原発周辺の市町村で行なわれている除染作業。地表の土、落ち葉などを取り除くことで地道に放射線量を下げていくしかない

福島第一原発の事故で飛散した放射性物質は、今も“見えない恐怖”として我々の周りに存在している。

事故発生当時、専門家たちは「土の地面へ降った放射性物質は、1、2年以内に50cmから1mの深さへ沈む」と、コメントしていた。

しかし、事故から1年後、文部科学省が開催したシンポジウム「放出された放射性物質の分布状況等に関する調査研究結果」では、この推測と異なる事実が発表された。日本原子力研究開発機構によると、事故で発生した放射性物質のうち、量が多く将来的に被曝影響が長く続くセシウムは、50cmどころか「大部分が5cm以内の浅い場所でとどまっていた」という。

この事実は、原発事故後の6月から、福島県を中心に東北南部および北関東で行なわれた「土壌検査」の分析内容で判明した。その後も多くの研究機関が土壌調査を行なってきたが、結果はやはり同じ。この調査結果を受けて大々的に始まったのが、田畑や校庭などの表面を削り取る「除染」だったのだ。

セシウムが地表近くにとどまっている理由について、原発事故の「二次汚染」を研究中の長崎大学大学院工学研究科・小川進教授(工学、農学博士)は、こう説明する。

「原発の大爆発で放出されたセシウムは元素状態のままでは遠くへ飛べず、一緒に上空へ噴き上がったコンクリート(石灰)の微粉末について、風で何百kmも移動しました。しかし地表へ落ちて雨水とともに地面へ浸み込むと、すぐにコンクリート微粉末から離れて、土の中の粘土成分に吸着した。粘土は石灰よりも金属元素のセシウムと結びつきやすい鉱物微粒子を豊富に含んでいるからです」

首都圏の放射線量データが、このセシウム地表面5cmを裏付けている!

実は、この「セシウムが浅い場所にとどまっていた」ことを示すデータがある。環境放射線学者の古川雅英博士(琉球大学理学部教授)と、原発事故関連記事をこの3年間執筆してきたジャーナリスト有賀訓氏は、東京都心部43ヶ所で、放射線量の定点測定調査を事故直後から行なってきた。

それによると、放射線量は徐々に減少していく右肩下がりのグラフになっておらず、時おり上昇するなど、今でも大きく変動することが分かっているのだ。

この理由について、小川教授が推測する。

「雨が増える春夏には、土の水分が“遮蔽効果”を発揮して、セシウムが出す放射線を弱めます。一方、空気がカラカラに乾燥した秋冬には、この遮蔽効果が弱まる上に、水分が蒸発して地中を上昇する“毛細管現象”により、水と一緒に地表へ出た粘土粒子とセシウムの塵(ちり)が風に舞うので、線量が高くなるのでしょう」

セシウム137の半減期は約30年。“見えない恐怖”との戦いは、まだまだ続く。

■週刊プレイボーイ13号「五輪工事で『セシウム汚染』が東京を再び襲う!!」より