マルタ島の隣のゴゾ島に残るジュガンティーヤ神殿 マルタ島の隣のゴゾ島に残るジュガンティーヤ神殿

先日、リポートした「マルタ島周辺=アトランティス大陸」説。今回は、その失われた文明がどのようなものであったかを、現存する遺跡から解説していこう。

世界最古の天文台をはじめ、世界各地で見られるストーンサークルなど巨石遺物4タイプすべてが残るマルタ島。“アトランティス文明”とは、当時どのような存在で、後々の文明にどのような影響を与えてきたのか?

■豊かな生活をしていた“アトランティス人”

本誌では「アトランティス伝説」の謎解きの鍵として、地中海の真ん中に浮かぶ「マルタ島」に注目した。

この島と西隣のゴゾ島では、8000年前頃から巨石神殿を中心とした古代文明が生まれたが、4000年前頃に突如として活動が止まった。その原因は巨大地震と大津波の襲来、さらに急激な地殻変動でもともとの広い陸地が水没したためと推定され、最近の潜水調査では、両島周辺の海底からもマルタ巨石文明の一部とみられる遺跡が見つかっている。

前回のリポートに続き、これまでイタリア半島とシチリア島など、地中海各地の古代遺跡を取材してきた考古ジャーナリストの有賀訓(あるが・さとし)氏は、こう説明する。

「1980年代に本格化したマルタ考古学研究の中で、敷地面積50m四方の大型神殿の建設に必要な労働人数と工期の試算が行なわれ、一日300人を動員した突貫工事でも、5000日(約15年)かかるという結果が出ています」

この試算が行なわれた理由は、これまでに2島で確認されている大型神殿約10ヵ所と、それ以外に残っている多くの石造物を、現在のマルタ島とゴゾ島の土地面積(八丈島4つ分)で維持できたのか?という考古学者たちの疑問があったからだ。

「そして試算数値から導き出されたのは、4000年前まで両島の陸地面積は今よりもずっと広く、豊かな食料生産力が保証されていなければ、とても巨石文明を支えるほどの労働力は養えなかったという結論でした」(有賀氏)

マルタ島とゴゾ島の古陸には食料があふれていた

実際、両島内には、巨石神殿をはじめとする宗教関連遺跡は無数に残っているが、当時の島民たちが暮らした町や村らしき遺跡は見つかっていない。現在残っているマルタ島とゴゾ島の陸上部分は、おそらく4000年前までは神々と少数の神官などが住む聖域として区別され、一般島民は海に沈んだ土地で生活していたのだろう。

彼らはどんな人々だったのか? マルタ共和国の首都バレッタにある「マルタ国立博物館」の考古学スタッフによると、

「マルタ島に残る遺跡や遺物は、津波が運んだ土砂とシチリア島のエトナ火山から飛来した噴出物の厚い地層に埋もれていたので、盗掘の被害も少なく、多くが良好な状態を保っていました。その時代の文化の移り変わりを探るための土器や石器類の分類もしやすく、天変地異が襲うまでの4000年間の流れが、かなり正確にわかり始めています」

大破局が突然訪れたことが、逆に失われた古代文明の記憶を後世へ残す助けになったのだ。

その遺跡や遺物からわかったのは、まずマルタ巨石文明を築いた人々の祖先は、1万年前頃に中近東地域から移動してきたらしい、ということだ。ほかのヨーロッパ各地にも、やはり中近東地域から移住した古代種族が住み着いたが、8000年から4000年前にかけて存在した「マルタ古陸」は特に豊かな土地だったらしく、農耕と牧畜が盛んに行なわれた形跡が、出土物や土器の絵模様などから想像できるという。

事実、当時の人骨を分析したところ、魚介類よりも動物の肉を多く食べていたことがわかった。さらに年代測定にも使われた豆類や果実の種子の種類の多さから見ても、今よりも面積が広かったマルタ島とゴゾ島の古陸には食料があふれていたと推定できる。その恵まれた環境が、大勢の人力と長い年月を費やして大神殿を造り続けることを可能にし、世界最古の巨石文明が生まれたのである。

*明日配信予定の第2回に続く!

(写真/有賀 訓)

■週刊プレイボーイ45号「短期集中連載 古代史最大の謎を追う! 第2回 マルタ島に眠る『アトランティス遺産』の驚くべき全貌」より