川喜田 研かわきた・けん
ジャーナリスト/ライター。1965年生まれ、神奈川県横浜市出身。自動車レース専門誌の編集者を経て、モータースポーツ・ジャーナリストとして活動の後、2012年からフリーの雑誌記者に転身。雑誌『週刊プレイボーイ』などを中心に国際政治、社会、経済、サイエンスから医療まで、幅広いテーマで取材・執筆活動を続け、新書の企画・構成なども手掛ける。著書に『さらば、ホンダF1 最強軍団はなぜ自壊したのか?』(2009年、集英社)がある。
11月5日の投票日まで、ついに1ヵ月を切ったアメリカ大統領選挙。当初は再選を目指す民主党の現職、ジョー・バイデン大統領と、4年ぶりの返り咲きを狙う共和党のドナルド・トランプとの一騎打ち......しかも、トランプが大きく優勢と言われていたが、8月にバイデンが撤退を表明、代わりに副大統領のカマラ・ハリスが民主党の候補になったことで、一気に風向きが変わったようにも見える。
一時は「ほぼトラ」(ほぼ、トランプで決まり)とも「確トラ」(確実にトランプ)とも言われていた大統領選は、ハリスの登場で何が変わったのか? そして、残りわずかとなった選挙戦の行方を左右するのは何か? 国際政治学者でアメリカ現代政治に詳しい上智大学の前嶋和弘(まえしま・かずひろ)教授が読み解く、2024アメリカ大統領選の「リアル」。
* * *
民主党と共和党、それぞれの大統領候補が、いずれも早い段階でバイデンとトランプに一本化され、候補者を決める「予備選」が事実上、意味をなくしました。また、バイデンが81歳、トランプが78歳(2024年10月時点)と超高齢な候補者同士の対決でした。
そして、6月末に行なわれたテレビ討論会で評価を落とした現職のバイデンが撤退を強いられ、代わりに現副大統領のカマラ・ハリスが予備選を経ずに民主党の大統領候補に選ばれました。今回のアメリカ大統領選は、まさに「異例づくし」と言えます。
しかし、まだ民主党の候補がバイデンで、「ほぼトラ」という言葉が飛び交っていたときから、私は一貫して「今回の大統領選ではどちらの候補にも大きく形勢を変えるような風は吹かないし、最後の最後まで、どちらに転ぶかもわからない」と言い続けてきました。
その理由は、今回の大統領選が今のアメリカ社会の極めて深刻な「分断」を反映したものであり、しかも、その分断が「拮抗状態」にあるからです。トランプ政権の復活を願う共和党支持層と、それをなんとしても阻止したい民主党支持層ではっきりと「色分け」がされているために、初めから「風が吹く」余地が極めて少ないのです。
では、民主党の候補がバイデンからハリスに代わったことで、こうした「分断と拮抗」の構図は変わったのでしょうか? 結論から言えば何も変わってないというのが私の見方ですが、付け足すなら、民主党の候補がハリスに代わったことで、トランプが思ったより「弱い候補」であったことが浮き彫りになったということです。
なぜ、トランプが「弱い候補」なのでしょうか? その理由はトランプが依然として「自分の支持層」しか固めることができていないからです。そうした傾向は今回の大統領選に関する世論調査のデータにも表れています。
例えば、バイデン撤退の引き金にもなった6月末のテレビ討論会ですが、その結果、トランプのリードが大きく広がったのかというと、そんなことはありません。討論会の直後、トランプのリードは世論調査で3ポイント程度しか伸びませんでした。
この傾向は7月13日にピッツバーグで起きた「トランプ銃撃事件」や、トランプが正式に共和党の大統領候補に指名された「共和党全国大会」の後も同様です。そうしたイベントがある度に世論調査ではトランプのリードは3ポイント程度伸びるのですが、それ以上に伸びることはなく、民主党の候補がバイデンからハリスに代わると、逆に2ポイントのリードを許しました。
