
平井和也ひらい・かずや
1973年生まれ。国際政治ウォッチングをライフワークとする元翻訳者(日⇔英)。人文科学・社会科学分野の学術論文や大学・シンクタンクの専門家の論考、新聞・雑誌記事、政府機関の文書などを数多く手がけた経験があり、サイマル・アカデミー翻訳者養成日英コースで行政を専攻。国際政治や世界情勢を強い関心領域とし、主な訳書にロバート・マクマン著『冷戦史』とカリド・コーザー著『移民をどう考えるか:グローバルに学ぶ入門書』がある
記者の締め出しに国際放送の解体――。民主主義国の代表として、世界中に自由を伝えてきたアメリカの"報道"をトランプは本気で封じ込めようとしているが、これは"政府効率化"なのか!? それともほかの狙いが......?
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就任してから今日まで、暴れ続けているトランプ米大統領。特に関税を巡る動きが目立っているが、その矛先はあらゆる場所に向けられている。
そのひとつに、米国グローバルメディア局(USAGM)を含む7つの連邦政府機関の機能削減に向けた3月の大統領令への署名が挙げられる。
深刻さがわかりづらいため、日本ではあまり報道されていないが、メディア史に詳しい在英ジャーナリストの小林恭子(ぎんこ)氏は「ひとつの出来事としては小さく見えるが、ゆくゆくは報道の危機を招きかねない」と指摘する。
「トランプ氏が削減対象として挙げた連邦政府機関の中には、USAGMが所管するボイス・オブ・アメリカ(VOA)があります。
VOAは、日本でいうNHKワールド JAPAN(国際放送)のようなもので、国内で起きた出来事を他国に向けて発信するメディアです。ただ、日本に住む人がNHKワールド JAPANを視聴することがなかなかないように、VOAもアメリカ国内であまり視聴されるものではありませんが」
ホワイトハウスの公式サイトに掲載された、VOA(Voice of America)を「急進的なアメリカの声(Voice of Radical America)」と揶揄する記事
では、その影響は限定的なのでは?
「短期的な影響はほとんどないかもしれませんが、長期的に見れば、アメリカほどの大国が中立的な報道を軽視する姿勢を世界に示した悪影響は計り知れません。
そもそもVOAは第2次世界大戦中の1942年、ナチスのプロパガンダに対抗するために放送を開始しました。以来、偏りのないニュースを提供することに心血を注ぎ、世界に向けて米国の価値観や政策を発信する対外宣伝活動の役割を担ってきた機関であり、ただのメディアではないのです。
しかしトランプ政権の方針は、アメリカ政府が外交政策の一環として続けてきたその活動を止めるものであり、約80年の歴史を変える大きな意味合いを持っているのです」
VOAはアメリカ最大の国際放送局として3億5400万人以上の視聴者に約50ヵ国語による報道を展開。第2次世界大戦以降も、冷戦やテロとの戦いなど、自由のための世界的な闘争において、報道の自由の原則を貫いてきた。
「先の大戦の反省などもあり、先進的な民主主義国では、政府を批判できるメディアを持つことの重要性が共有されてきました。ところが、今回の措置によってそれが崩れた。このニュースはイギリスでも大きく報道され、驚きとして受け止められました」
VOA本部前で「自由と民主主義を語るVOAをトランプとプーチンは敵視している」と書かれたプラカードを掲げ、抗議する人
特に影響を受けるのは情報統制のある国だという。
「先ほども言ったとおり、VOAは国内より海外、特に報道の自由が制限・抑圧されているような権威主義国に住む人々のためのメディアです。
つまり、中国やロシア、北朝鮮などに対し、アメリカのような民主主義国では、独立した中立的な報道機関があるんだと示してきた。しかし、それが止まるということは、そうした国々が行なっている報道規制を是認するだけでなく、中立的な報道を出す必要はない、と抑圧を後押しするメッセージにもとらえられかねません。
また、ヨーロッパの至る所で保守政党が伸長するなど、世界は右傾化しているといわれています。そんな中で、この一件が『正しかった』ということになれば、『都合の悪いメディアはプロパガンダだと決めつけて潰していい』と開き直る国が出てくる可能性がある。VOA解体に世界が追随する流れが生まれるかもしれないのです」
今回の措置を受けて、1000人以上のVOA職員が無期限の有給休職となり、VOAのウェブサイトなども停止。そもそもなぜトランプ氏はVOAをこんなにも敵視しているのか?
