住民の92%が反対し抗議行動を行なうも、強権発動に次々立ち退きを余儀なくされた

昨年12月6日、最後の一軒が引っ越し、93世帯が暮らしていた東京都江戸川区北小岩1丁目の東部地区は消滅した。

地域を消滅させたのは国(国土交通省)の「スーパー堤防事業」と区の「土地区画整理事業」との共同事業だ。江戸川区では今後200年かけて9万人を立ち退かせるという。

スーパー堤防とは、幅が高さの30倍程度(200メートル前後)もある巨大堤防で、越水が堤防をなだらかに流れるため200年に一度の大洪水でも「決壊しない」と国交省は説明する。

首都圏と近畿圏にある6河川(利根川・江戸川・荒川・多摩川・淀川・大和川)の873㎞で「スーパー堤防事業」が始められたのは1987年にさかのぼる。ところが四半世紀が経っても、完成したのは50㎞だけ。このペースだと完成に400年と12兆円かかるため、2010年、民主党政権下での「事業仕分け」では“スーパー無駄遣い”だとして「廃止」と判定された。

しかし翌年、国交省は計画を120㎞に縮小させて事業を復活。江戸川区は元々、06年に国がスーパー堤防にした土地で区が街づくりをするという「スーパー堤防整備方針」を策定していたため、これに乗った。対象地域は区内の3河川(荒川、中川、江戸川)の沿川44㎞。区の試算では完成に要するのは200年と2兆7千億円! そして、その用地確保のため沿川に住む9万人を立ち退かせるという。

先述の東部地区は江戸川に面し初期の工事対象となった、計画に住民たちは「大変だ」と自主的にアンケートを実施、92%が反対表明した。区は年に数回、住民向けの説明会を開催しては「200年に一度の洪水にも強い街づくり」を訴えたが、多くは立ち退きを拒み続けた。

拒否には理由がある。まず、区は数年後の造成完了時には堤防の上に戻って家を再建していいと公言しているが、それでは2回引っ越しをすることになる。高齢者には重い負担だ。

「3年の間に2回も引っ越しなんて、84歳の私にできることではありません」と訴えたのは最後まで立ち退きに応じなかったひとり、高橋喜子さんだ。また、戻ったにせよ、もちろんそこにかつての街はない。区画整理事業で見知らぬビルやマンションに見知らぬ人たちが住んでいる。

実はその東部地区の数年前、区は平井七丁目の73戸を82億円かけて立ち退かせている。だがスーパー堤防の完成後、戻ったのは半分。立ち退き後の数年間で子供が新しい学校に馴染んだり、かかりつけ医ができたり、補償金で自宅を新築したら、もう戻れないのだ。

住民を無視した強権発動

その新生活を受け入れられればいい?とも思えるが、さらに喜子さんは計画の妥当性に疑問を投げる。

「私はここに半世紀以上住んでいますが、洪水には遭ったことがありません。区にゼロメートル地帯は多いですが、一番標高が高いんです。全国で1千人以上の死者を出し、区の大半が水没したカスリーン台風(47年)でも無事でした。なぜここに必要なんでしょうか」

また喜子さんの長男で、隣に住む新一さん(55)もこう指摘する。

「堤防は何十㎞もつながって効果を発揮します。東部地区の川沿いは約100㍍。“点”の堤防に意味がありますか? 東部地区に面した国道の向こう側では交番の新築や一般家屋の改築工事がされています。つまり、隣の地区はスーパー堤防にならない。バカらしいですよ」

極めつけは、荒川沿いにある平井四丁目の事例だ。ここもスーパー堤防の計画地だったが、そこでは大手不動産がマンション建設を予定。その会社は、スーパー堤防の完成を待っては竣工が遅れると計画に難色を示していたが…。

「すると、国はそこを計画からあっさり外しました。やはり“線”でつながらないということです。私が憤るのは、住民の反対には耳を傾けず、大企業の主張にはあっさりと折れたことですよ」(新一さん)

しかも、スーパー堤防の上に住むと、住民は河川法の縛りを受ける。自宅駐車場の拡張、地下室の設置、増改築をしたい場合も堤防の改変につながるので制約を受ける。そんな不便な生活はまっぴらだと、東部地区では住民の多くが立ち退きを拒否したのだ。

●区が強権を発動

ところが、事態が急変したのは13年7月。区は住民に「除却通知」を送付した。

やはり最後まで立ち退きを拒否していた宮坂健司さんは「除却通知とは『自宅を解体し更地にしろ』との命令です。この通知に怖れをなした住民の多くが期限の12月16日までに立ち退きました」と振り返る。

はたして翌14年2月の時点で、残っているのは高橋さん親子や宮坂さん含め6世帯にまで激減した。すると、続いて区はそれを揺るがす手段に出た。7月上旬、家屋の強制解体を実施する「行政代執行」を行使したのだ。

本当に200年も繰り返すのか?

7月7日、6軒のうち、家庭の事情で無人状態だった家屋がパワーショベルで破壊された。家屋近くの江戸川の堤防の上からは住民や支援団体、弁護士が「区は直接施工をするな!」、「私たちは納得のいく説明を受けていない。それもないままの強制解体は許せません!」と区の不当性を訴えた。

ではそもそも、なぜ江戸川区は強権を発動してまで計画に固執するのか?

