川喜田 研かわきた・けん
ジャーナリスト/ライター。1965年生まれ、神奈川県横浜市出身。自動車レース専門誌の編集者を経て、モータースポーツ・ジャーナリストとして活動の後、2012年からフリーの雑誌記者に転身。雑誌『週刊プレイボーイ』などを中心に国際政治、社会、経済、サイエンスから医療まで、幅広いテーマで取材・執筆活動を続け、新書の企画・構成なども手掛ける。著書に『さらば、ホンダF1 最強軍団はなぜ自壊したのか?』(2009年、集英社)がある。
世界の命運を分けるアメリカ大統領選。ドナルド・トランプとカマラ・ハリス副大統領が熱い火花を散らしている。トランプに挑むカマラは、マイノリティコミュニティで生まれ育った法曹界の実力者。彼女の足跡を年表で振り返る。
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●1964年10月20日
カリフォルニア州オークランドでアフリカ系の父とインド系の母の間に生まれる。カマラの名前は、ヒンズー教の女神ラクシュミーの別名から名づけられた
★運命の岐路(1)【公民権運動と誕生】
ジャマイカ出身の移民で経済学者の父ドナルド・J・ハリスと、タミル系インド人の移民で乳がんの著名な研究者だった母シャーマラ・ゴパランの長女として生まれたカマラ。
両親の出会いは公民権運動の集会だったといわれている。彼女が生まれた1964年は人種差別を禁止する「公民権法」が制定された年というのも、その後の人生を予感させる
●1972年
両親の離婚後、母と妹とカナダのモントリオールに移住
●1982年
米ワシントンD.C.にあるハワード大学に入学。政治学と経済学を専攻する
★運命の岐路(2)【ハワード大学進学】
高校卒業後は首都ワシントンD.C.にある歴史的黒人大学(HBCU)の名門、ハワード大学に進学する。
ハーバード大学などほかの名門校に進む選択肢もあった中で、アフリカ系の学生が多く通う大学を選んだのも、子供の頃からマイノリティとして生きる覚悟を学んでいたから。写真はアパルトヘイトの抗議デモに参加した際のもの(1982年)
●1986年
カリフォルニア大学ヘイスティングス・ロー・スクール(当時)に入学
●1990年
カリフォルニア州の法曹資格を取得。同州アラメダ郡で地方検事補として働き始める
●1998年
サンフランシスコ地方検察局に赴任。カリフォルニアの法曹トップ100人の中に選ばれる
●2003年
サンフランシスコ地方検事に選出。同市初の女性、アフリカ系、および南アジア系の地方検事となる
★運命の岐路(3)【オバマの失言】
2011年にカリフォルニア州司法長官となったカマラを一躍有名にしたのが、彼女を「アメリカの司法長官としては抜群の美人」と評した、当時のオバマ大統領の失言。
この発言で「性差別主義」や「女性を容姿で判断するな」と批判が殺到し、オバマ大統領が謝罪したが、結果的にカマラがネットで検索されるなど、注目度が大きく上がることに
●2013年
弁護士ダグラス・エムホフと出会い、翌年結婚
●2016年
カリフォルニア州選出の連邦上院議員に当選。アメリカ史上ふたり目のアフリカ系女性上院議員となる
●2019年1月
2020年大統領選への出馬を表明し、民主党予備選に参加
●2021年1月20日
第49代アメリカ合衆国副大統領に就任。アメリカ初の女性、有色人種、およびアフリカ系・南アジア系副大統領となる
ジャーナリスト/ライター。1965年生まれ、神奈川県横浜市出身。自動車レース専門誌の編集者を経て、モータースポーツ・ジャーナリストとして活動の後、2012年からフリーの雑誌記者に転身。雑誌『週刊プレイボーイ』などを中心に国際政治、社会、経済、サイエンスから医療まで、幅広いテーマで取材・執筆活動を続け、新書の企画・構成なども手掛ける。著書に『さらば、ホンダF1 最強軍団はなぜ自壊したのか?』(2009年、集英社)がある。