なぜ、裁判所は歪(ゆが)んでしまったのか? 33年間、裁判官として勤務してきた瀬木氏だからこそ明かせる最高裁の問題点 なぜ、裁判所は歪(ゆが)んでしまったのか? 33年間、裁判官として勤務してきた瀬木氏だからこそ明かせる最高裁の問題点

「この門をくぐる者は、一切の希望を捨てよ」。ダンテの『神曲』の一節から始まる『絶望の裁判所』は、現在の裁判所が「絶望」的な状況にあることを、数々の論拠をもとに描き出している。

裁判官の人事を司る最高裁判所事務総局の「見えざる統制」によって全国の裁判官は支配され、最高裁の意に沿わない裁判官は「見せしめ」として左遷される。その支配統制のシステムが結果として冤罪(えんざい)を生み出してきた。

裁判所はなぜ、堕(お)ちてしまったのか。著者である瀬木比呂志(せぎ・ひろし)氏は事務総局に勤務するなどエリート裁判官としての道を歩むかたわら、研究論文などを発表してきた。「学者」としての視点をも持ち合わせた瀬木氏だからこそ語れる裁判所の実態とは?

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――刺激的なタイトルですね。

「多くの国民は『裁判官は正しい』と信じたいようですが、残念ながらそうではないのです。2000年頃から裁判所が希望のない状況になっています。根拠を示す数字はいくつかあります。

ひとつが裁判官による不祥事の多発です。00年以降、児童買春や電車内で女性のスカートの中を盗撮するなど少なくとも8件の不祥事が起きています。簡易裁判所の裁判官を除き、全国に裁判官は3000人ほど。そのなかで8件もの性的な不祥事が起きていることは、裁判所という組織がかなり歪んでいると見ざるを得ません。

ふたつ目は、民事裁判を利用した人の『満足度』です。2000年度に実施された調査によると、民事裁判を利用した人が訴訟制度に対して『満足している』と答えた割合はわずか18.6%に過ぎません。また、司法制度改革実施後の2回の調査でも、この数字は20%前後で、ほとんど変わっていません。

さらに、地方裁判所における民事事件の新受件数(裁判所に新たに提起された事件の件数)も減っています。新受件数は人々が裁判所を利用したい、利用しやすいと考えるかどうかの指標となる数字ですが、12年度は、ピークだった09年度の74.9%まで減っています。

03年度から12年度までに裁判官の数は約2割増えているにもかかわらず、新受件数が減っているのは、国民にとって裁判所は利用しやすいものではないことを示しているのです。

理不尽な紛争に巻き込まれた人は『正義』を実現してもらおうと考え、裁判所に訴えます。しかし、実際は、ある程度審理が進んだところで、『和解に応じないと不利な判決が出るかもしれない』などと裁判官から言われ、和解を勧められます。裁判官は早く事件を『処理』したいと考え、和解を成立させようとします。たとえばこうした裁判官の姿勢が裁判に対する満足度の低下、ひいては新受件数の減少につながっていると考えています」

自分の意見を言う裁判官は排除される

――なぜ、裁判所は歪んでしまったのでしょう。

「最高裁事務総局の、見えにくいけれども、非常に強い統制のシステムが完成してしまったからです。最高裁による裁判官統制は石田和外(かずと)長官(1969年~73年)時代に始まり、矢口洪一(こういち)長官(85年~90年)の時代に完成したと言われています。その後、統制はいったん若干緩んだ。しかし、前長官の竹﨑博允(たけさきひろのぶ)氏(08年~14年3月)の時代に再び強固なものになりました。

かつては左翼的な裁判官など、イデオロギー的な側面から裁判官は排除されていましたが、いまはイデオロギーに関係なく、裁判所内で自分の意見を言う裁判官、自分でものを考える裁判官が排除されるようになったのです。裁判所に『余裕』といったものがなくなり、体制、つまり最高裁事務総局の考えに沿わない人はどんどん排除される。これでは『全体主義国家』と同じです。こんなことは戦後の裁判所の歴史のなかでもおそらくなかったことです。

私自身、筆名を使っての著作や研究論文などを発表してきました。それらは弁護士や学者にも評価されていたと自負していますが、外部に意見を発表したということで裁判所の組織では『異端者』扱いされ、疎まれていました。実際、『裁判官は仕事と関係ない文章など書くべきではない』と面と向かって私を非難した上層部の裁判官もいたほどです。

もともと裁判官より学者の道に進みたいと考えていた私は、12年の春に明治大学教授への就職が決まり、その準備のために有給休暇の承認を所長に願い出ました。ところが、所長は休暇の日にちが長すぎると言い、『そんなに有給休暇をとるなら早く辞めたらどうか』と、早期退官を事実上強要しました。大学教授への転身に対する嫌がらせであったのかもしれません」

――裁判官に対する「統制」は人事にも表れているということですが。

「裁判官は、主として担当してきた仕事によって民事系、刑事系、家裁系に分かれます。昔は刑事系裁判官の数も多かったのですが、その後、どんどん数が少なくなりました。

しかし、00年代以降、事務総局の幹部は竹﨑氏と同じ刑事系の裁判官や、竹﨑氏と関係の深い裁判官が重用されるなど『情実人事』が横行しました。矢口時代でもこれほど露骨な人事はなかった。新任の判事補など若手裁判官の人事にも事務総局の意向が及んでいます。こんな組織は腐敗するしかありません」

