黒人活動家のエリック・ロビンソン氏 黒人活動家のエリック・ロビンソン氏
ドナルド・トランプ大統領は、先日、「アメリカ製ではない全ての自動車、また、エンジンなどの主要な部品について25%の追加関税をかける」とアナウンスした。

これを受け、「日本のクルマ産業にも影響が出るんじゃないか」と話すのは、エリック・ロビンソン(57)だ。彼は幼少から大人まで様々なアマチュアスポーツチームのユニフォームを作る企業を経営しながら、黒人の生き方を世の中に問いかける活動家である。

ロビンソンは言った。

「人間のエゴと権力を誇示するために、関税を課すという考え方は好きじゃない。述べるまでもないが、政治はすべての人にとって公平に行われるべきだ。こういった政策を見ていると、アメリカが我々黒人に課してきた恐怖を思い起こさざるを得ない」

ロビンソンは冷静に言葉を続けたが、口を閉じると深い溜息をついた。

「黒人たちがいかにアメリカ合衆国で虐げられてきたかを忘れてはいけない。後世に、その苦難の歴史を伝えていくことを私は考えている」

1967年12月15日にテネシー州メンフィスで生まれたロビンソンは、1971年、母親と共に当地を離れ、犯罪多発地域であるLAのサウスセントラルで成長した。

「幼い頃から、胸に刻まれているのは、母の教えだ。彼女は私に正しいこと、自分のために立ち上がること、そしてアメリカの自由な文化の価値を説いた。人が生きるうえで、知識が重要だと叩き込まれた。母は私に、黒人指導者に関する本を読め、また世界史を学んで、見聞を広げるよう助言した」

ロビンソンの義父は、自動車リース会社に勤めていた。長年勤めた後、マネージャーに昇進している。母はテレクレジットという会社でオペレーターとして働いた後、専業主婦となり、4人の子供を育てた。

「母が私に与えた最も重要な教えは、我々黒人の歴史がアメリカの奴隷制度から始まったのではないということだ。自分が何者であるかを知り己に誇りを持つことで、必要以上に頭を下げる必要がなくなる。人種や信条、宗教を理由に憎しみや妬み、嫉妬、軽蔑を抱かなくて良い、そうしつけられたよ。

信仰の自由を求めたピューリタンが乗ったメイフラワー号が1620年にアメリカの海岸に到着する前、あるいはクリストファー・コロンブスがアメリカの地を踏むよりも前に、この地には黒人の原住民がいた。束縛された時代を経て自由を勝ち取ったんだ。こうしたアメリカ黒人の旅路が、私の中に輝くような誇りを植え付けた」

思春期をサウスセントラルで過ごし、頻繁に自身の生き方を見詰めるようになった。ワッツ暴動が発生したのはロビンソンが誕生する2年ほど前だが、同じエリアで黒人たちの感情を逆撫でする事件が再び起こったのは1991年3月3日、ロビンソンが23歳の時だ。

仮釈放中だった25歳の黒人男性――ロドニー・キングを捕える際、4名の白人警官が激しい暴行を加えた。その模様を撮影していた動画が出回り、怒りに震えた黒人たちが暴れ狂う。LAの街が破壊され、被害総額は10億ドルに上った。死者63名、負傷者2383名、逮捕者は1万2111を数えた。

ロビンソンは振り返る。

「1990年代、人種差別主義者として知られるダリル・ゲーツに率いられていたロス市警は、黒人の若者をターゲットとしていた。その前任者だったウィリアム・パーカーもまた、筋金入りの人種差別主義者だった。私はギャング活動とは無縁だったが、ロサンゼルス市警から定期的に嫌がらせを受けていたよ。ただ車を運転しているだけなのに、止められて持ち物検査をされるなんてしょっちゅうだった。

そこで私は、LA周辺のコミュニティーで人権を侵害されていた他の黒人青年たちと手を組んだ。そして市警との抗争の準備をした。元NFL選手の偉大なるジム・ブラウンは、私たちのエネルギーをもっと前向きな方向に向けるよう説得してくれた。彼は、『ロス市警と戦おうとしたところで、戦車に石を投げるような行為に過ぎない』と、我々を諭した。

そればかりでなく、市警の狙いは正当な理由での大量虐殺なのだと語りかけてきた。彼は、世の中のシステムを変えるためには、社会の内側で働くべきだと告げた。私はブラウンが発足した組織に入り、対立するLAギャングに和平条約を結ばせることに成功したよ」

