「イスラム国」への参加を企てた北海道大学を休学中の26歳に警視庁公安部が事情聴取――。このニュースが日本中を駆け巡るより1年半も前、実はひとりの日本人が人知れず“戦闘員”としてシリアへ渡っていた。

昨年4月、「ジューシィムハマード」という過激派組織に参加したのは、現在26歳の鵜澤佳史(うざわ・よしふみ)氏だ。鵜澤氏は同年5月、戦闘中に大ケガを負い、現地でしばらく療養した後に治療のため帰国している。

平和な日本で育ちながら、なぜわざわざ激戦地へ向かった? 戦闘に参加し、何を感じた? 鵜澤氏に話を聞いた。

■今は「シリアに行く」とは言いづらい

―5月に大ケガをした戦闘というのは?

鵜澤 アサド政権に「政治犯」として虐(しいた)げられている人が大量に投獄された刑務所を、3つの反政府部隊が共同で包囲して襲撃する奪還作戦です。まず、自動車爆弾による自爆攻撃で外壁3ヵ所を同時に壊すところから作戦が始まりました。

―自爆攻撃をやる兵士は、どうやって選ばれるんですか?

鵜澤 志願です。上官からの命令ではなく、アッラーと自分の関係で自ら志願していくんです。その攻撃で開いた穴から敷地へ侵入したものの、次の爆弾で壊れるはずだった内壁が壊れず、前進も後退もできずドン詰まりに。そこに敵の装甲車が現れ、ピカッと光ったと思ったら、もう体が吹き飛ばされていた。73mm砲だと思います。

やられた瞬間は耳鳴りがすごくて、右足の感覚がなく、視界が真っ白になり、続いて目の前に黒いアメーバみたいなものがいっぱい見えた。ああ、これは死ぬ寸前なんだ、足も吹き飛ばされたんだと思いました。

でも、しばらくして確認したら、足は全部残っていた。止血してひたすら夜を待ち、仲間に救出され、野戦病院に運ばれて、消毒と縫合手術を受けました。この野戦病院も、1分間に1発くらいのペースでRPG(ロケット砲)で狙われました。運よく当たりませんでしたが。

―そこでもう、戦闘はイヤになりました?

鵜澤 いえ、リベンジしたい気持ちはありました。でも、2ヵ月間の療養中、だんだんイスラム教の厳しい生活や共同生活がしんどくなってきた(笑)。ちょうどラマダン(断食月)でしたしね。それで、トルコのジャーナリストの家に転がり込んだ後、目の奥に弾の破片が入っていて、手術しないと失明することがわかり、帰国したんです。

自殺、新興宗教、もうひとつの選択肢がイスラム国

―戦場から日本に帰ってきて、何を思いましたか?

鵜澤 やり切らない限り、戻らないと決めていたので正直、不本意でした。親にも黙って行きましたし。でも、帰国後も親はとがめることなく面倒を見てくれた。今はもう、再びシリアに行くとは言いづらいです。

シリアに行く前は、他人は他人、自分は自分と思っていました。でも、負傷して部隊の仲間に世話になり、帰国後は親の世話になった。他人に感謝するという、昔の自分とは対極の生き方に、今は人生の大きな学びがあると感じています。

―イスラム国へ参加しようとした北大生は、報道を見る限り、「自分探し」という印象です。そういう動機で戦場に行こうとする人に対して思うことは?

鵜澤 彼は「死ぬか、シリアに行くか」のどっちかと言ってましたよね。今の僕は違いますけど、昔はそういう思いだったこともあるので理解はできます。ただ、国に迷惑をかけるというのはあるでしょうし……非難を受けてでも行きたいなら自己責任で行けばいい。もしそれが法律違反なら犯罪者として逮捕されるだけですし。

ただ、ひとつ言えるのは、僕みたいにイスラム教徒ではないのに、純粋に戦いたいから改宗するという人はかなり稀(まれ)です。一部のイスラム原理主義の人たちからも非難されました。アッラーに帰依(きえ)するために戦うのであって、戦いのために改宗するというのは目的が違う、と。どこからも受け入れられないですよ(笑)。

―逆に、日本社会の側も、イスラム国に行きたい若者がいたというニュースを受け止めきれていないと思います。

鵜澤 そもそもの原因は、彼が自殺したいと考えてしまっていたことですよね。日本人は無宗教だから、他者との関係性からしか自分のアイデンティティを構築できない。でも、そこでコミュニティから拒絶されるようなことがあると、僕みたいに自殺したくなるか、それとも新興宗教に走るか……。

そこで、今の時代にもうひとつ登場してくる選択肢がイスラム国なんだと思うんですね。だから社会としては、「テロに立ち向かう」というより、身近にそういう人がいたら、自殺しようと思わないように大事にしてあげるというのが現実的じゃないかと思います。

(撮影・取材協力/本多治季 取材協力/世良光弘)

■週刊プレイボーイ43号「僕らはなぜ“聖戦”に惹かれたか?」より