刑事系裁判官の「権益拡大」に利用される裁判員制度

――本書の中で、裁判官の評価は「二重帳簿」システムになっていると指摘されています。

「00年代の司法制度改革によって、裁判官の人事を透明化するため、新任判事補の任用と10年ごとの裁判官の再任の審査を行なう『下級裁判所裁判官指名諮問委員会』制度ができました。裁判官を評価する書面が毎年つくられ、本人が求めれば、それが開示されるようになりました。しかし、その書面はあくまで表向きのもの。『可もなく不可もなく』など当たり障りのないことしか書いてない。

それにもかかわらず、実際にはかたよった、差別的な人事が行なわれています。表向きの書面とは別の個人別書面がある、つまり『二重帳簿』システムになっていると考えるのが自然です。その話は複数の裁判官からも聞いています。個人別書面は絶対極秘のもので、事務総局でも一部の幹部しか見ることができないものだと思います。

諮問委員会制度ができて以降、再任を拒否される裁判官の数が目立って増えています。確かに再任拒否される裁判官は能力不十分な場合が多いと思いますが、そうではない裁判官が混じっている可能性もあります。再任拒否がありうることをちらつかせての退官の事実上の強要の場合、その可能性はさらに高くなるでしょう」

――09年に始まった裁判員制度は、刑事系裁判官の「権益拡大」に利用されているとか?

「司法制度改革によって誕生した裁判員制度で刑事系裁判官が脚光を浴びるようになり、刑事系裁判官を増員することが可能になったのです。

そして、裁判所の人事や予算など司法行政を担当する事務総局の重要ポストの多くを、民事系よりはるかに数の少ない刑事系の裁判官が占めるようになりました。事務総局トップの事務総長、人事局長、経理局長、総務局長、秘書課長兼広報課長などを刑事系裁判官が押さえるようになったのです。

特に事務総長と秘書課長兼広報課長の人事は極端に刑事系にかたよっており、『裁判所の上意下達システムの要となるこのふたつのポストは刑事系で押さえる』という方針が露骨に表れています。

裁判員制度は、市民から選ばれた裁判員が有罪か無罪かの事実認定や、有罪の場合は懲役○年かなどの量刑を裁判官と一緒になって評議するものです。しかし、容疑を認めている被告人の裁判まで裁判員裁判にする必要があるのか、理解に苦しみます。容疑を争っている被告人が『職業裁判官ではなく、市民による裁判を求めたい』という場合にだけ裁判員裁判にすればいいのです。その裏には、裁判員裁判の数を増やすことで刑事裁判官の仕事の範囲を広くし、権益を確保する意図があったと考えられます。

また、裁判員制度は『司法への市民参加』というメリットばかりが強調されがちですが、その一方で、裁判員には厳しい守秘義務が課せられています。事実認定や量刑を決めるための評議のみならず、たとえば裁判官の説明や説得等の内容を漏らした場合ですら、『6ヵ月以下の懲役または50万円以下の罰金』という罰則が科せられます。守秘義務の厳しさは、裁判所が市民を信用していない証拠。世界的にも例をみないものです」

国民が希望を持てる裁判所に変えるには?

――国民が希望を持てる裁判所に変えるにはどうすればいいのでしょう。

「ひとつは、任官から退官まで、裁判官が最高裁事務総局による統制を受け続けるいまのキャリアシステムを見直すことです。在野で様々な経験を積み、能力と識見に優れ、なおかつ広い視野を持った弁護士が裁判官に任用される制度を確立することです。弁護士経験者から裁判官や検察官を任用する制度を『法曹一元制度』といいますが、この制度を取り入れることで裁判官人事制度の硬直化を解消できると考えています。

国民にもできることがあります。国民からの『信頼』や『権威』によって成り立っている裁判所は、根拠を示した批判に弱い。ですから、国民が常に裁判所を監視して、根拠を持って批判を続けることです。

メディアは、大きなものほど裁判所の実態に切り込もうとしない傾向がありますが、この書物についても、たとえば、東京・中日、北海道等の新聞が大きく取り上げ、書評もかなり出ているなど、大手も一枚岩ではありません。

また、市民が、独立系メディア、インターネット系メディアや裁判所の実態をよく知る優秀な弁護士と連携して情報を発信し続ければ、大きな『力』になります。国民が『こんな裁判所はいらない』と声を上げれば裁判所は変わらざるを得ないのです」

(構成/西島博之 撮影/村上宗一郎)

●瀬木比呂志(せぎ・ひろし) 1954年生まれ。東大法学部卒業。79年から33年間、裁判官として東京地裁、最高裁などに勤務。並行して研究、執筆活動を行なう。2012年、依願退官。明治大学法科大学院専任教授に転身。文学、音楽、映画、漫画の造詣も深い

■『絶望の裁判所』 (講談社現代新書 760円+税) かつて、『家畜人ヤプー』の著者ではないかといわれた個性的な裁判官もいた。しかし、時は移り、今の裁判官には自由に意見を言うこともできないほど最高裁事務総局の支配が進んでいる。裁判所の希望なき状況は、国民にとっても無関心ではいられない