ロサンゼルス市南部のスラム街・ワッツのホームレス ロサンゼルス市南部のスラム街・ワッツのホームレス
ロビンソンは、改めて母親の教えを反芻(はんすう)した。

「ロドニー・キング事件の頃、我々黒人たちが警察による暴力に対抗する術の一つがラップミュージックだった。LAのみならず、アメリカ全土でだ。ラップは、自己啓発、黒人意識、そして全米の黒人コミュニティーにおける市街地ギャングの暴力を止めることをテーマとしていたんだ。あの頃のラッパーは、トップアーティストだった。 しかし、警察組織や宗教指導者、地域社会のリーダーらは、彼らの歌詞やメッセージ、そして反逆の姿勢を認めなかった」

ロドニー・キングが乱打される映像が出回った後、LAでは新たな暴動が発生する。

「私は、1992年の相次ぐ器物破壊に心を痛めた。LA中で起こったし、長かった。1965年のワッツ暴動から27年後のことだ。どちらも、貧困、人種差別、そして黒人への人権無視が原因だった。略奪、放火、そして暴力は、白人主体のメディアが黒人を動物呼ばわりすることを正当化し、黒人は非人道的な扱いを受けて当然だと世界に示そうとするものだった。

確かに黒人たちは過ちを犯したが、ラテン系の略奪者や放火犯は見過ごされ、その矛先は黒人に向けられているようだった。また、保険金を得ようと自分の店を燃やした店主たちの存在も黙殺された。社会に対する疑問など、投げかけられることもなく、すべて黒人コミュニティーの問題だとされた。

あの頃、黒人たちとコリアン系アメリカンのコミュニティーでは諍いが多発していた。個人的には、LAの中南部とその周辺でコリアンと商売をする時、相手を敬う気持ちを忘れちゃいけないと信じていた。黒人vs.アジア人などという感情は、一つも持っていなかった。 私はどんな業者であれ、お金を使うときに無礼な態度をとってはいけないと教えられてきていたからね。

ただ、実際には、黒人客に対し、見下したように振る舞うコリアンがいることも知っていた。そのような態度に出くわす度に、私はその場を離れた。例えば、私が、『このシャツいくら?』と訊くだろう。すると、店主がぶっきらぼうに言うんだ。『買うか出て行くかだ!』って。答えになっていないのさ。だから、私は『じゃあ』と立ち去るしかなかった。

また、店主の中には、とても失礼で意地悪な人がいた。以前に商品を買った客に、同じ品の値段をつり上げたり、買い物をしている客を追い回したり、支払い後のお釣りを投げつけたりと、火種はいくらでもあったんだよ」

1988年、そんな地でロビンソンはアパレル企業を興し、かつ<Black Beginnings>なる社名を掲げてアメリカ社会に黒人の歴史や在り方を叫び続けている。

NBAやNHLの会場で現役選手をインタビューしながら生の声を届け、かつ、有色人種として初めてメジャー・リーガーとなったジャッキー・ロビンソンや、ロビンソンが在籍していたニグロリーグ、ボクシングの元世界ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリ、NBAのスーパースターだったコービー・ブライアントなどの足跡を次世代に伝えているのだ。

年間最高売上が$120,000と零細企業に過ぎないが、ラップの世界で有名なLL Coolやブレイク前のクイーン・ラティファなどに好まれ、ブラック・カルチャーを築きつつある。

「私たちはアメリカンだが、あくまでも"ブラック"アメリカンだ」と話すロビンソンは、現アメリカ合衆国大統領についてこう述べた。

「トランプは、ホワイトハウスにいる白人至上主義者の一人に過ぎず、自分の銀行口座を大きくし、一族の遺産を築き上げるために、欲望のまま動こうとしている。彼はまた、アメリカの黒人の歴史、業績、貢献、事実を消し去りたいかのようだ。

大統領に2度就任しながら、アメリカ合衆国が移民で形成されていること、様々な民族が共存していることを理解できていないようだね。そして彼のエゴを刺激する者なら、誰とだって手を組む傾向にある」

サングラスをかけ直しながらロビンソンは結んだ。

「特に期待も失望もしていない。私は自分の生き方を貫くだけだよ」

白人至上主義者と呼ばれるトランプ大統領は、どこへ向かうのか。

林壮一

林壮一

1969年生まれ。ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するもケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。ネバダ州立大学リノ校、東京大学大学院情報学環教育部にてジャーナリズムを学ぶ。アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(以上、光文社電子書籍)、『神様のリング』『進め! サムライブルー 世の中への扉』『ほめて伸ばすコーチング』(以上、講談社)などがある。

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