モホス平原の人工湖は各辺が2~3km。すべての湖が約2mの深さに掘られている。多くは水路でつないだふたつのセットになり、必要に応じて水門の開閉で水位調整を行なったと考えられる モホス平原の人工湖は各辺が2~3km。すべての湖が約2mの深さに掘られている。多くは水路でつないだふたつのセットになり、必要に応じて水門の開閉で水位調整を行なったと考えられる

これまで5回にわたってリポートしてきたアトランティス伝説も、今回がいよいよ最終回。地中海マルタ島を脱出したアトランティス人は、大西洋を越え南米大陸はアンデスとアマゾン川源流域にその足跡を残した。

だが、アマゾン川源流のモホス平原に文明を築いた彼らは、あるときを境に、その痕跡が突如途絶えてしまった……まるで遠い先祖のアトランティス人のように。彼らに何が起こった? その後、どこへ……?

■アトランティス同様、突如消滅したモホス文明

これまで5回にわたって紹介してきたように、8000年前から4000年前頃にかけて、地中海の中央海域マルタ島周辺には今よりも広い陸地があり、世界最古の巨石文明が栄えていた。しかし、急激な地殻変動による水没、地震、大津波に襲われ文明はほぼ消滅した。その記憶が「アトランティス伝説」を生み出したという仮説のもと、本誌は取材を進めてきた。

ただし、このマルタ巨石文明は完全に滅び去ったわけではなく、生き残った者たちが世界各地の古代文明に大きな影響を及ぼした。その形跡がこれまでリポートした、イタリア半島北・中部に栄え、後のギリシャ・ローマ文明の元になったエトルリア文明、そして大西洋を越え、南米アンデスはボリビア・チチカカ湖周辺で発展したチリパ文化、ボリビア北東部のベニ州モホス平原に残る謎の遺跡群だ。

特にアマゾン川源流域に広がるモホス平原は、20世紀前半までは人跡未踏の原野地帯と考えられていた。ところが1960年代前半から本格化した航空資源調査で、農耕地跡らしき変色した地面(1ヵ所が2~3km四方)、道路・水路網(総延長5000km以上)、巨大人工湖(約200ヵ所)、土盛り状の居住地(名称「ロマ」。約2万ヵ所)などの遺跡・遺構群が、日本の本州の面積とほぼ同じ広さにわたって展開している事実がわかった。

そして、これまでの学術調査では、このモホス平原の大改造は3000年以上前から始まり、最初から高水準の土木工事技術を駆使して計画的に遂行されたことも明らかになってきた。

「モホス文明」がぷっつりと途絶えた理由は?

また、モホス平原の西側に連なるアンデス山脈では、3700年前頃に突如として「チリパ文化」が現れ、大規模な石造神殿が築かれたが、その神殿遺跡にはマルタ巨石文明とよく似た“4つの渦巻き文様”を彫った大型石板が残され、モホス平原のロマからも4つの渦巻きを描いた大型土器が見つかっている。この土器は埋葬された遺骨の頭部にかぶせられていたが、実はマルタ巨石文明の墓(5000年前頃)からも頭に土器をかぶった遺骨が発掘されているのだ。

さらに《大昔に大洪水で滅びた世界の果ての国から、白い顔の先祖たちがやって来た》という南米各地に残る伝説に照らしても、「マルタ=アトランティス人」の子孫がアンデスやモホス平原に定住した可能性が見えてくるのだ。

しかし、最盛期には100万単位の人口を擁していたはずの「モホス文明」は、まるでアトランティス伝説を再現するかのように、ある時期を境にぷっつりと途絶えた。そしてモホス平原は再び人が簡単には立ち入れない原野に戻ってしまった。その原因はなんだったのか? ベニ州立ベニ大学・人類学研究室のモホス調査担当者は、こう説明してくれた。

「2000年近く続いたと推定されるモホス平原の農耕文化が停止したのは、12~13世紀頃と考えられます。この時期にはインカ帝国が南北5000kmのアンデス高地を統一したので、インカの武力侵略を受けたのではないか?という見方もありますが、今のところ戦乱を裏づけるような証拠は発見されていません。

これまでのロマの発掘調査では、土器の文様などを見てもアンデス高地の古代文化と密接に交流していた事実がわかっていますし、そもそもインカ帝国がモホス平原の農耕社会を滅ぼす理由はないのです」

モホス文明の崩壊原因は人間側にもあった

海抜約4000mのクスコに王都を置いたインカ帝国は、アンデス山脈西側の太平洋沿岸部と東側のアマゾン川流域にまで支配圏を広げた。それは高地では手に入らない魚介類や農作物、鉱物資源などを集めるためだった。つまり、モホス平原の豊かな農業生産力を頼りにこそすれ、排除することなどあり得なかったのだ。そしてベニ大学の担当者は、こう先を続けた。

「となると、なんらかの理由でこの大規模な農耕社会は“自己崩壊”したという見方が現実的でしょう。例えば気候変動による飢饉(ききん)の慢性化、治療の難しい病気の爆発的流行などが考えられます」

確かに12世紀から19世紀までの地球気候は寒冷化の傾向が強まり、特に13世紀から14世紀にかけては世界中で大飢饉が続発した。そうした異常気象が、熱帯のアマゾン川源流域の農業にも悪影響を及ぼしたのだろうか? 考古ジャーナリストの有賀訓(あるが・さとし)氏は言う。

「この自己崩壊の原因を気候変動で説明しようとする研究者たちも、“干ばつ説”と“多雨説”に意見が割れています。どちらにしろ農業と淡水漁業が成り立たなくなったということですが、その原因は人間側にあることも考えられます。あまりにも徹底的な自然の改造工事を続けたために、局地的な異常気象を引き起こしたのかもしれません。

また大量に土器を焼き続けたことで森林が少なくなり、生態系バランスを狂わせたという仮説も成り立つと思います」

さらに最近では「鉱毒説」も注目を集めている。インカ文明は「黄金文明」とも呼ばれたが、アンデス高地では10世紀頃から金、銀、銅、水銀などの採掘と精錬作業が本格的に行なわれるようになった。その際に発生した人体に有害な物質が河川を下り、モホス平原へ流れ込んだという見方だ。

このようにモホス文明の崩壊原因は人間側にもあり、いくつもの悪条件が重なって急速に衰退したのではないか。「マルタ=アトランティス文明」は4000年前頃に起きた天変地異で幕を閉じたが、その子孫たちの社会は3000年の時を経て、今の日本が直面しているような天災と人災のダブルパンチに打ちのめされたのかもしれない。

*この続きは明日、配信予定!

■週刊プレイボーイ49号「短期集中連載 古代史最大の謎を追う!第6回 アトランティス人の末裔は今も生きている!」より