「スンウーポンニャーシンパゴダ」【震災前】1312年建立とされる有名なパゴダ(仏塔)。パゴダが密集するザガインの丘の上にあり、その仏像に多くのミャンマー人が手を合わせてきた
【震災後】今回の地震で天井が崩落。仏像の頭部が破壊され、わずかに胸の一部や手、台座などが残った。「二次倒壊の危険があるので、間もなく中に入ることはできなくなるだろう」とパゴダ関係者や周辺にいた人たちが言っていた
3月末、マグニチュード7.7の大地震に見舞われたミャンマーでは、今も数多くの歴史的建造物が崩壊したまま手つかずになっている。
今回、軍事政権の戒厳下にある同国の被災エリアに潜入したある人物の協力により、現地の写真を入手した。生々しい被害の様子についてお伝えしたい。
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3月28日に起きたミャンマー中部のザガイン管区を震源とする地震は大きな被害を生んだ。軍事政権の発表では、5月4日の時点で、死者は3785人、負傷者は5105人、行方不明者は92人に上っている。
ただ、この数値に軍事政権の統治が及ばないエリアの犠牲者は含まれておらず、実際の死者数はさらに1000人以上増えるのではないかともいわれている。
家が倒壊した人々は路上や避難所でのテント生活を強いられている。ミャンマーは4年前のクーデター以来、内戦状態に陥り、国内避難民は300万人を超えるといわれていた。そこを襲った地震は、人々の生活基盤を根こそぎ奪ってしまった。
この地震は震源地周辺に点在する遺跡にも甚大な被害を与えた。被災地一帯は、インワ、ザガイン、マンダレーとかつて王都として栄えたエリアと重なり、数々の歴史的な仏教遺跡を直撃したのだ。
「マハーアウンミェ僧院」【震災前】14世紀から19世紀にかけて栄華を誇ったインワ王朝を代表する僧院として知られている。
【震災後】レンガ造りの遺跡だったが、今やがれきだらけに。建物の裏側は痕跡もないほどに倒壊していた
「ヤダナシーミーパゴダ」【震災前】1430年建立といわれるインワ王朝時代の遺跡。スリランカから運んだ仏舎利を安置するために造られたと伝わる。1838年の地震で屋根が崩落したものの、仏像とその前に並ぶレンガ造りの丸柱が残った
【震災後】しかし今回の地震で丸柱はがれきと化した
ミャンマーの新年に当たる「ティンジャン休暇」を利用して、現地での救援に向かったMさんは、参道入り口が完全に倒壊したマハムニパゴダを前に、ぼうぜんと立ち尽くしてしまったという。
「言葉が出ないというより、これからどうやって生きていったらいいんだろうって思いました。あのパゴダ(仏塔)がこんなことに......。ため息ばかり出ます」
「マハムニパゴダ」【震災前】マンダレー最大のパゴダ。本堂の仏像は1784年にミャンマー西部のラカイン州から運ばれてきたといわれる
【震災後】参拝客が絶えないパゴダだったが地震被害は甚大。入り口ゲートがドスンと倒壊し、ゲート前にあった2体の獅子像も被害を受け、すでに撤去されていた
「クトードーパゴダ」【震災前】宗教遺跡が多く集まるマンダレーの丘の麓にあり、黄金のパゴダの周りを、経典が刻まれた石板を収めた729の小仏塔が囲む。1857年建立
【震災後】今回の地震で小仏塔のほとんどが被害を受けた。ただ、内部の石板は無事だった
地震発生から3週間が過ぎていたが、倒壊した遺跡の多くは、がれきの撤去も始まっていなかった。それどころか、がれきの下から遺体が発見されるような状態だった。
Mさんは、地元民を装いマンダレーやインワだけでなくザガイン管区に点在する遺跡にも潜入した。ザガイン管区は軍事政権とそれに抵抗する民主派の武装組織PDF(国民防衛軍)との凄惨な戦闘が続く一帯だ。地震直後にも国軍は空爆を行なっている。国軍のチェックは厳しく、援助物資が届かない場所も多い。
しかし今回はティンジャン休暇のためか、国軍の監視も手薄で、うまくチェックポイントをすり抜けることができた。
ザガイン管区の遺跡の被害も甚大だった。かつて手を合わせた仏像は、ドスンと落ちた天井の下敷きになり、頭部がなかった。
「ナンミィン監視塔」【震災前】インワ王朝が外敵の侵攻に備えるために建造した監視塔の遺跡
【震災後】もともと傾いていたが、今回の地震で外壁の意匠も見る影もない姿に。この写真を撮影した4月18日、ヤンゴンから来た救助隊によって瓦解した塔のがれきの下からふたりの遺体が発見された
「ローカドゥターマンアウンパゴダ」【震災前】インワ王朝時代のパゴダ。刻まれたレリーフは見事だが外観は地味。近くには有名遺跡が多く、セットで訪ねる人が多かった
【震災後】今回の地震でパゴダ上部がポキンと折れるように消えた
遺跡の再建には、クーデターから続くミャンマー国内の内戦が重い足かせになる。
遺跡の修復を担うミャンマー文化省考古・国立博物館局(DoA)の活動も停滞している。ユネスコも手出しがしにくい状態だという。ミャンマーの遺跡に詳しい東京文化財研究所副所長の友田正彦氏はこう話す。
「今回被災した寺院などは、文化遺産のうちでも現在も信仰の場などとして使われている、いわゆるリビングヘリテージが多い。国民にとっては、宗教的な心のよりどころであり、それを失ってしまったことによる喪失感は相当なものだと思います。
ただ、苦しいときだからこそ、民間レベルでも寄進が集まり、意外に早く修復されていくことも考えられます」
ミャンマーは間もなく雨期を迎える。被災者の救援や生活支援、そして遺跡の修復......。どれも青写真が描けない状況が続いている。
「ジャパンパゴダ」【震災前】第2次世界大戦時、日本軍が敢行したインパール作戦の激戦地として知られるザガイン管区。その戦闘地から離れた、管区の南端の丘にジャパンパゴダが建てられた
【震災後】そこには戦死した日本人の慰霊碑がいくつも建てられているが、今回の地震で仏塔上部が破損、日本人の名前が刻まれた基壇も崩壊した