1月26日、尹錫悦大統領は内乱罪で起訴された。韓国では現職大統領が起訴されたのは史上初のこと
韓国・尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領の弾劾が現在審議されているが、この是非を巡って同国の世論は真っぷたつ。しまいには極右系論者の陰謀論がシャレにならないレベルで国民の間に浸透しつつあり、それも新たな火種を生もうとしているのだ。果たして、この国はどうなる!?
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■わかり合えない若い男と女
韓国が深刻な社会の分断にあえいでいる。きっかけは昨年12月3日に尹錫悦大統領が44年ぶりとなる非常戒厳令を宣布したことだった。
韓国の国会は300議席中、反尹派の野党が192議席を占め、少数与党化した尹大統領は自分のやりたい政策を実現できずに不満を高めていた。韓国紙東京特派員が言う。
「これに業を煮やした尹大統領がいきなり非常戒厳を宣言したんです。理由は『巨大野党が好き勝手に法案を可決して国政をマヒさせており、その悪行を広く国民に知らせるため』というもの。あまりの唐突な戒厳宣布に『フェイクニュース?』と、首をかしげる国民も少なくありませんでした」
尹大統領は同時に「違反者は処断する」など、剣呑(けんのん)な文言が入った布告令を発表。この布告を根拠に軍と警察官約4800人を動員し、国会封鎖、中央選挙管理委員会の投票データサーバー押収、国会議長、与野党代表など14人の逮捕・監禁、国会に代わる非常立法機関創設などを強行しようとしたとされる。
ただ、その直後に国会が素早く戒厳令の解除要求決議案を可決(賛成190票)し、「尹戒厳」は宣言から2時間後の4日未明に打ち止めに。また、12月14日には「戒厳発令は憲法違反」として、弾劾訴追案を可決(賛成204票)、尹大統領は職務停止になってしまった。
「以来、韓国内では弾劾の可否を巡って、賛成派と反対派の市民が激しく対立し、衝突する事態が続いています」(東京特派員)
この特派員によれば、例えば弾劾反対派の集会で、賛成派の偵察を警戒するあまり、路上で歩行者の携帯電話をチェックする不穏な動きもあったという。ネットへの接続履歴を調べることで、弾劾賛成、反対などの政治指向を判断できるためだ。
「そうした尹弾劾を巡る対立が顕著なのが20代の男女です。総じて男性は弾劾反対、女性は弾劾賛成に分かれる傾向が強いという印象があります」
実際、韓国主要紙のひとつ、京郷新聞が昨年12月7日に国会前で開かれた弾劾賛成デモ集会の人員を定量分析したところ、20代、30代の若い女性が29.7%を占めるなど、高い参加率を示す一方で、同年代の男性は8.5%に過ぎなかったという結果が出た。男女間で3倍以上の開きがあるというわけだ。
では、若い男性層はどこに姿を見せているのか?
「尹大統領を支持し、弾劾に反対する保守系の集会です。右派色が強く、ジェンダー平等に不寛容な主張も目立ちます。もともと弾劾反対集会には保守性の強い60代、70代の参加者が多かったのですが、最近では20代、30代の若い男性の姿が目立つようになりました」
その傾向は1月19日に起きた尹支持派によるソウル西部地方裁判所乱入事件にも表れている。尹大統領への拘束令状の発行を不満とするこの襲撃で逮捕された46人のうち、20代、30代男性の若年層は54%にもなる。ライターオイルで地裁に放火しようとした男性に至っては2006年生まれの未成年者だった。
■20代、30代男女のリアルな声
韓国の若い男女世代に尹支持、不支持を叫ぶそれぞれの胸の内を聞いてみた。28歳の大学生(男性)はこう話す。
「当初は非常戒厳がまるで映画の中の独裁者による国民弾圧のように見えて、尹大統領を批判する声が多かった。ただ、弾劾可決をきっかけにニュースやユーチューブなどで情報を得るうちに、『大統領は悪くない。野党の国会での行動も良くなかった』という意見が増えてきた。
私も弾劾には反対です。軍を動かしたけれどもどこかを制圧したり、国民を傷つけたりしたわけじゃない。戒厳令発令は大統領の権限内の合法措置で、ましてや野党が断罪するような内乱罪などにも当たらないと考えています」
30代の会社員(男性)はため息をつきながら、こう語る。
「私は弾劾に反対です。ただ、職場の同じ世代の同僚は『尹大統領を支持して集会に参加している』なんて言えば、私と距離を置こうとするんですよね(笑)。職場の上司に40代、50代の左派が多くて、その人たちとの人間関係を気にしているんだと思います。
だけど、『左派政党が政権を握って韓国の政治を牛耳るのを見るのが嫌で弾劾反対の集会に出ている』と言えば、みんな納得してくれるはずです。
前大統領の文在寅が率いた左派政党『共に民主党』が与党のとき、同党は不動産価格を急騰させて国家の負債を増やしただけでなく、中国や北朝鮮に屈辱外交を行ない、しかも何も得ることができなかった。そんな『共に民主党』への嫌悪感を30代の男たちは共有しているんです」
一方の尹弾劾支持の20代女性の言い分はどうか?
