80年代、ミャンマーの民主化運動をきっかけにジャーナリストとして活動する山路氏

イスラム国問題が過熱するにつれ、取り沙汰される戦地報道。

戦場ジャーナリストの山路徹氏が、戦争取材で発生する金銭問題や自己責任論に言及。若者向け番組の制作をしていた山路氏は、80年代末のミャンマーの民主化運動をきっかけにジャーナリストになることを決めたというが…。

「1988年の8月にミャンマーの学生たちは民主化運動のデモを起こしていて、その様子が日本でも連日報道されていました。そして社会主義政権が倒されるかもしれない状況にまでなると、突然、軍が出てきて学生に向け発砲し、デモ隊を鎮圧した。僕はその頃、某テレビ局で若者向けにグルメやファッションなどの情報番組を制作していましたが、このニュースを見て日本とミャンマーの若者の違いにショックを受けました。

当時、日本はバブル時代で物欲的な価値観に支配されている若者であふれていた。一方で、自分の国を変えるために命がけで戦っている若者がいた。その姿を見てしまうと、もう日本の若者向けに番組を作る気持ちにはなれなくなったんです。

そこで、秋に休みをもらって、個人的にミャンマーの学生たちのその後を取材に行きました。すると、彼らはタイとの国境近くで少数民族に助けられながら軍事キャンプをはって生活していたんです。そして、その取材映像を幸運にもニュース番組で使ってもらうことができた。

それがきっかけで報道番組に移り、最終的にはAPF通信という会社を作ってジャーナリスト活動をするようになったんです」

―ジャーナリストの使命とはなんだと思いますか?

「これはテレビも新聞も雑誌も同じだと思いますが、やはり企業であるからには営利目的があるわけです。すると、例えばミャンマーの民主化よりもグルメやファッション情報のほうが視聴率や収益が上がる。でも、視聴者や読者の関心は低くても、戦争の悲惨さであったり、命の尊さであったり、どうしても日本人に見てほしい世界の現実がある。それを伝えるのがジャーナリストの使命だと思います」

戦場や危険地域で死なない準備などあるのか?

―ジャーナリストを続けていく上での難しさは?

「戦争取材などに行くジャーナリストは命をかけて頑張っているんです。でも、発表する場が極端に少ない。そうなると経済的に苦しくなります。

例えば、僕がボスニアを取材した時、装甲車に乗っていないと危険で取材ができませんでした。だから装甲車を借りるわけです。すると一日1500ドルかかる。1ヵ月取材をすれば、それだけで約500万円以上必要なわけです。ガソリンもスタンドはないから国連などの横流れ品を買うわけです。それが1L・1000円。満タンにしたら10万円です。結局、そのときの取材では経費だけで1500万円くらいかかりました。

大手のメディアだと、この予算を出せるかもしれませんが、個人で負担するのは無理でしょう。すると、フリーのジャーナリストは危険のリスクが高くなる。他にも、紛争地帯などでは車の盗難も日常茶飯事。取材のために車を借りて、現地で盗まれて300万円相当を弁償したこともありました。

そういうことを考えると、何かの記事で戦場からのリポートが10分300万円だと書いてあったけど、それが決して高いものだとは思わないんです」

―そういう苦労のなかで、戦場に行って捕まると自己責任だと言う人たちがいます。

「自分の命の責任を誰かに持ってもらうことはできないので、そういう意味では自己責任です。

2007年にAPF通信の同僚の長井健司さんがミャンマーで撃たれて亡くなった時にも『準備不足だ』と言われました。では、戦場や危険地域に行って死なない準備とは、どんなものなのでしょうか。

僕は死なないための一番安全な方法を知っています。それは、戦場に行かないことです。でも、それでいいんでしょうか。世界の現実を知らないで、グルメやファッション情報だけで生きていくことを選ぶのでしょうか」

●山路徹(やまじ・とおる)1961年生まれ。テレビ番組制作会社勤務を経て、92年に国内初の紛争地専門の独立系ニュース通信社、APF通信社を設立。同社代表。紛争地を中心に取材

(取材・文/村上隆保 撮影/本多治季)