窮地にあえぐアルゼンチン経済を牽引するハビエル・ミレイ大統領 窮地にあえぐアルゼンチン経済を牽引するハビエル・ミレイ大統領

2023年12月、アルゼンチン大統領となった「エル・ロコ」(変わり者)ことハビエル・ミレイ。就任から1年後、行政のムダを徹底的に削減するミレイ流の自由主義政策で同国の経済は上向きになりつつある。「アルゼンチンのトランプ」とも呼ばれる強烈なキャラクターも相まって世界から注目される男。その挑戦の現在地をチェック!

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■省庁の統廃合と公務員の大量解雇

2023年12月、大統領に就任したハビエル・ミレイは「アルゼンチンのトランプ」と呼ばれており、ミレイ自身も〝トランプ信者〟だ。選挙戦ではチェーンソーを振り回すなどのパフォーマンスと共に、過激な公約を掲げまくって若者を中心に支持を得た。

その主なラインナップは例えばこんな感じだ。

●省庁や役人を大幅に減らして、福祉も削減! 

●国営企業や学校を民営化し、公共事業も民間に移譲する! 

●ムダな補助金などを削減し、野放図な歳出を止める! 

大統領就任から約1年、ミレイの急進的で自由主義的な政策はどんな進展を見せているのか? 長く中南米のサッカー事情などを取材しているジャーナリスト・カメラマンの三村高之氏の話を中心に現地のリアルな実態を見ていきたい。

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まずミレイは公約どおり、省庁の統廃合に着手し、それまで18あった省庁を半分の9省にまとめた。

「これまでと同じ形で残ったのは経済省、防衛省、保健省、外務・通商・宗務省の4省のみです。内務省は観光・スポーツ省と環境・開発省を吸収し、その他の省庁は新設のインフラ省と人的資源省に組み込まれました。

特筆すべきは運輸省、労働・雇用・社会保障省という重要な組織が新設省の局に格下げされたこと。両省はペロニスタ(前政権の与党だった左派政党)の巨大な後援組織であるトラック運転手組合や労働者総同盟との関係が深く、その影響を排除する意図が見えます」(三村氏)

ただ、それ以上にインパクトが大きかったのは、約3万3000人の公務員が解雇されたことだ。

「公務員削減は大統領就任前からミレイが一貫して主張していることではありましたが、実際にこの規模での削減が実行されると行政サービス低下の恐れなどから、抵抗や不満の声が多く聞かれました。

しかし、ミレイは省庁への調査によって、職場に顔を出さず給料を受け取っているだけの職員の存在など、いかにムダな人員が多いかを暴き出した。これにより、人員削減反対派の声は徐々にトーンダウンしていきました」

■ブエノスアイレスから消えた喧噪

ミレイ政権になって何が変わったのか。三村氏は「特に首都ブエノスアイレスの市民に聞くと、多くの人が最初に言うのは『デモが減った』ということです」と話す。

「ブエノスアイレスでは小中規模のデモは日常的に発生していましたが、数百人、数千人規模のデモが起こると、幹線道路を練り歩く人だかりで交通はマヒし、市民生活にも影響が出ていた。

そして近年のデモは、たいがいが政治がらみ。例えば政府に補助金のバラマキを促すことなどを目的に労働組合や野党の青年組織が主導して実施するというものも多かった。日当と弁当がもらえるので、遠足気分で来る参加者もいました。

日本と違い公衆トイレが少ないので、街のあちらこちらで放尿され、中には商店で万引する参加者もいた。自衛のためシャッターを下ろしてしまう店も多く、デモによって市民たちの経済活動が阻害されていたんです」

首都ブエノスアイレスの街並み(写真提供/草薙由莉) 首都ブエノスアイレスの街並み(写真提供/草薙由莉)

そして、そのデモ隊の中には「生活保護で暮らす人が多く参加していました」という。どういうことか?