堤防の上で反対の声を上げていたひとりで、スーパー堤防事業が復活した2011年当時、江戸川区議会議員(生活者ネット)を務め、現在は「江戸川・生活者ネットワーク」事務局長として、この問題を追い続ける稲宮須美さんがこう説明する。

「区の区画整理事業を国のスーパー堤防とセットで行なえば、国のお金を使って、本来は区が負担すべき事業をほとんどタダでできる。たとえば、平井7丁目は事業費82億円のうち96%が国の予算でカバーされました。しかし、住民を立ち退かせてまで強行するのは間違っています。区は本当にこんなことを200年も繰り返すのでしょうか?」

●国と区の言い分

点在する堤防。200年もかかる事業。この計画に大義はあるのだろうか? そこで、江戸川区土木部に今後の計画を問い合わせた。

―本当に200年もかけるのですか?

「私たちはあくまでも国が造成したスーパー堤防の上での区画整理をするのが目的です。そのひとつひとつの区画整理事業を粛々(しゅくしゅく)とやるだけです。だから、全体のスケジュールの青写真はありません。200年というのは06年の『スーパー堤防整備方針』で試算した数字なので、それがどう変わるかはわかりません」

そこで、次に国土交通省関東地方整備局河川部河川計画課にも聞いた。

―平井7丁目のマンション建設地は計画から外され、これでは堤防はつながりません。計画に大義はありますか?

「私たちは一所懸命、工事をさせてほしいと交渉しました。ですが、先方の早期マンション建設の意思が変わらず諦めました。でも数十年後にはマンション建て替え時期がやってくるので、その時点で再交渉します」

―それを言っていたら、いつまでたっても完成しません。

「確かに、いつ完成するかの具体的スケジュールはありません。住民のニーズに合わせての工事をするだけです」

大洪水に備えるというわりには、あまりにものんきな計画だ。しかもニーズに合わせるどころか、弱者は強制的に排除しているのでは? 一体、誰のための工事なのか…。

他地区の住民も対岸の火事ではない

最後まで立ち退きに抵抗した高橋喜子さんと隣に住む長男の新一さんは、新たな戦いを挑む

●苦渋の決断

上記の強制解体が執行されると、さらに区は隣家のIさんに対し「7月11日までに除却しなければ、区がする」と通知。解体を目の当たりに見たIさんは折れ、引っ越していった。

残るは高橋喜子さん、新一さん、宮坂さん、そして寝たきり高齢者のSさんの4軒だけとなったが、結局、立ち退きに応じることになる。

11年に新一さんは自ら原告団長となり、住民11人で事業取り消しを求め、区を提訴している。だが、東京地方裁判所は「スーパー堤防計画を変更できるのは区ではなく国であり、区の区画整理事業に違法性はない」との判決を出し13年末に敗訴。強制解体から3ヵ月後の14年10月には高裁でも敗訴した。

現在、上告中ではあるが、敗訴となった以上、自分たちの身を守ってくれるものはない。再び強制解体という行政代執行が行なわれれば、移転先への移転費や住居費も自費負担になる。ここで立ち退きを受け入れれば補償はあるーー苦渋の決断だった。

昨年11月18日。引っ越しの日、高橋さんの自宅を訪れた。あらかた家財道具がなくなった自宅で喜子さんは寂しそうだった。

「悔しいです。ここが終(つい)の棲家と思っていました。1年半前にリフォームもしたばかりなんですよ。これからはマンションでひとり暮らし。周りは知らない人ばかりです…」

新一さんもやるせなさそうに「私たちに与えられた選択肢はふたつだけ。行政代執行を受け入れても闘い抜くか。ここを出ていくかでした。やむなく出ていきますが、全然納得はしていないですよ」

そして、新しい闘いを起こした。引っ越し直前の11月12日、今度は国を相手取る民事訴訟を提訴したのだ。

「スーパー堤防は住民の移転同意が必須。だが本事業では誰も同意していない。これを争点に闘いたい」

新たな裁判の理由はなんですか?と彼に尋ねると、こう答えた。

「他地区の住民が私たちと同じ目に遭わないためです」

一線を越え、他の自治体にも波及?

実際、国と区は次の計画地を東部地区から南に1㎞の篠崎地区と定め、すでに200数十世帯を立ち退かせている。たが、そこでも「納得できない」とする一部住民が今も立ち退きを拒否。裁判と合わせ、篠崎での闘いも続いている。

また、冒頭でも書いたが、全国各地で完成しているスーパー堤防も実はほとんどが無人の場所。どの役所も人を追い出してまで計画を遂行したくないのだ。だが、江戸川区がその一線を越えたことで、国が他の自治体にもハッパをかけるのではないのか? 関係者はこれを危惧している。

「江戸川区はスーパー堤防と区画整理事業のセットを『街づくり事業』といいますが、とんでもない。私にすれば最悪の『街壊し事業』です」(喜子さん)

そして先月26日には、ついに東部地区で工事が始まった。これは対岸の火事ではなく、これからいつ自分の街でも起こりかねないことなのだ。

(取材・文・撮影/樫田秀樹)