四川省の三星堆遺跡では、中国古代史を覆すような謎の青銅器が次々と発見されている

激辛料理の本場としても知られる四川省に、中国古代史の常識を覆(くつがえ)すような遺跡がある。

普通に考えれば、「考古学の大発見、万歳!」となるところだが、そこになぜか中国共産党のメンツ問題が絡んで、歴史的発見がウヤムヤになりかけているとか…。そこでまずは現地へ飛んでみた!

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「ハーイ、ハッピーニューイヤー! 元気かい?」

元日早々、記者の携帯に着信した国際電話の主は、米ニューヨークの超一流タブロイド紙『ウィークリー・ワールド・ニュース』のニール・マクギネス編集長。

あの、日本にはお正月っていう習慣がありまして、何も元日から電話してこなくても…。

「何言ってるんだ。中国の正月(旧正月)は2月だろ」

は? 中国?

「実は最近、一部で“宇宙人遺跡”と呼ばれる四川(しせん)省の三星堆(さんせいたい)遺跡に、考古学者や労働者が集められているらしい。ここから出土した数千点の青銅器は、放射性炭素年代測定によれば、古いもので5000年以上前のものという驚愕(きょうがく)の調査結果がある。

そこで近年、ドイツやフランスなど海外の調査団が現地で本格的に研究しようという流れになっているのに、なぜか中国側は、その前に全部掘っちまえ!とばかりに、ハイペースで発掘しているというんだ」

その背景を探ってこいと?

「信頼できる現地エージェントを用意した。さあ、すぐにでも飛んでくれ」

数日後、取材班は成田空港から上海経由で計8時間、中国西南部の四川省・成都(せいと)へ飛んだ。三国志の名君・劉備玄徳(りゅうび・げんとく)や、天才軍師の諸葛亮孔明(しょかつりょう・こうめい)がいたことで有名な蜀(しょく)の都があった場所だ。

今回調査する三星堆遺跡は、成都から北へ30㎞ほど離れた広漢(こうかん)市の外れに点在する遺跡群の総称。1929年に初めて農民が宝玉を発見して以来、たまに大規模な発掘が行なわれるものの、放置されてきた期間のほうがずっと長いのだという。

中国古代史が覆ったら困る理由

取材のエージェント役は中国古代史に詳しいジャーナリストの程健軍氏(チェンジェンジュン、漢民族)。

「現在では常套句(じょうとうく)となっている『中国4000年の歴史』は、約4000年前に漢民族の祖先が黄河(こうが)流域に興(おこ)した夏(か)王朝に始まるとされています。世界4大文明のひとつである黄河文明の流れをくむ王朝ですね。

漢民族が全人民の92%を占める現在の中華人民共和国にとっては、あくまでも黄河流域が“中華文明”の正統な出発点なんです。

ところが近年では、黄河の南を流れる中国最長の大河・長江(ちょうこう)の流域に、黄河文明より早くに発展した長江文明が存在したことがほぼ確実になってきた。三星堆遺跡の青銅器を見ても、夏王朝より1000年以上も古い古蜀(こしょく)王朝の遺跡である可能性が高いと言わざるを得ません。

古くからチベット系の少数民族が多く住んでいた長江の上流、四川の奥地で高度な文明が見つかったーー漢民族にとっては、誇らしい歴史が根底から覆される大問題です。漢民族による支配を正当化しなければならない中国共産党も、『中華文明の発祥は少数民族』では非常に困るんです」

漢民族の悩みを聞きながら、気がつけばノドが痛い。空気の逃げ場がない四川盆地に、1億以上の人口と成都、重慶(じゅうけい)という工業地帯を抱え込むこの地域は、中国でも1、2を争うほどPM2.5の汚染が深刻なのだ。

日本の環境基準値は一日平均35マイクログラム/立方メートル以下だが、成都ではその10倍近い300マイクログラム/立方メートルという数値も珍しくなく、「危険! 窓を閉めて外出は控えよ」という警報が連日発令。大気は濁(にご)り、晴天の朝でもヘッドライトなしではクルマが走れない。

