『「謎」の進学校 麻布の教え』の著者、神田憲行氏

御三家、と言われて何を思い浮かべるだろう? 尾張・紀伊・水戸? あるいは火ポケ・草ポケ・水ポケの“ポケモン御三家”? 世代や趣味でもいろいろあるだろうが、首都圏の教育熱心なお父さん、お母さんに訊いて返ってくる答えはおそらく、これだ。

開成・麻布・武蔵ーーそう、知る人ぞ知る中学受験の「御三家」である

そのうち麻布学園といえば、東大合格者数ランキングで50年以上もトップ10に名を連ねる超名門進学校として、その名を世間に知らしめている。しかしその実態は、一般に知られる「進学校」のイメージとは随分かけ離れているのだ。

・校則は存在しない ・教室や校舎は絶望的に汚い(生徒が誰も掃除をせずに帰宅してしまう) ・代わりに先生がひとり寂しく掃除をしている風景をよく見る ・大学現役合格率が異常に低い ・学校行事の際には生徒たちが、「志気を高める」というわけのわからん理由で髪を多様な色に染め上げる文化がある

などなど…。まさに「どこか変」な進学校。そうした意外な内容が衝撃的だったからか、それとも教育に役立つハウツー本としてウケたのか、この麻布学園の秘密に迫った新書『「謎」の進学校 麻布の教え』(神田憲行 著・小社刊)が売れに売れまくっている。発売1週間で早くも重版が決まったかと思いきや、翌週にはすでに三刷も決定、ネット書店では連日在庫切れの状態が続いているという。関係者も驚愕するこの人気の理由を、著者の神田憲行氏に訊ねてみた。

生徒も教師もOBも、個性豊かな麻布学園

●「二次元の彼女」から「デカルト」まで

神田氏は2年にわたる取材のなかで、麻布学園全面協力のもと、現役生徒、教諭陣、図書館司書から保健室の先生、果ては各界で活躍するOBまで関係者に満遍なくインタビューを行なったという。その甲斐あって、本書ではユニークな人物像が新鮮かつリアルに描かれている。好例が、以下の現役麻布生の談話だ。

「(二次元の)彼女の誕生日には、ケーキ二個買ってパソコンモニターの前に並べて、一緒に誕生日パーティのお祝いもしました。現実の女のコって、どこかしら欠点があるじゃないですか。そういうのが嫌なんです。彼女つくるなら完璧な彼女が欲しいんですけど、そんなのありえないじゃないですか。なら、いらない」

「今読んでるのは『方法序説』。ベタですけどね。面白いっつーか、デカルトはやっぱりすごいんだな、とは思います。やっぱ、学問つくった人ですからね。わからないものがやっぱすごい、わからないけどすごく大っきいものってあるじゃないですか。そういうものを自分の目で見たい」

二次元の彼女から哲学者・デカルトまで…この幅の広さこそ、「麻布を『変』と謳(うた)った理由」だと神田氏は語る。

「本の冒頭に『麻布って変』と書きましたが、正確には変というよりは不思議な魅力を持った人たちが多かったですね。生徒も教師もOBも個性豊かな人達ばかり。そうした人物像が浮き彫りになったのが、麻布関係者や一般読者にウケたのかもしれません」

一方、取材のなかで「普通の高校生と変わらないんだな」と感じた瞬間も多々あったという。

「私はもともと長く高校野球を追いかけていたので、麻布を最初に取材したのも野球部でした。都大会の一回戦で、まあ甲子園常連の強豪校とは違いますから、どう見ても素人のような外野手もふたりくらい交じっているわけです。でも、そのとき出ていたキャッチャーの子だけは動きが違った。5回コールド負けの試合でしたけど、整列の後、彼は人目も憚(はばか)らず号泣していました。そのとき思ったんです。『ああ、この子たちも、自分が今まで追ってきた高校球児たちと一緒だ』ってね」

『勉強』ではなくて『学問』を教えている麻布学園

青くさい正義感と、未来への漠然とした不安を抱えるどこか変で普通の高校生たち。それが、神田氏が取材を通じて麻布生に抱いた印象だ。また、書籍のなかにはユニークな教育方法をとる熱心な教諭陣も多数登場する。

「とにかく教え方がユニークなんですよね。社会の授業では世界地図を丁寧に色まで塗って完成させたり、工芸ではブーメランの作り方を教えるためにわざわざ先生自身が本場の職人の講習を受けたり。単に黒板に大事なことを書いて、それをノートに写すという授業よりもこちらの方が生徒も教師もずっと労力を使います。麻布学園の授業は『勉強』ではなくて『学問』を教えている。そう感じましたね」

そうした経緯もあって、神田氏自身は「特に教育者にこの本を読んでもらいたい」と切望している。

「僕自身は麻布とはなんの関係もない、奈良の田舎の学校で勉強したんですけど、そこで教わったのは『他人に迷惑をかけないこと』という一点だけでした。もちろんそれも大事なことではあるんですが、教育の現場に携わる人にこそ本書を読んでいただければ、日本の教育がもっと変わっていくんじゃないかと期待しているんです。あ、でも一番読んでほしいのは、僕が若い頃教わった先生たちかな(笑)」

超有名進学校・麻布学園の知られざる実態に迫った暴露本にして、未来の日本の教育方法の一例を示唆する教本。謎の「御三家」、麻布学園の一端を垣間見れば、世の中を見る目が少し変わるかもしれない。

(取材・文/高成浩【POW-DER】)

(著者プロフィール)●神田憲行(かんだ・のりゆき)1963年、大阪生まれ。ノンフィクションライター。関西大学法学部卒業後、故黒田清氏の事務所を経て独立。1992年から約1年間、ベトナムのホー・ チ・ミン市で日本語教師生活を送る。また夏の高校野球を20年以上にわたって取材している。これらの経験から教育、高校生を取り巻く問題に興味を持つよう になり、本書に至る。ほかに人物ルポを中心に幅広い執筆活動を続けている。主な著書に『ベトナム・ストーリーズ』(河出書房新社)、『ハノイの純情、サイ ゴンの夢』(講談社文庫)、『八重山商工野球部物語』(ヴィレッジブックス)などがある。■『「謎」の進学校 麻布の教え』(神田憲行 著)東大合格者数ランキングで50年以上もトップ10に名を連ねる麻布学園。しかしその実態は、大学現役合格にこだわらず校則もないという、「進学校」のイメージとは一線を画したもの。そんな独自の教育方針と魅力に迫った人気の新刊。820円(税込)/256P/集英社新書