ダマスカス旧市街のマルジェ広場の塔に貼られた、行方不明者を捜す大量のビラ ダマスカス旧市街のマルジェ広場の塔に貼られた、行方不明者を捜す大量のビラ
親子2代にわたって50年以上も独裁政治を続けていたシリアのアサド政権が倒れた。2011年の「アラブの春」以降、10万人以上が強制失踪させられていたとされるシリアの収容所の実態を、写真家・八尋伸が現地から伝える。

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2024年12月8日にシリアのアサド政権が陥落した。シリア北部、イドリブに拠点を持つ反体制派の主力勢力ハヤット・タフリール・アル=シャーム(HTS)が急襲作戦を仕掛けたのだ。

アサド政権軍の部隊はほとんど抵抗せずに霧散し、13年にわたる内戦は10日間ほどであっけなく終わった。アサド政権に援助をしていた国々――ロシアはウクライナ侵攻で、イランはイスラエルとの戦争で、それぞれ疲弊していたためだとの見方もある。

政権が陥落した直後、真っ先にHTSや市民たちはアサド政権の治安機関が運営していた収容所を解放した。

これまでのアサド政権の残虐な行ないは世界の人権団体などによって調査され、それをアサド政権は否定し続けていたが、ついに闇に包まれていたその恐怖政治の内幕が白日の下にさらされることとなったのだ。

ダマスカス旧市街のマルジェ広場にある塔には、行方不明者を捜すビラが大量に張られていた。ある人は知人がいるかどうか一枚一枚に目を細め、ある人は糊(のり)を片手にビラの隙間を探して行方不明になった親族の写真を張りつけていた。

「息子を捜している」「兄を」「親類を」

――皆一様に誰かを捜していた。このようなビラは、ダマスカス市内の至る所で見ることができた。私と一緒にいた通訳たちも、アサド政権に勾留されたり、親族を亡くしたりした経験があった。そのことを外国人である私に伝えることができるのは、彼らがアサド政権から解放されたからだ。

人権団体によると、2011年に起こった中東の民主化運動「アラブの春」がシリアに波及した頃から現在まで、10万人以上がアサド政権によって強制失踪させられたとされる。

セドナヤ刑務所「ホワイトビルディング」の一室。10m×5mほどのスペースに200人以上がすし詰めになっていたとされる セドナヤ刑務所「ホワイトビルディング」の一室。10m×5mほどのスペースに200人以上がすし詰めになっていたとされる
失踪者たちはアサド政権の治安機関が運営する収容所へと送られた。収容所ではありとあらゆる激しい拷問、過酷な環境での監禁、処刑が行なわれていたと報告され、その40%以上は衰弱が原因で亡くなったといわれている。

こうした収容所はシリア全土に27ヵ所設置されていると推測され、多くはダマスカス市内や近郊に集中している。それは大学の隣であったり、住宅街の中であったり、まさに「どこにでも」存在していた。HTSの兵士は言う。

「私たちは驚かない。牢獄はどこにでもあるのだから」

ダマスカス北部のセドナヤ刑務所では、3万人が殺害されたと現時点で報告されている。敷地内は解放後に殺到したであろう親族を捜す人々や、略奪者によって荒らされていた。のどかな風景に浮かぶように立つ刑務所内には野鳥が入り込み、その声が静かにこだましていた。

セドナヤ刑務所の外観。写真の「レッドビルディング」と別棟の「ホワイトビルディング」の2棟から成る。付近にはのどかな草原や丘陵が広がっていて、レンガ業者が作業をしていた セドナヤ刑務所の外観。写真の「レッドビルディング」と別棟の「ホワイトビルディング」の2棟から成る。付近にはのどかな草原や丘陵が広がっていて、レンガ業者が作業をしていた

勾留房には冷たい床にマット代わりの毛布が敷き詰められ、ボロボロの衣類が石鹸で作った壁のフックにかけられていた。

房の中は食料の腐敗臭、勾留者の体臭、トイレのにおいなどが混じり合い、形容し難い臭気が立ち込める。今はもう誰もおらず、気温も低いのでまだマシだが、夏場などはすさまじいにおいになっていたことは容易に想像できた。

オフィス棟では床に散乱した書類の中に収容者のマグショット(逮捕後などに撮られる顔写真)や死亡診断書などを発見した。

死因の多くは心不全や衰弱による身体機能の低下ということになっていた。医務室と思われる部屋では白い遺体袋がいくつも散乱しており、離れの別棟では切られた絞首刑用の縄がいくつも散らばっていた。

セドナヤ刑務所の敷地内に落ちていた、絞首刑に使われたとおぼしきちぎれた縄 セドナヤ刑務所の敷地内に落ちていた、絞首刑に使われたとおぼしきちぎれた縄
ほかの収容所でも、拷問に使われた器具、大量に遺棄された勾留者の衣類や靴、勾留房の壁に残された大量の勾留者たちの名前や日付、メッセージが見られる。"パレスチナ支部"と呼ばれる収容所の女性勾留房の中には、子供の服さえも落ちていた。

独裁政治が終焉(しゅうえん)を迎えて1ヵ月がたとうとするダマスカスの街は新生シリアの国旗であふれ、スーク(商店街)を歩けば「ウエルカム・トゥ・シリア!」と市民が誇らしげに声をかけてくる。

アサド政権によってテロ容疑をかけられた市民が収容されていたという、メッゼ空軍基地内の収容所。収容者は光のほとんど届かない劣悪な環境に閉じ込められていた。石鹸で作ったフックにかけられた衣類や日用品から、その過酷な生活の一端が想像できる。壁には勾留された人々が神に救いを求めるメッセージを残していた アサド政権によってテロ容疑をかけられた市民が収容されていたという、メッゼ空軍基地内の収容所。収容者は光のほとんど届かない劣悪な環境に閉じ込められていた。石鹸で作ったフックにかけられた衣類や日用品から、その過酷な生活の一端が想像できる。壁には勾留された人々が神に救いを求めるメッセージを残していた
彼らは皆、晴れやかな顔で将来の期待を新生シリアに向けていた。だが親子2代にわたり、50年以上続いた恐怖政治はあまりにも深い傷をシリアに残した。

いまだに行方不明の親族を捜す人々が収容所を訪ね、ビラを貼り回っている。戦争や経済制裁で疲弊し、500万人以上の国民が難民として海外に逃れている。

新生シリアはマイナスからのスタートとなった。これからは国民が平和に、自由に暮らせる国になってほしいと願うばかりだ。

●八尋 伸 Shin YAHIRO 
1979年生まれ、香川県出身。タイ騒乱、エジプト革命、ミャンマー民族紛争、シリア内戦、東日本大震災、福島原発事故、香港騒乱、ウクライナ侵攻など、世界各地の社会問題、紛争、災害などを取材、発表

八尋 伸

八尋 伸やひろ・しん

1979年生まれ、香川県出身。タイ騒乱、エジプト革命、ミャンマー民族紛争、シリア内戦、東日本大震災、福島原発事故、香港騒乱などアジア、中東の社会問題、紛争、災害などを取材、発表。2022年春にも2ヵ月近くにわたってウクライナ取材を行なう

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