「これはミレイ政権になってから判明したことなんですが、生活保護の支給に不正があったんです。本来は受給希望者が役所に申請し、審査が通れば役所が受給者に直接支払うという仕組みだったのですが、前政権は役所がすべきことを組合や地方のドンに丸投げし、生活保護支給の采配を明け渡してしまった。

そして彼らはより潤沢な補助金を得るためにデモ活動を行なうんですが、その動員のために生活保護支給をエサにしていたのです。ニュースには『デモに参加しないと生活保護を止められちゃう』と語る女性の姿が流れました」

この不正に関与した者は取り締まりの対象になり、さらには野放図な財政出動への忌避感も国民の間に醸成された。こうして「政党や組合主導のデモの機運は一気に盛り下がり、最近のブエノスアイレスは平穏になった」という。

ミレイ政権は、昨年7月にアルゼンチン国営通信テラムを閉鎖。写真は本社前で、政府による業務停止に抗議するマスコミ労組の関係者ら ミレイ政権は、昨年7月にアルゼンチン国営通信テラムを閉鎖。写真は本社前で、政府による業務停止に抗議するマスコミ労組の関係者ら

■インフレとの闘い

23年12月に大統領に就任した際、ミレイに特に期待されていたのは、インフレし続けていた物価の抑制だった。しかし、就任してしばらくは同国では過去最高レベルのインフレ率を記録し続けた。

「例えばブエノスアイレス市内に数店舗を展開するピザレストランのマネジャーによると、店の一番人気ムサレーラ(モッツァレラチーズだけのピザ)のLサイズ(2~3人用)の価格は、ミレイが就任した23年12月は3500アルゼンチン・ペソ(約530円)でしたが、約半年後の24年6月には6000ペソ(約900円)と急騰しました」

ブエノスアイレスのスーパーマーケットで肉を買う人々。物価高は庶民の生活を今も苦しめている ブエノスアイレスのスーパーマーケットで肉を買う人々。物価高は庶民の生活を今も苦しめている

その主な要因となったのはミレイが通貨を切り下げたことによる輸入品の高騰などだが、ほかに彼の自由主義政策も関係している。

「これまでの政権は、国民の生活を守るために物価上昇を抑えようと、価格統制や補助金の投入などあらゆる対策を取ってきましたがインフレを止めることはできませんでした。

ところが、ミレイは販売業者に対し、むしろ『いくら高く売ってもかまわない』と価格フリーを容認した。その結果、これを好機と見た業者はさまざまな商品の価格を高く設定し、それに伴い全体の物価がさらに上昇したんです」

しかし、物価の上昇はピークを過ぎた。24年4月に消費者物価指数が前年同月比の289%増を記録して以降、伸びが鈍化。同年11月の前年同月比は+166%といまだ高い水準にあるとはいえ、前月比だと+2.4%とアルゼンチンでは約4年ぶりのスローペースに抑えられている。

先述したような積極的な緊縮財政が効果を見せ始めたほか、三村氏は消費者の変化にも目を向ける。

「売る側も買う側も自由競争に慣れておらず、消費者は最初さまざまな商品を高くても慌てて買いまくりました。しかし、やがて高い商品は売れなくなり、価格の安い店に人が集まるようになった。販売業者が『薄利多売のほうが儲かる』ということに気づき物価高は頭打ちとなったんです」

■「デフォルト国家」を変えつつある

アルゼンチンは世界最悪レベルのデフォルト(債務不履行)国家だ。これまで9回ものデフォルトに陥り、そのたびに国際的信用は下がり続けてきた。

「国民も『借りた金は返さないのがアルゼンチン人だ』と自虐的に言います」

アメリカの金融グループ、JPモルガンは、投資家に向けて、その国の政治的・経済的なリスク指標である「カントリーリスク」を算出しているが、22年の発表によるとアルゼンチンのカントリーリスクは「北朝鮮と同等」の2800ポイント(このポイントが高いほど高リスク)だった。

しかし、今年に入ると563ポイントにまでなり、リスク評価の大幅減を達成した。

「ミレイはアルゼンチン経済を立て直すには国際金融社会に認められることが最善策だと信じています。そのためには信用を積み重ねるしかありません。

先頃は国債の元本と利息43億7000万ドルを支払った。これによりカントリーリスクが下がり、返済を受けた投資家の多くがその資金を再びアルゼンチンに注入し始めています」

