1970年にクーデターで権力を握って以来、シリアを独裁的に支配してきたアサド政権だが、12月8日に2代目のバッシャール・アル・アサド大統領(写真)が国外逃亡し崩壊した 1970年にクーデターで権力を握って以来、シリアを独裁的に支配してきたアサド政権だが、12月8日に2代目のバッシャール・アル・アサド大統領(写真)が国外逃亡し崩壊した

長らくシリアを独裁支配してきたアサド政権が反政府勢力によって崩壊。支え続けたロシア、爆撃中のイスラエル、暫定政権に歩み寄るトルコ、政権交代間近のアメリカ。各国はどう受け止めているのか?

■"無血"と"まともさ"ふたつの奇跡

2024年12月8日、中東のシリアを半世紀以上もの間、強権支配してきたアサド政権が崩壊した。11月27日の奇襲から2週間足らずで首都ダマスカスまでを制圧した反政府勢力を率いたHTS(シリア解放機構)はアメリカや国連からテロ組織に指定されている。

一方、打倒されたアサド政権のバックにはロシアとイランの存在が。さまざまな国の思惑が交差するシリアで起きたこの出来事はどうとらえたらいいのか?

長年アサド政権を追ってきた軍事ジャーナリストの黒井文太郎氏は「まず、この一連の流れに起きた"ふたつの奇跡"に注目すべきだ」と話す。

「まずひとつは、ほとんど戦闘が起きなかったことで不必要な流血がなかったこと。もうひとつは、反政府勢力がアラブ地域ではかつてなかったくらい理性的な行動を取っていることです」

ほとんど戦闘がなかったのはなぜか?

「前線の部隊が戦わずに逃亡し、その影響で次に控えた部隊も逃亡し、その次も逃亡し......と続く『ドミノ現象』が起きたのです。地上のゲリラ戦においてよくあることなのですが、謎なのはそれが首都ダマスカスまで波及したこと。

アサド軍中枢の戦力は残っていたはずなのに、上級指揮官たちは早々と諦めた。理由は不明ですが、結果、後半はほとんど戦闘が起きず、いわば"無血開城"しました。奇襲から打倒までの早さには専門家全員が驚きました」

アサド政権打倒を主導したシリア解放機構(HTS)の指導者アブ・ムハンマド・ジャウラニ氏 アサド政権打倒を主導したシリア解放機構(HTS)の指導者アブ・ムハンマド・ジャウラニ氏

もうひとつは、反政府勢力の異常なほどのまともさだ。

「HTSの指導者アブ・ムハンマド・ジャウラニ氏が出している声明などを見ると、驚くほどまともなんです。この地域で実権を握ったグループが異教徒を殺しまくったりするのは珍しくないのですが、彼は最初にシリア北部の都市アレッポを取ったときから『異教徒に手を出すな』と命令を出している。

また、前線に取り残されたシーア派の市民を安全な場所まで護衛したともいわれています。HTSはもともとイスラム主義のグループを母体にした組織ですが、今は一貫して異宗派や投降敵兵を保護しています」

反政府勢力は早速12月10日に暫定政権による閣議を開き、首相にムハンマド・バーシル氏を指名。HTS主導の下、政権移行を着々と進めようとしている。

■各国の視点とは?

そんなアサド政権崩壊を、関係各国はどうみているのだろうか。まず、アサド軍が倒れた背景には、バックのロシアが戦争で手いっぱいだったことが挙げられている。しかし、黒井氏は「今回の件にロシア軍の動向はほとんど関係ない」と語る。

「ロシアはシリアのフメイミムに空軍基地を、地中海沿岸のタルトゥースとラタキアに軍港を置き、ロシア軍の部隊を駐留させました。

しかし、彼らの多くは空軍で、反政府勢力の奇襲による機動戦に対して戦力にならなかった。アサド側は陸上部隊の援軍を要請しましたが、ロシアは断った。ウクライナ戦争の影響で陸上部隊を派遣する余裕がなかったからです」

ロシアの国益よりも自分のメンツを優先するプーチン大統領は、シリアにある地中海沿いの軍港よりもウクライナ侵攻の兵力を優先し、援軍を断った ロシアの国益よりも自分のメンツを優先するプーチン大統領は、シリアにある地中海沿いの軍港よりもウクライナ侵攻の兵力を優先し、援軍を断った

そこにはプーチン大統領のメンツの問題があるという。

「プーチンはシリアに関して、『この地域を守る』と自分の言葉で言ったことはない。その一方で、ウクライナにおいては『〝特別軍事作戦〟を成功させる』と言っている。国益を考えれば、ウクライナ東部よりも地中海の軍港を優先すべきなのですが、プーチンはウクライナでの兵力を割くまでのやる気はありません」

続いて、南西で国境を接しているイスラエル。シリアに空爆したり、ゴラン高原に入植拡大したりしているイスラエルは何を考えているのか?

