「日本で最も有名な自動車評論家」の徳大寺有恒(とくだいじありつね)氏がこの11月7日、死去した。享年74歳。
徳大寺氏は大学卒業後、トヨタの契約ドライバーを経て、1965年にカーアクセサリー会社を立ち上げて成功するも、4年後の69年に倒産。その後、文筆業をスタートさせ、76年にベストセラー『間違いだらけのクルマ選び』(草思社)を上梓。国産メーカーに苦言を呈するなどタブー視されていた時代に辛辣な自動車評論を書き、その地位を確立した。
衝撃の一冊となった『間違いだらけ…』は瞬(またた)く間に70万部を超えるベストセラーに。以後、2005年版まで毎年発行される「クルマ好きのバイブル」となり、徳大寺氏は誰もが認める日本で最も有名な自動車評論家に上り詰める。
そんな徳大寺氏といえば、ハードボイルド作家の北方謙三氏との交遊も知られる。北方作品には初期の頃からクルマをビシッと運転するシーンがあるのだが、実は北方氏が運転免許を取得したのは30代も半ばを過ぎてからだったという。
「オレが徳大寺さんと付き合い始めたのは35歳の頃。ハードボイルド小説を書いてるのにクルマの免許を持っていないなんて……って、徳大寺さんや五木寛之さんに言われてね。それで免許取ることになったら教習所を紹介してくれた。徳大寺さんの紹介だから電話して行くと待ち時間なしで乗せてくれて、2週間ちょっとで取れたんだよ。
免許取ったら、今度は徳大寺さんがディーラーに連れていってくれた。ルノー、ベンツ、サーブ、マセラティ、フェラーリとね。そのとき、クルマを選ぶときは自分を主張できるクルマに乗れ!って言われたよ。
マセラティについては、歴史と伝統のあるメーカーだけど、今は斜陽になってきている。でもクルマ造りのプライドは高い……とか聞かされて、エンブレムがネプチューンが持ってる三叉(さんさ)の銛(もり)だったのがカッコよくて選んだはいいものの、当時のマセラティだから故障が多くて……。それで文句言ったら、徳大寺さんは、クルマなんて前に走ればいいんだ!ってさ(笑)。
徳大寺さんは食い物にもこだわりが強くて、ちょっと高級じゃないとダメだったな。“安くてうまい”はダメだった。あと、おしゃれにもうるさかった。一緒にNYに行って、ネクタイ、ブレザー、靴……とか買ったりしたね。
オレは昔、男はジャンパー着てればいいと思ってた。でも、徳大寺さんにそんなんじゃダメだ、たかが服だけど、されど服なんだ、と言われてね。着るものに関してもいろいろ教わったよ。でも、こだわり始めると、徳大寺さんの言ってたことがわかってくるんだよな」(北方氏)
俺にとってはカッコいい師匠だった
北方氏が、クルマ文化にとどまらないその博覧強記ぶりも語る。
「徳大寺さんはクルマという文化、それがどのような文化を形づくってきたかについては語ったけど、メカそのものについて語ることはなかったね。例えば、フランス車のサスペンションがなぜ柔らかいのか? それは、パリを走ってると街路樹の根が所々道に出てきて、路面がガタガタになる。そんななか快適に走るために柔らかくしてあるんだ、とかさ。とにかく博覧強記で、クルマ、服、食べ物、いろんなことをよく知ってた。
徳大寺さんと一緒にいることが多かったから、オレたちのことを友達だと周りの人は思っていただろうけど、オレからすると徳大寺さんは師匠みたいな意識だね。
最後に会ったのは3、4年前、クルマ雑誌の取材だったかな。そのときは脳梗塞(のうこうそく)を患った後で、持病の糖尿病に関しては医者とマンツーマンで治療してたはずだけど、病院食は食いたくない、うまいものを食っても病状を悪化させないのが医者の仕事だろうとか言ってたね(笑)。
徳大寺さんは究極のエピキュリアン(快楽主義者)だと思う。クルマだけでなく、本、映画、音楽、ネコ……と、楽しいことにお金を使う人だったな」(北方氏)
徳大寺氏は理論やハードウエアで語る自動車評論家ではなかった。クルマ以外の様々な文化への造詣も深く、男のカッコいい生き方へのこだわりもハンパなかった。
その名言のひとつに「クルマは売っても買っても損をする」というのがある。徳大寺氏は日本で一番ブッ飛んだエンスージアストだったのかもしれない。合掌。
(撮影/五十嵐和博)
■週刊プレイボーイ48号(11月17日発売)「追悼 徳大寺有恒さん あなたが広めたのは『クルマの選び方』だけではなく『男のカッコいい生き方』そのものでした!」より(本誌では、自動車評論家・舘内端氏の追悼コメントも掲載!)
■本誌による昨年11月のラストインタビュー「“車離れ”の進む若者たちに送る『車のダンディズム』」はこちら! http://wpb.shueisha.co.jp/2013/11/28/23343/