高度な文明を築いていた「三星人」

奥側が高さ数mの土塀。四川地方はたびたび大地震に見舞われているが、土塀の多くの部分は耐え抜いた。すげえ……

ノド飴をなめながら、まずは1929年に三星堆遺跡が初めて発見された現場へ向かう。資料によると、三星堆という名前の由来は、月形の台地に寄り添う3つの円丘(えんきゅう)という地形から生まれた「太古の時代に3つの星が天より落ちてきた」という伝説。そこでは独自の技術や文化を持ち、“7つの符号”を使う「三星人(さんせいじん)」が暮らしていたという。

宇宙人遺跡という派手な呼び名とは裏腹に、現場はのどかな田園地帯。しかし、その雰囲気に不釣り合いな、長く延びる土塀(どべい)状の盛り上がりがいやでも目に入る。

「これは当時の城壁の名残りで、今も最高6m近い高さがあります。三面を城壁、一面を川に守られた街は、王宮や工房など4エリアに分かれていたようです。この効率的な街の構造を見るだけでも、高度な文明が存在したことは明らかです」(程氏)

大地震にも負けず、5000年間も形をとどめる土塀ってどんな技術だ? しかし、現場付近の研究者たちは口が重く、何を聞いてもロクに話してくれない。やはり、中央から派遣されている漢民族の彼らにとって、この地に優れた文明があったというのはデリケートな話題なのか。

「土塀にしろ、精巧な青銅器にしろ、彼らはどこから技術を習得したのか。これらの技術も、同じく遺跡から発見された符号(文字のような記号)も、黄河文明とは大きく異なる特徴を持っています」(程氏)

古代エジプトやマヤの神々の遺構と共通の特徴を持つ「大型縦目仮面」

続いて訪れたのは、圧倒的な規模を誇る三星堆博物館。メイン展示物のひとつは、目がボーンと飛び出た「大型縦目仮面」と呼ばれる有名な青銅器だ。

「古蜀の伝説的な王様である蚕叢(さんそう)がモデルだというのが通説です。彼は天文に通じていたといいます」(程氏)

飛び出た目に巨大な耳と口。天文に関する伝説。硬い石や玉を切り、穴を開ける技術…。いずれも、古代エジプトやマヤの神々の遺構と共通する特徴だ。

「あ! それ、フランスの学者さんも同じことを言いました。世界の古代文明の神々とよく似ているが、中国では今まで発見されたことがなかった、と。石や玉を切る技術も諸説ありますが、真相はナゾのままです。

これが5000年前? 宇宙を感じさせる青銅器の数々

もうひとつ特徴的なのが、宇宙服や宇宙人を連想させる青銅器の数々。首の部分に頭を通すような穴が開いていたり、後ろにチャックの模様があるヘルメット形だったり…。古代とは思えない技術と、エイリアンを思わせる出土品。宇宙人遺跡といわれる理由です」(程氏)

宇宙服を思わせる青銅器

頭の後ろ側にチャックがついたヘルメットのような青銅器

確かに、アーモンド形の目をした青銅人面具も、いかにも宇宙人…。

アーモンド形の目をした、典型的な宇宙人顔だ

そして、しばしば目につくのが、青銅器や土器に刻まれているナゾの符号。漢字のルーツとは思えない形で、むしろ古代エジプトのヒエログリフ(神聖文字)や、メソポタミア(現在のイラク周辺)のシュメールの象形文字に近い。

遺跡から出土した多くの青銅器や土器に刻まれていた符号

撮影して前出のニール氏に送ると、すぐに返信がきた。

「確かにシュメールにも近いが、インダス文明(現在のパキスタン、インド、アフガニスタン周辺)を興したとされるドラヴィダ人のインダス文字に似ているね。彼らは7000年以上前、エジプトからインドに渡り、さらに東を目指したという記録がある。そのまま中国へ進む部族がいたとしてもおかしくない」

三星人は、どこから来てどこへ消えたのか。それは長らくナゾで、宇宙人説の根強い根拠でもあった。だが、エジプトからメソポタミア、インダスと渡った文明が、チベットを越えて四川にたどり着いたというのは十分にあり得るストーリーだ。しかも、彼らには共通の特徴がある。それは「太陽信仰」だ。

三星人が象を食べ尽くした?