「単純な話で、中立を志した報道が、トランプ政権の批判を世界に届けているように映ったのでしょう。それが中立であれ、トランプ氏にとっては『自分よりも左の思想はすべて左』という理論なんだと思います。実際、米大統領府の公式サイトでは、VOAを『急進的な米国の声(Voice of Radical America)』と皮肉交じりに表記しています」
また、USAGMの傘下には自由欧州放送(ラジオ・フリー・ヨーロッパ/ラジオ・リバティー)などもある。
同放送のスティーブン・ケイパス社長兼CEOは「助成金の協定中止はアメリカの敵に対する大きな贈り物だ。イランの宗教指導者、中国の共産党指導者、モスクワ(ロシア)とミンスク(ベラルーシ)の独裁者が、自由欧州放送の75年の歴史の終焉(しゅうえん)を祝うことになる。私たちの敵に勝利を明け渡すことは、敵を強くし、アメリカを弱体化させることになる」と批判した。
実際、この指摘のとおり、長年アメリカが敵視してきた国々にとってプラスに働きそうだが、国際政治学者で上智大学教授の前嶋和弘氏は「われわれから見れば破壊的で強引にしか見えない決定も、トランプ氏にとっては計算ずくの、極めて合理的な選択なのです」と話す。
「アメリカはこれまで『ソフトパワー』、つまり軍事力や経済制裁といったハードな手段ではなく、自由や多様性、文化や価値観といった魅力で世界に影響を与え、国際社会に存在感を示してきました。
このソフトパワーを言い換えると、アメリカの多様性を世界に見せることでもあるんです。しかし、トランプ支持層にとっては、まさにその多様性こそが"敵"。気候変動も、妊娠中絶も、リベラルなメディアの政権批判も、すべてアメリカを弱くするものとみている。だから締め出して復讐(ふくしゅう)する。それがトランプ氏にとっての"正義"なんです。
VOAの解体も、アメリカのソフトパワーをそぎ落とす動きにしかみえませんが、彼にとっては極めてまっとうな世直し運動なんです」
前嶋氏によれば、アメリカの報道は現場レベルでも変化が起きているという。
「トランプ氏が『メキシコ湾』を『アメリカ湾』に変更すると宣言しても、AP通信は国際的な読者のことを考慮して『メキシコ湾』と呼び続けました。それを『誤情報の拡散だ』と怒ったトランプ政権は、AP通信の記者を大統領関連の取材の場に入れないようにしたのです」
リベラルメディアがホワイトハウスから締め出される中、保守系メディアの有名記者ブライアン・グレン氏などの面々が記者証を得て最前列に座るなど、メディアの選別が進んでいる
AP通信はこれに対してトランプ政権を訴え、ワシントンの連邦地裁は「憲法違反」だと判断し、制限を撤回するようにトランプ政権に命じた。しかし、その後もAP通信の締め出しは続いている。
「このようにアクセスをコントロールされると、媒体側も締め出されないように忖度(そんたく)せざるをえなくなります。事実、CNNなど一部のメディアでは、トランプ氏に批判的なキャスターを番組から降板させるなどの対応をしています。
また、ホワイトハウスに入れたとしても、次の問題がある。というのも、これまではどんな媒体にも満遍なく質問する機会が振られていました。ところが今では、比較的リベラルだといわれるABCなどの質問機会が明らかに減っており、代わりにトランプ支持者のインフルエンサーやブロガーがマイクを握る場面が目立ってきています。
彼らはトランプ氏が望んでいるような質問をしたり、その回答を広めたりしてくれる最大の味方ですから」
しかし、こんなことは第1次トランプ政権のときはなかったという。
「第1次トランプ政権のときには『左派でも右派でも自分が取り上げられて話題になればいい。どちらも俺が儲けさせてやろう』という思考だったんだと思います。
左派は自分を批判し、右派はホメる。でもどちらにせよ国民は注目し、自分が見られる、と。彼の本質はテレビタレントですから、どうすれば人の注目を集められるかを理解しているわけです。
ちなみに、その頃、トランプ政権をちゃんと把握するためにはしっかりした情報が必要だということで、『ニューヨーク・タイムズ』や『ワシントン・ポスト』に対する注目度が改めて高まりました」
記者証を得てホワイトハウスを訪れた極右ブログの特派員、ルシアン・ウィントリッチ氏
ところが、第2次トランプ政権では「自分を応援する者だけを優遇する」という姿勢に完全にシフトしている。
「今のトランプ氏にしてみれば、自分を批判する左派メディアなどとんでもない、そんなのは一刻も早く止めるべきだという立場。
自分に批判的な『ニューヨーク・タイムズ』なんてごろつきメディアと思っているでしょうし、読んでいれば『週刊プレイボーイ』も極左だと思うでしょうね」
今はまだトランプ氏を批判するメディアもあるが、4年後はトランプ応援一色だったりして!?
1973年生まれ。国際政治ウォッチングをライフワークとする元翻訳者(日⇔英)。人文科学・社会科学分野の学術論文や大学・シンクタンクの専門家の論考、新聞・雑誌記事、政府機関の文書などを数多く手がけた経験があり、サイマル・アカデミー翻訳者養成日英コースで行政を専攻。国際政治や世界情勢を強い関心領域とし、主な訳書にロバート・マクマン著『冷戦史』とカリド・コーザー著『移民をどう考えるか:グローバルに学ぶ入門書』がある