね」
――まさに石破大臣にピッタリ!
「当選4回の時に常任委員長を好きなの選んでいいって言われて、一も二もなく運輸委員長を選びましたね。その半年が国会議員をやってて一番楽しかった。仕事でいろんなモノに乗れたし。昔の運輸大臣が今あったら、図ってでもやりたいたね(苦笑)」
――ですが昨今、自民党が苦しい状況にあります。そこで野党になったら、国交大臣になれなくなってしまう。
「ハハハハ。確かに多くの自民党の議員が、今、野党になる恐怖にとりつかれてるように見えるよね。けど、野党になることを恐れて政治家なんかやってられるかって思いますよ。それに、野党でいる時こそ、次はこんなことをするぞって考えるいい期間なんです。与党であるに越したことはないし、最大限努力もするけど、与党でいること自体が自己目的じゃないんですよ」
――では、次回の総選挙はどういった結果になると予想してますか? 万一、石破大臣も落選とか? その時はJRの経営側に転身もありえるかと?
「アハハ、落選しないように全力を尽くします。JRに転身? 趣味を仕事に持ち込むなって叱られちゃうし、そもそも雇ってなんかくれませんって」
――では、仮にJRの社長に就任なさったら、やってみたいことは。
「客車型の開放型A寝台とB寝台を何とか保存して、年に数回、かつてのダイヤにできるだけ近い形で走らせてみたい! ビジネスとして成立たせるため何倍かの値段を取っても、乗る人は大勢いますよ。少なくとも私は絶対乗るね(笑)。そこまでやれたら幸せです。でも、もう50歳も過ぎたし無理かなあ」
――となると、JRとは言わずに地元鳥取の鉄道会社などは?
「そうだね~、若桜(わかさ)鉄道とか智頭(ちず)急行の営業担当とかできたらうれしいかもね。もしかしたら大臣や首相をやるより、よっぽど楽しいかもしんないね(そして、窓の外、遠くを眺める)」
■鉄道にはやっぱりドラマとロマンを!
『スーパーいなば』が、岡山・鳥取県境の志戸坂トンネルを抜けると、風景は一転、急に雪深い景色が現れた。
「これを見ると、『ああ、帰ってきたなあ』といつも思います。山陰ですね」
そして、山陰が生んだ大物政治家である故・竹下登氏との交友に話が及んだのだった。
「竹下先生は隣の島根でしたけど、一度だけ『出雲』で一緒になったことがありました。平成2年1月、私が当選1回で明日解散って日。東京に帰る『出雲』に乗ったら、竹下先生も乗ってた。で、個室寝台へ行って『頑張ります』ってあいさつしたら『石破なあ、おまえはお前が想像もしてなかったような票で当選するだろう』って。
――選挙の神様と呼ばれた竹下登氏からそんなことを言われたとは!
「当時は中選挙区で、渡辺派の私は竹下派の代議士と競ってた。前回はダントツの最下位で当選。そして次の選挙、消費税導入で自民党にさらに逆風が吹いてて、俺は当選1回で終わりかな~なんて思ってました」
――そこでどんな選挙活動を?
「ウソ言って当選してもしょうがないし、消費税賛成論を訴えました。調子いいこと言って国を潰してどうする、それで落ちたら仕方ないって。ところがダントツのトップ当選」
――コビないところが支持されたんスね。
「そんななかで竹下先生に聞いたんです。なんで総理になろうと思ったのかって。そしたらこう答えたんです。『ワシはいつも『出雲』で帰っておった。大臣になるまで『出雲』で松江駅に着いても秘書しか迎えにこない。でも初めて大臣になったら知事は来るわ、市長は来るわ、市民もたくさん迎えに来る。ヒラの大臣でこんなに喜ぶんだったら、総理になったらさぞ喜ぶだろう。だから総理になろうと思ったんだわ』って(笑)。竹下先生一流の言い方でしたね。けど、同じ山陰人として、僕は竹下先生にものすごいシンパシーを持っているんですよ」
――ということは、石破大臣にも今日、当然鳥取駅に知事がお迎えに来る?
「誰も来ないよ(苦笑)。アハハ」
――さて、終点も近くなってきました。今のJRへ注文があれば、ぜひ。
「ない(即答)。経営陣と話してると、とにかくビジネスに徹していることがありありとわかるもんね。ドラマやロマンを今のJRに求めることはもう無理だな~と諦めの境地にあるので」
――でも、大臣がおっしゃらないと物申す人が誰もいなくなっちゃいます!
「いや、鉄道ロマン派が絶滅するのを待ってるんじゃない? 彼ら的には700系『のぞみ』も面白いんだろうし。でも、0系新幹線の一等車で感じたような〝別世界感〟が今のJRにはないね。それをいま感じさせるのは『北斗星』『トワイライトエクスプレス』『カシオペア』ぐらいじゃないかな?」
――寂しい風潮に負けないよう、最後に鉄道ファンにメッセージを。
「『あきらめるな 列車は決して なくならない』『乗って残そう名列車』
鉄道は誰にも迷惑のかからない、いい趣味ですよ。僕なんか、ずっと席に座ってるだけで満足ですからね」
――じゃあ、鉄道ブームももっと盛り上がれ、と。
「でも、鉄道趣味が超メジャーになってみんなが鉄道について語りあうってのは、あんまり楽しくないような気もするなあ。アイドル歌手でもそう。あんまり売れないうちがいいじゃないですか(笑)。本音は、あんまりメジャーになってほしくないかもね」
――さすが大臣、キャンディーズのミキちゃんファンだっただけあって、シブ好み。
「にわかファンに知ったかぶりで語られたりすると、チェッて思いません? まあ、当然そんな人はすぐ冷めるでしょうけど。そういうものを愛情とは言わないんですよ」
――大臣、やっぱ鉄道愛が深いっス。
そして列車は朝7時22分、猛吹雪の鳥取駅に到着。やはり知事は出迎えに来なかったが、大臣は秘書とSPに囲まれ足早に吹雪の街に消えたのだった。
●いしば しげる
1957年2月4日生まれ、鳥取県出身。慶應義塾大学法学部卒業。三井銀行を経て、1986年、衆議院議員当選。現麻生内閣では農林水産大臣を務める。無類の軍事マニアとして有名であるが、同時に乗り物ならすべて大好きという根っからの男のコ。好きな車窓は、サンライズ上りの熱海~小田原間で見える海の風景(プロフィールも掲載当時のママ)