「尹大統領は、高圧的で人の意見を聞かない。包容と熟議で国民を統合するというより、権威や力で国民を抑えるタイプのリーダーです。『女を大統領なんかにしてはいけない!』と叫ぶ反ジェンダー平等の右派キリスト教長老派と親密だし、もともと大統領にふさわしくないと思っていました。
その人物が非常戒厳を宣言し、国会を無力化しようとした。実際に軍人が国会本庁の窓ガラスを割って乱入したシーンがテレビなどで生中継されたじゃないですか。このシーンひとつだけでも明らかな憲法違反であり、内乱です。弾劾は当然で、尹支持を叫ぶ20代の男たちは頭のネジが外れているとしか思えません」(公務員女性、27歳)
韓国事情に詳しい大阪市立大学の朴一名誉教授が、「尹戒厳」をきっかけにあらわになった若年男女層の亀裂を解説する。
「強権的な尹大統領はジェンダー平等に慎重で、大統領選の公約でも女性活躍の受け皿官庁となる『女性家族省』の廃止を掲げていた。そんな尹大統領への反感が強まっていたところにキナくさい戒厳令までも宣令したとあって、若い女性らが大挙して尹弾劾支持へと動いているのではないでしょうか」
それでは若い男性は? 京郷新聞論説室長の徐義東氏が言う。
「20代男性らには、女性には徴兵義務がなく優遇されているという不満がある。男性が兵役で貴重な20代を費やしている間に、女性はさまざまなキャリアを積んで社会上昇を果たしているというねたみのような感情があるんです。
その不満が家父長的・権威主義的な尹大統領と共鳴し、20代男性を尹支持、弾劾反対へと走らせているという側面はあると思います」
■影響力を増す極右系ユーチューバー
韓国の分断をあおり、さらにその亀裂を広げている存在がある。尹絶対支持を主張する〝極右系ユーチューバー〟たちだ。
親米、反中、反北朝鮮、反LGBTQ、反フェミニズムを旗印にターゲットを設定、それらを攻撃することで求心力を高めてきた。
「この10年間ほどで極右ユーチューバーの影響力は急速に拡大しました。コ・ソングク、シン・ヘシク、ソン・チャンギョンら、著名十大極右系ユーチューバーのチャンネル登録数は合計で約1017万。韓国の人口は約5100万人なので、割合で見ると相当な数の登録者数であり、その発信力は韓国言論界で無視できない存在になっています。
尹大統領も熱心な視聴者として知られており、官邸の職員などに『新聞など読むヒマがあったら、ユーチューブを見ろ』と勧めていたほどです」(徐義東氏)
現在、極右系ユーチューバーたちは、こぞって尹弾劾反対集会への参加を呼びかけ、支持者の集結に大きな役割を果たしている。前出の1月19日に起きたソウル西部地裁の襲撃事件も、極右系ユーチューバーの扇動により暴徒化した側面は否定できない。前出の東京特派員が言う。
「壁の低い地裁裏門からの侵入、庁舎1階の監視カメラシステム破壊、2~6階をすっ飛ばして7階にある判事室襲撃など、極右系ユーチューバーなどが扇動・発信した地裁襲撃プランがほぼそのとおりに実行されていました」
韓国の極右系ユーチューバーには共通点がある。いずれも「不正選挙」を執拗に主張しているという点だ。「中国、北朝鮮などが中央選挙管理委員会をハッキング攻撃し、投票データが保守系与党不利に改変された結果、国政選挙でリベラル系野党が勝利できた」というのだ。
