2月14日から16日にかけて、東日本を襲った未曽有の大雪。内閣府がまとめた被害状況によると、19日時点で死者は20人。また、消防や自衛隊の除雪作業や救援活動にもかかわらず、なお3000人以上が孤立状態に陥っていた。

そんななか、今回の大雪被害に対する政府の対応に関して、初動の遅れを指摘する声が上がっている。

特に、安倍首相は被害が拡大している16日夕方に、支援者と高級天ぷら店で会食していたことが「不謹慎だ」などと批判されている。正直、どこで何を食べていようが、すべきことをやっていたならば、別にどうでもいい話なのだが……。

15日には、フェイスブックやツイッターで被災者からのSOS情報が次々と上げられていたものの、政府が被害の甚大な山梨県に調査団を派遣したのは降雪から3日目の17日のこと。そして、豪雪非常災害対策本部を設置したのは翌18日の午前10時半だ。なぜ災害対策本部を立ち上げるまで4日間もかかったのか? 内閣府担当者に聞いた。

「災害対策本部が立ち上がる前から各対応を取っており、われわれとしては初動が遅れたという認識は持っておりません。14日以降、各省庁と連携をとり、情報を収集、被害状況の把握に努めてきました。時間の経過とともに局面の変化もあり、さらなる対策をとる必要があるだろうと18日に本部立ち上げとなった。当初から何もしていなかったわけではありません」

詳しく振り返ってみよう。まず雪が降る前日の13日、気象庁が「東日本で大雪になる可能性がある」と警戒を呼びかけている。この予報を受け、政府は14日(降雪初日)の12時半に古屋圭司防災担当大臣らの下、関係省庁災害警戒会議を実施。各省庁の警戒態勢の確認などを行なう。

なお、14日の21時10分に、山梨県は、自治体での対応は不可能として自衛隊第1特科隊に災害派遣要請を出している。さらに翌15日、群馬県や長野県からも自衛隊に災害派遣要請が届くが、この日、政府に目立った動きはない。この点について、前出・内閣府の担当者はこう答える。

「それぞれの省庁で情報収集をやっておりました。雪が降ったからすぐに被害が出るわけではなく、雪が降り続けることで被害が出てくる。被害が出て状況を把握して、動き始める。つまり、降り始めから3日経過して、孤立集落が多々あるということがやっとわかってきた。そもそも災害派遣要請があるからといって、即、災害対策本部を立ち上げるものでもありません」

責任ではなく、原因を追求すべきとの声

政府、関係省庁は週末も情報収集、被害状況の把握に努めるなど、休日を返上して動いていたのだ。

しかし、実態把握にあまりにも時間をかけすぎてしまったのは事実。また、もろもろの情報は逐一、安倍首相の元にも入っていたというが、首相からは「迅速に対応するよう指示した」(首相周辺)というだけで、目に見える具体的対策はとられていない。

防災・危機管理アドバイザーの山村武彦氏はこう指摘する。

「危機管理において大切なのは洞察力と決断力。特に、過去に例のない災害の場合、初動対応をする上で洞察力が重要です。情報がすべて集まるには時間がかかる。優秀なリーダーというのは、情報のかけらから、どういった被害があるか洞察し、次にすべきことを判断し、決断しなければいけない。

1999年の台湾大地震の直後、当時の李登輝総統は情報収集を命じました。しかし、なかなか情報が上がってこない。李総統は『情報が上がらないことこそ、情報である』として即、10万人の国軍を出動させ、多くの命を救いました。これがリーダーに必要な洞察力。今回の場合、歴史的大雪、孤立情報、車両数千台の立ち往生などの情報もあった。そこから事態を想像できないようでは、リーダーの危機管理能力が問われる」

過去にたびたび民主党政権時代の危機管理能力を批判してきた安倍首相。そんな安倍首相がぶち上げる「国土強靭化計画」の基本理念には次のような文言がある。

【大規模災害の未然防止、発生時の被害拡大の防止、国家社会機能の代替性の確保】

実に立派であるが、「言うは易く、行なうは難し」では困る。

「どうしてこうなってしまったのか。大切なのは責任追及ではなく、原因追究です。情報集約システムや初動対応の齟齬(そご)を検証し、今後の教訓とすべきです」(山村氏)

今は大雪による被害者がこれ以上増えないことを祈るばかりだ。

(取材・文/コバタカヒト[Neutral])