2001年、成都の近くの金沙(きんさ)村で、約3000年前のものとされる「金沙遺跡」が発見された。ここから出土した土器や青銅器の多くには、三星堆遺跡と同じ符号が刻まれていたーーつまり、三星人の“その後”の足取りも、ここでつながったのだ。

そして、この遺跡ではもうひとつ大発見があった。

「数万点の出土品とともに見つかったのが、太陽を鳥が運ぶ姿が描かれた黄金の“太陽神鳥”。太陽信仰の証拠です。これは中国考古学の21世紀最大の発見です」(程氏)

金沙遺跡から出土した、太陽信仰を示す遺物のレプリカ

漢民族の黄河文明には、太陽信仰を示すような痕跡はまったく残っていない。やはり三星堆文明は、それとはまったく別のもので、エジプトから長い時間をかけて伝わってきたのだろうか…。

取材班は金沙遺跡博物館を訪れた。博物館といっても、遺跡が丸ごと120×63mの巨大な屋根に覆われたドーム型の施設だ。

その一角に驚くべき出土品があった。数千頭ものゾウの牙や骨が山のように出てきているのだ。

金沙遺跡からはゾウの牙や骨が大量に出土している。当時は今より気温が高かったといい、生息していたゾウを古代人が食べていたのだと思われる

「これは、遠方から交易で運び込まれるような量ではない。かつて、この地に象がたくさんいて、それを人間が食べたと考えるほうが自然です。実は、三星人が象を食べ尽くしたという伝説も残っていますから(苦笑)」(程氏)

さすが中国、と納得してしまいそうな話だ。

「実際、当時の成都の気温は今より4℃ほど高かったようです。今も四川の山岳部には手つかずの原生林が残っていますから、気温さえ高ければ、野生のゾウがいてもおかしくありません」

「宇宙人説」を漢民族はなぜ支持?

あっという間に日没となり、調査日程が終了してしまった。程氏に延長を願い出たが、「これ以上はちょっと…」と、首を縦に振らない。

太陽信仰とゾウの件をニール氏に報告すると、こんな推論を聞かせてくれた。

「現在はインドやタイに生息するゾウが、当時は四川あたりまで来ていたとなれば、人の動きもあったと考えていい。三星人がエジプトやインドからの移住民族であった可能性は否定できないね。おそらく彼らはその後、ゾウをはじめ獲物の多い、より温暖な地域に帰っていったんだろう」

少数民族発祥説に比べれば、エジプト由来というのはまだ許せる話では? そう程氏に聞いてみると、笑いながらこう答えてくれた。

「いや、中華文明のスタートはやっぱり漢民族でないと、いろいろ都合が悪いです」

一方、ニール氏はさらにこう推理する。

「青銅器の年代にしても、海外の研究者の鑑定では『5000年以上』となっていて、実際にはもっと古いものがあるようだ。しかし、中国側はすべて一緒くたに『5000年前』と発表している。やはりこれ以上、歴史観を崩されたくないんだろうね。

もっといえば、宇宙人説を喜々として話すのも当の漢民族たちだ。もちろん、本当に宇宙人だった可能性も否定する気はないけど、彼らが『少数民族に歴史を塗り替えられるくらいなら、宇宙人のほうがまだマシ』と思っている、とも考えられる。まさか、宇宙人説を流布(るふ)しているのが中国共産党だったなんてオチはないだろうが…。

とにかく、今回はいろいろなことがわかってよかった。実は、アメリカ人は政治的な問題もあって、中国で考古学調査を行なうことが極めて難しいんだよ(苦笑)」

ともあれ、現在もガンガン進んでいると思われる発掘調査。中国共産党が歴史的発見にフタをしようとしているなかで、本当の答えが明らかになる日はくるのだろうか?

(取材・文・撮影/近兼拓史)