■自由主義のひずみ

ブエノスアイレス在住の50代男性が言う。

「ミレイ政権になってから自宅近くのマンション前の水掃除をあまり見なくなりましたね。市街地は一戸建てよりマンションが多くて、その前の歩道をマンションの管理人が掃除するのが毎朝の風物詩。水を流してデッキブラシで洗って、最後は雑巾できれいに拭き取るんです。

しかし、水道代がすごく上がったせいか、マンション管理会社や管理組合が水掃除にストップをかけるようになったんです」

ミレイは財政支出をとことん削減する政策で、幅広い公共サービスに充てられていた歳出もカットした。

「その結果、水道代だけでなく、例えば均一料金の地下鉄の運賃はミレイが大統領に就任してからの1年で約100ペソから約700ペソに上昇しました。

アルゼンチンでは基本的に通勤費は会社が払ってくれず従業員の負担。地下鉄だけでなくバスや鉄道などを使って自宅から往復となると相当な金額になります。最近は自動改札を跳び越えて突破する若者が多く見られますね」(三村氏)

上空から撮影したブエノスアイレス。正面にあるのは同都市の名所、サン・ホセ・デ・フローレス大聖堂 上空から撮影したブエノスアイレス。正面にあるのは同都市の名所、サン・ホセ・デ・フローレス大聖堂

ただ、ミレイはなんでもかんでも市場の自由競争に委ねればいい、と考えているわけでもなさそうだ。

「市民生活に直結する物流を守るため、ガソリンの価格はある程度コントロールしています。1月に値上げがあったものの、その額は1%台に過ぎませんでした。また公立病院は今のところ民営化しておらず、診療は原則無料です」

しかし、医療保険についてこんなことがあったそう。

「公立病院は不十分な設備や待ち時間の長さなど不便なことが多く、中流階級以上の多くが民間総合病院の会員になったり、民間の医療保険に加入したりしていました。保険料や会費を納めることで、公立病院より優れた医療サービスを安価で受けることができたんです。

しかし、ミレイが自由競争をあおると保険会社も流れに乗って保険料を大幅に上げました。これにより退会者が続出。そして病気になると向かう先は無料の公立病院です。これにより公立病院は患者であふれ機能不全の危機に。これを見たミレイは医療保険掛け金の価格高騰を抑えるよう指示を出しました」

■不合理な税金の整理

昨年12月10日、ミレイは国民に向けた演説で「税金を90%削減する!」とぶち上げた。これは税収ではなく、税金の種類を9割減らすということだ。

「アルゼンチンには不可解な税金が多いんです。例えば貿易の関税といえば輸入品にかかるものですが、この国には『輸出税』がある。

海産物には5~15%、主要輸出農産物の大豆に至っては33%という高税率で、前もってこの税金を納めないと輸出できない仕組みになっている。業者は利益確保のためこの金額を価格に上乗せしなければならず、それが市場での競争力を弱めていました。

ほかにもいろいろあります。例えば昨年の12月末に廃止されましたが、国際線のエアーチケットにも30%の課税をしていました。飛行機で外国に行ける人は金を持っているから、というバカバカしい理屈です。こういった長く続く不合理を破壊してくれることこそ、ミレイに期待されていることです」

前出のブエノスアイレス在住の50代男性はミレイへの期待感をこう話す。

「長男がもうじき就職するが、今は最高の時期だと思う。社会的にはまだ実感はないけれど、景気は上向きだから優秀な人材は需要が高い。残りの任期3年のうちに国全体の景気が良くなってミレイが再選されれば、アルゼンチンはまともな国に戻れるだろう」

今後のミレイ政権の成否を分けるものは何か? 第一生命経済研究所の西濵 徹主席エコノミストはこう話す。

「財政の健全化を進め国際金融市場への復帰を果たし、投資などで外国から資金が入ってくる。そのことで経済に好循環が生まれる。それがアルゼンチンにとっての理想的なシナリオです。

しかし今も貧困層が全体の50%近くと多く、これを放置し、貧富の格差が開けば、社会不安が広がり、ミレイ大統領への不信につながる。その結果、3年後の選挙に負けてしまえば、再びバラマキに走る左派政党が政権を握ることになりかねません」

現状の危ういバランスを維持したまま国を発展させることができるのだろうか。ミレイの手腕に今後も注目したい。