「イスラエルはシンプルで、周辺国は潜在的に敵だと考えているから周りの軍事力は潰せるときに潰したい。アサド政権と反政府勢力との力学といった話じゃないんです。

『化学兵器の流出を防ぐ』というのは口実で、迎撃されない中で爆撃できるから爆撃している。1日の空爆で、おそらく戦闘機を全機破壊しました。

ジャウラニ氏は新たなシリア国軍をつくると言っていますが、そのためのダメージは大きい。とはいえ、今イスラエルと戦争をする余力はないので、非難声明は出すけど、交戦しようとはしていない。それよりも国家再建が先だと判断しているのです」

建国当初からイスラエルは「周辺国は潜在的に敵」と考えている。例に漏れず、ネタニヤフ首相も、反撃されない今が好機とシリアに爆撃や進駐をしている 建国当初からイスラエルは「周辺国は潜在的に敵」と考えている。例に漏れず、ネタニヤフ首相も、反撃されない今が好機とシリアに爆撃や進駐をしている

ではそんな中で、北部で国境を接するトルコは?

「トルコがずっと敵視してきているクルド人がシリアにもいるんですが、それは東部の田舎のほうで、首都ダマスカスからはかなり距離がある。トルコはSNA(シリア国民軍)を支援してシリア東部に住むクルド人を攻めており、イスラエル同様、この混乱を最大限に利用して、介入し利益を得ようとしています」

さらに、トルコのエルドアン大統領はHTSに協力する姿勢を見せているという。

「HTSはトルコから経済的な援助などがあったわけではないのですが、武器の材料を買うなどの関係はあったので『おまえらの軍備の再建を俺が手伝ってやるよ』ということを言ってきている。

トルコはシリア新政府のバックにいるということにして、いっちょ噛みしたいんです。すでにトルコの情報部長官がダマスカスに入ってジャウラニ氏と一緒にクルマに乗っている映像も出ています」

シリア暫定政権を仕切っているHTSと前から商売していたトルコ。エルドアン大統領はそんなHTSに対して協力する姿勢を見せており影響力を持ちたい様子 シリア暫定政権を仕切っているHTSと前から商売していたトルコ。エルドアン大統領はそんなHTSに対して協力する姿勢を見せており影響力を持ちたい様子

では、アメリカはどうみているのか。国際政治学者で上智大学総合グローバル学部教授の前嶋和弘氏はこう語る。

「アメリカのバイデン政権としてはシリア地域に対して大きく3つの思いがあります。

ひとつは、IS(イスラム国)を徹底的に壊滅させたい。これが最優先事項です。その視点でいえば、イランとロシアがバックについているとはいえISが広がらないのなら......とアサド政権を容認していた側面もある。しかし、それが倒れたことで、ISの拡大を気にする必要が出てきた。

ふたつ目は、これまでアメリカが支援を続けてきたクルド人の権利を守りたい。この点はトルコと意を反するので、トルコが攻めれば攻めるほどトルコとの関係性が悪化する可能性があります。

そして3つ目は、内戦が起きてほしくない。内戦になれば、大量破壊兵器がテロリストの手に渡るかもしれない。さらに人道支援などでアメリカがいっそう介入する必要が出てくるからです。独裁政権が倒された民主化の動きは歓迎しつつも、HTSのことをまだ信用しきれてはいないので、内戦の発生を心配している。

一方で、トランプ次期大統領は、全部『俺の知ったこっちゃない』と思っている。手を出してもアメリカのためにならない、と。もし、事態が紛糾し米軍を派遣せざるをえない状態になり、米軍の死者が顕著になった場合、アメリカ・ファーストを望む支持者から反発が出てしまいますから」

前出の黒井氏によれば、ジャウラニ氏は自分に向けられた視線も理解しているという。

「アメリカや国連にテロ組織に指定されていることがわかっているから、暫定政権の首相には自分ではなくバーシル氏を選んで、『暫定政権と話してください』という形にしているんです。アメリカや国連としては、ジャウラニ氏が裏にいるとはわかっていながらも、新政権とは譲歩してやりとりができる。

そもそもHTSがアルカイダ系だといわれる理由は、ISから『うちの傘下に入れ』と強要された際に拒否したことで目をつけられてしまったので、アルカイダの名前を借りて自身を守ったから。

山口組の盃を断ったから住吉会の看板を借りた、みたいなこと。アルカイダに借りたのは名前だけで、お金や人や武器などは一切援助されていないのは注意すべき点です」

最後に、黒井氏がシリアに期待することを聞いた。

「アサド政権を打倒したジャウラニ氏のグループは解放軍としてシリア国内でかなり人気がある。そんな彼らを『テロリストだから信用できない』と切り捨ててしまうと、ジャウラニ氏やHTSの発言力が弱まり、相対的にほかの組織や人の影響力が強まってしまう。

その中には、異教徒を殺すことや女性をレイプすることをいとわない者もいるかもしれない。各国の複雑な思惑が交錯するシリア情勢ですが、抑制的なHTSの下でシリアの国家再建が進められるように、国際社会はバックアップするべきだと思います」

川喜田 研

川喜田 研かわきた・けん

ジャーナリスト/ライター。1965年生まれ、神奈川県横浜市出身。自動車レース専門誌の編集者を経て、モータースポーツ・ジャーナリストとして活動の後、2012年からフリーの雑誌記者に転身。雑誌『週刊プレイボーイ』などを中心に国際政治、社会、経済、サイエンスから医療まで、幅広いテーマで取材・執筆活動を続け、新書の企画・構成なども手掛ける。著書に『さらば、ホンダF1 最強軍団はなぜ自壊したのか?』(2009年、集英社)がある。

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