佐藤優さとう・まさる
作家、元外務省主任分析官。1960年、東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了。『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞
ウクライナ戦争勃発から世界の構図は激変し、真新しい『シン世界地図』が日々、作り変えられている。この連載ではその世界地図を、作家で元外務省主任分析官、同志社大学客員教授の佐藤優氏が、オシント(OSINT Open Source INTelligence:オープンソースインテリジェンス、公開されている情報)を駆使して探索していく!
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――前回までで西欧の行く末を話していただきました。西欧に続いて、極東・日本も敗北を喫しているのでしょうか?
佐藤 説明していきましょう。
まず、いま起きている少数政党の乱立は世界的な趨勢であり、ヨーロッパと日本が似ているということです。
――日本は自民党が少数与党となり、いくつかの野党とくっ付いて何とかやっています。これは、わずかに日本が西欧より進んでいるということですか?
佐藤 その意味では日本は進んでいると思います。それは、日本が新自由主義の流れに十分に乗らなかったためです。
少し前まで多くの日本人がずっと米国に留学して、あちらこちらで英語を勉強していました。
――駅前留学までありましたからね。
佐藤 しかし、いまは内向きになっていて英語学習は以前ほど人気がありません。外国語の習得にはエネルギーが必要です。だから、英語にそんなエネルギーをかけるのは無駄じゃないですか。
――確かに、筑波大でも英語に堪能な学生は減りました。
佐藤 そして移民政策においても、著しい円安で「為替ダンピング」とも言える状態なので、日本に移民は来ません。そんな賃金の安い国に来るメリットがありませんからね。
だから、移民政策での問題点も西洋と日本では違います。いまの日本は、技能研修生として来させて、パスポートを預かって移動の自由を保障しないとか、昔の置屋みたいなことをしている現状が問題になっています。
――ある意味、奴隷であります。しかし、『西洋の敗北』(文藝春秋)で話題のエマニュエル・トッドさんは、「日本は大丈夫だ」と言われていたそうですが......。どこが大丈夫なんですか?
佐藤 「世界は単一の原理、すなわち自由民主主義、市場経済で支配されている」というのが米国の考え方です。トランプと大統領選で争ったカマラ・ハリスも「力で民主主義を実現して、世界中を米国のような国にする」と主張しています。
一方でロシアのプーチン大統領は、それぞれの民族や国家には文化、伝統があるから、これを尊重しないといけない。そして、他国の文化、政治制度に関しては、多少の違和感があっても自分が直接危害を受けていない限りにおいては干渉しない。そういう"多元世界"の方がいいんじゃないか、と言っています。
ハリスとプーチンの言っていることを比較した場合、いまの日本人はどちらに共感を抱けると思いますか?
――それだと、ロシアの方ですね。
佐藤 すると、実は日本は「グローバルサウス」なんじゃないですか? 日本には日米同盟があり、西側の一員だから堂々と言えませんけどね。
――なんと! 日本はアジアやアフリカ、中南米にある新興国・途上国だったのですね。先進国かと思っていたのは、実は偽りの姿で......。
佐藤 国民感覚としては、グローバルサウスに近いんだと思います。だから、ロシアからガス、蟹、イクラを買い続けても、皆、文句は言わないでしょう。もし、日本が欧米の価値観を本当に体現しているのならば、不買運動が起きているはずですよ。
――それは、米英という個人主機、効率主義の国は独特であると。すると、米英は一種のイデオロギー集団として独特な位置を占めているわけですね。
佐藤 そうです。核家族で個人主義的で極めて特殊なモデルです。そして、トッドさんに言わせると、核家族は極めて原初的なモデルなのだそうです。
――そのグローバルサウスの日本はどんな外交をしていけばいいのですか?
佐藤 米国でときどき「Global North vs The Rest」という言葉が出てきます。日本は、「The Rest」の方かもしれませんね。
――「残り」、途上国のグローバルサウスですから。有難いお言葉でございます。
佐藤 残りではなく「その他」の意味です。
――嬉しいですね。グローバルサウスな「その他」。ということは、米国とどうのこうのしなくても、現状維持でチャラチャラ生きていれば、なんとか生き延びられるということですか?