ちなみに、アメリカ大統領選では一般的に「挑戦者」が有利と言われています。例えば4年前の大統領選でも、チャレンジャーだった民主党のバイデンが現職のトランプに対して6、7ポイントのリードを保っていました。しかし、その差は投票日に近づくにつれてどんどん縮まり、最終的には大接戦になるという展開でした。
この前回の大統領選と比べても、挑戦者であるトランプのリードは小さく、その傾向は「バイデンが自滅した」と評価されたテレビ討論会や、ショッキングな銃撃事件を経ても大きく変わりませんでした。これは、候補者の評判を大きく左右するようなイベントや事件が起きても、それが「既存のトランプの支持層」以外には大きな影響を与えられていないことを示しています。私が「トランプは弱い候補」だというのは、そのためです。
もちろん、「弱い候補」という点では、バイデンに代わって民主党の候補になったハリスもまた同様です。今回、民主党の予備選を戦っておらず、バイデン政権の副大統領を務めたこの3年半を通じて、ほとんど存在感を示すことができずにいた彼女への評価は、あまり高くありませんでした。
しかし、撤退したバイデンに代わり、ハリスが正式に民主党の大統領候補に選ばれて以降は、もともとの「期待値」が低かったこともあり「ハリス、意外と悪くないね?」「やっぱりマトモだし、バイデンより若い分いいかも」と、民主党支持者の中では比較的ポジティブな評価が増えてきた。
9月に行なわれたテレビ討論会もまずまずの評価でしたし、女性初の大統領を目指す人種マイノリティ系(アフリカ系とインド系)であることなどが、彼女にとって一定の「追い風」になっているのも事実ですが、それも世論調査の支持率を見る限り限定的で、こちらも「ハリス旋風」のようなものが吹き荒れているわけではありません。
つまり、トランプもハリスも、大統領選を大きく動かすほどの「風」を吹かす力はない。ふたりとも、元からあった自分たちの支持層を固めているだけの「弱い候補」でしかなく、分断と拮抗によって真っ二つに切り裂かれた今のアメリカ社会を背景にした「弱い候補同士の戦い」という意味では、トランプvsバイデンの戦いだったときの構図とまったく変わっていないし、そもそも大多数の州では共和党寄りか民主党寄りかで勝敗が見えているので、それが変わることもありません
そうなると今回も、いわゆる「激戦州」と呼ばれる、ネバダ(選挙人6人)、アリゾナ(選挙人11人)、ウィスコンシン(選挙人10)、ミシガン(選挙人15)、ペンシルベニア(選挙人19人)、ノースカロライナ(選挙人16人)、ジョージア(選挙人16人)の勝敗が勝負の行方を左右することになるはずです。具体的に言えば、そうした激戦州の中でも、政治に無関心で投票に行かない無党派層の票を、両陣営がどこまで掘り起こせるかが、鍵を握っているといえます。
そのため、共和党、民主党の両陣営はSNSやクレジットカードの支払い履歴などを通じて、大量の個人情報を収集・分析して、対象となる無党派層を特定しようとしています。AIも活用しながら、その人たちの所得水準や人種、宗教、家庭関係、趣味や嗜好などに合わせた「マイクロターゲティング」という手法を用いて、最後の票の奪い合いを続けているのです。
先日、私が話した民主党陣営の関係者は「最後に勝負の鍵を握るのは5万人程度になる」と語っていましたが、それは人口約3億3000万人を抱えるアメリカ合衆国と、そのアメリカの影響を否応なしに受ける世界の未来を、激戦州に住んでいるたった5万人の「政治にも選挙にも無関心な人たち」が決めてしまうかもしれないという現実を意味しているのです。
ジャーナリスト/ライター。1965年生まれ、神奈川県横浜市出身。自動車レース専門誌の編集者を経て、モータースポーツ・ジャーナリストとして活動の後、2012年からフリーの雑誌記者に転身。雑誌『週刊プレイボーイ』などを中心に国際政治、社会、経済、サイエンスから医療まで、幅広いテーマで取材・執筆活動を続け、新書の企画・構成なども手掛ける。著書に『さらば、ホンダF1 最強軍団はなぜ自壊したのか?』(2009年、集英社)がある。