ただ、この不正選挙論は韓国内では尹大統領の与党「国民の力」でさえ、「証拠はない」と距離を置くシロモノだ。
「極右系ユーチューバーのこうした主張をテコに、2020年以降、計171件もの選挙不正を告発する訴訟が起きました。しかし、検察や国家情報院が選挙管理員会を調査した結果、いずれも『事実なし』と裁判所に棄却されています」(東京特派員)
だが、韓国内で不正選挙論が下火になる気配はない。現在でも不正選挙論に「共感する」と答える層が43%(朝鮮日報、1月21、22日調べ)もいるのだ。韓国世論が不正選挙説にどっぷり染まっていると言うべきか。
そして、その筆頭が極右系ユーチューバーの〝信者〟である尹大統領だ。その証拠に12月3日の非常戒厳令で、彼は中央選挙管理委員会に軍を投入し、電算サーバーの押収を命じた。
前出の朴教授が嘆く。
「尹大統領をはじめ、韓国の極右は20年のアメリカ大統領選で不正があったと主張するトランプ支持の陰謀論集団『Qアノン』とそっくりです。不正選挙を信じ込んでQアノンは米連邦議会議事堂を、韓国極右はソウル西部地裁を襲撃してしまった。
こうした陰謀論を一掃しない限り、アメリカ同様、韓国の左右対立、社会分断はさらに進むのではないかと危惧しています」
■いまだくすぶる「内乱」の火種。そのXデーは?
今後、韓国はどうなるのか? 現在進行中の尹大統領に対する弾劾審判は遅くとも3月内には結審する見込みだ。
「これまで4回の口頭弁論が組まれていますが、その内容を見る限り、憲法裁判事8人の心証は〝真っ黒〟。『尹弾劾は妥当』の結論に傾いているように見えます。軍が国会に乱入したテレビ映像などがあり、証拠物として採用されたためです。
弾劾となれば、尹大統領は罷免・失職になります。その後は一介の被告として1月26日に起訴された内乱首謀容疑の司法裁判に臨むことになる」(東京特派員)
ということは、弾劾の賛成派、反対派によるバトルも憲法裁判所の裁定によって一服せざるをえず、韓国社会は落ち着きを取り戻す、ということ? しかし、前出の徐義東氏は首を横に振る。
「17年に当時の朴槿恵大統領が汚職疑惑で罷免されたときも右派を中心に激しい抗議デモが起こり、3人もの死者が出ています。弾劾成立の当日は一服どころか、間違いなく大荒れになるでしょう。
ソウル西部地裁が尹支持者に襲撃されたように、弾劾を決定した憲法裁判所に抗議のデモ隊が押し寄せてもおかしくありません。裁判所など、憲法に基づく機関の秩序を乱せば、それは内乱に相当します」
しかも、その内乱リスクはその後も続くと、徐義東氏は心配する。
尹大統領が罷免になれば、その後60日以内に大統領選が行なわれることになる。最新の世論調査(韓国ギャロップ、1月24日調べ)を見ると、与党『国民の力』の支持率38%に対して、野党『共に民主党』は40%と、2ポイントのリードとなっている。
「この勢いのままに60日以内にある大統領選でリベラル系の野党候補が当選したら、極右系ユーチューバーなどの右派層がさらに激しい抗議を起こすかも。
なぜなら、極右層は不正選挙論にとりつかれ、放棄する様子はないからです。大統領選も不正があったと抵抗し、絶対に野党候補の勝利を認めないでしょう。そうなれば、韓国は内乱状態に突入してしまいます」
弾劾裁判結審日と大統領選投開票日。内乱リスクをはらんだふたつのXデーには、韓国へ旅行するのは避けたほうがいいかもしれない。