佐藤 そういうことですね。
そして、今回の大統領選挙を見ていて思いましたが、トランプはアメリカの特殊性を理解していますね。「アメリカ・ファースト」とは、基本的にアメリカ的な価値観を世界に押し付けないということです。トランプと言う人は非常に賢明だから、「偉大なアメリカを再現する」と言いながらも、見事な撤退戦を展開しているんですよ。
――トッドさんの本のあおり文には、「日米同盟どうする?」とありましたが、これはもう分解して日本と米国は離れていくのか......
佐藤 いや、米国には中国という本当の脅威があります。
――ということは、継続?
佐藤 そうですね。しかし、その日米同盟と共にロシアとの関係を改善しなければ、中国には対抗できません。
――民主主義の共有だけでは、すでにダメだと。
佐藤 民主主義的な価値観について、「その価値を共有する」と言葉における合意はします。しかし、民主主義の内実については詰めないということです。
――お互いに干渉しないということですね。
佐藤 江戸時代、日本には朝鮮通信使が来ていました。日本側は朝鮮が日本に対して挨拶に来て、将軍に対して臣下の礼を尽くしているという一種の冊封(さくほう)としてみていました。しかし、朝鮮側にはそういう意識はありませんでした。巡察であって、朝鮮の辺境である日本を見て歩いているという捉え方です。
つまり、お互い合意はしているけど、その意味については詰めていません。それで安定的な関係を維持できたわけです。
だから、民主主義や人権についても結論合意だけど、その内実についてはあえて詰めないという形になってくると思います。そういう構造転換が起きています。いまの日本のメディアや米国専門の国際政治学者たちには見えていませんけどね。
佐藤 国際政治は、王であるトランプ米大統領の登場によってすごく面白くなりました。そして「棲み分けの世界に入ってくる」と気付いているのは、石破茂首相ですよね。すでに中国の習近平と会っているじゃないですか。
――それはわかっている証拠なんですか?
佐藤 中国もそこを考えているわけですよ。だから、原発の処理水問題も、スパイ容疑で拘束されているアステラス製薬の日本人社員も、次に石破首相が北京に行って、習近平と会談するときに解決しますよ。
――それは「お互いに干渉しないでね」という話し合いができれば、中国とは話がつくというわけですか?
佐藤 そういうことです。中国も不動産バブルの崩壊が大変で、軍事的な冒険はできません。そして、いま日本が与那国島を要塞化して、米国と一緒に介入して来るんじゃないかという不安感があります。そんな意図がないとわかれば、共存共栄ですよ。
――なるほど。
佐藤 さらに中国が「日本の海産物の輸入を認める」と言えば、日本の漁業関係者の中国評は全く変わります。
また、空前の儲けを出している日本郵船などの海運業者も大喜びでしょうね。これは、日本の海運ではなくて、中国の物品を運んでいますから。
――確かにそうです。
佐藤 ちなみに海運業者は、中東紛争ができるだけ長く続いてほしいんですよ。スエズ運河が通れずに、喜望峰回りですごく儲かっていますからね。
――ということは、自分の国だけ考えて、利益を一緒に儲けられる国とは仲良くして、そうではない国々は遠ざける。そういうことですか?
佐藤 そういうことです。それで自国民が豊かになればいいわけですから。しかし、やり過ぎると反発が予想されるので、腹八分目で止めるのが重要です。
――なるほど。他にトランプ王の影響はありますか?
佐藤 年収5億円の米国の開業医や、ハーバード大から投資会社に就職した年収5000万円のサラリーマン。彼らのようなエリートの給与はガサッと下がりますよ。
――トランプ王の言う「額に汗を流している人が幸せになれる」ですね。
佐藤 それから、「私は低学歴の人が好きだ」という言葉もですね。
そういう意味でトランプは、民衆の心を掴んでいます。トランプは非常に優れた政治家であり、どんな逆境にも絶対にめげません。
――石破首相とトランプ次期米大統領はうまくいきますか?
佐藤 うまくいくんじゃないですか。「石破政権に審判が下った」とか一部の人は言っていますけど、まだ何もやっていません。だから評価の対象になりませんよ。しかし、評価されるのにいい手がひとつあります。
――それはなんですか?
佐藤 「米露日三国条約」を下田で結ぶことです。これが日本の持ち札としてベストでしょうね。
――それはいったい、何なんですか?
佐藤 これから各国、そして人々はより生成AIを使うようになります。すると、より多くの電力量が必要になります。しかし昨今、そう簡単に原発を新しく建設できません。つまり、現実的に考えれば天然ガス争奪戦になるということです。
――確かにAIを動かすために世界では原発を作らないといけなくなっています。天然ガスならば、日本はかつてインドネシアから大量に輸入してきました。
佐藤 インドネシアは去年から天然ガスの輸入国になっています。
――なんと!!
佐藤 国内の経済発展でエネルギー使用量が増えて、そうなりました。
――日本は天然ガスの約90%を、ペルシャ湾岸諸国から輸入しています。それらは、全てホルムズ海峡を通り、ここはイラン情勢次第では封鎖される危険性があります。それから、昨今大増進している中国海軍によって、南シナ海は完璧に支配されています。
佐藤 だから、地政学的に日本は相当厳しい状況なんですよ。
――そこからどのように「米露日三国条約を下田で結ぶ」という話に繋がるのでしょうか?
佐藤 まず天然ガスの重要性が増します。そして中東以外では、北極海に面したロシアのヤマール半島には潤沢なガス田があります。その開発には日本企業も参加しています。
――なるほど! 一方、地球温暖化で北極の氷はガンガン溶けていて、北極海のロシア北部沿岸は船が通れるようになっている、と。
佐藤 そうです。通年航行が可能な北極海航路があります。
――しかし、そこから日本に渡るにはベーリング海峡を通らないとなりません。
佐藤 だから、米露の敵対関係を改善しないとならないんですよ。
――さらに冷え込んでいる日露関係を何とかしないと、宗谷、津軽海峡経由で、ウラジオストックなどの極東の港に到達できません。
佐藤 だから、その日露関係を改善する必要があります。
――北方領土問題はどう解決するのですか?
佐藤 法的議論での問題解決は、もう不可能です。
――じゃあ、どうするんですか?
佐藤 エネルギーと安全保障という点からアプローチするべきでしょう。
――それが、米露日下田条約! しかし、なぜ条約締結地が下田なのですか?
佐藤 下田では1854年に日米和親条約、1855年には日露下田条約が締結されています。だから、米露日の条約締結には最良の場所なんです。
――米露の間に日本が立ち、うまく動けますか?
佐藤 米国が弱くなっているので、日本のその力は活きます。さらに、日米の資本家の利益も合致しています。やはり、世界は国家独占資本主義だから、資本の利益が合致している場合にはそのプロジェクトは動くのです。
――11月5日にプーチン露大統領は、モスクワに着任した各国の駐露大使から信任状を受け取る式典で、日本、イタリア、カナダなどの非友好国の名を挙げて、「ロシアは対立を求めていない」と発言しました。
佐藤 だから、ウクライナ戦争の終結を待って動き出しますよ。
――なるほど。
佐藤 北方領土問題も歴史的、法的に議論するのではなく、地政学と実益、エネルギー事情を加味しての北極海航路の話にする。
――すると、米露が乗って来て日本が間を取り持つ。そして、下田条約以降、北海道周辺は世界で一番安全な地域になる。
佐藤 その通りです。
――さらに中国が出てきても、米露日がいる。
佐藤 なので、中国には下田条約締結後に参加してもらうことになるでしょう。さらに、韓国、北朝鮮も続くという流れです。
要するに、内側のリスクを包摂して、お互いに損するから戦わないようにするんです。そんな集団安全保障を、経済を含めて構築していくことがベストだと思います。
――納得です。19世紀に米国の黒船が来て日本は開国しました。そして、21世紀は北極海から氷で凍っている白船が下田に来て、違う形態の開国となる。これはいいですね。
佐藤 まだその辺りは、はっきりとは見えていませんけどね。
次回へ続く。次回の配信は2024年12月27日(金)予定です。
作家、元外務省主任分析官。1960年、東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了。『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞
1959年神戸市生まれ。2001年9月から『週刊プレイボーイ』の軍事班記者として活動。軍事技術、軍事史に精通し、各国特殊部隊の徹底的な研究をしている。日本映画監督協会会員。日本推理作家協会会員。元同志社大学嘱託講師、筑波大学非常勤講師。著書は『新軍事学入門』(飛鳥新社)、『蘇る翼 F-2B─津波被災からの復活』『永遠の翼F-4ファントム』『鷲の翼F-15戦闘機』『青の翼 ブルーインパルス』『赤い翼アグレッサー部隊』『軍事のプロが見た ウクライナ戦争』(並木書房)ほか多数。